企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義

企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義

森本紀行
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企業年金の資産の運用を受託している投資運用業者等は、専らに企業年金の利益のために職務を遂行する義務を負いますが、この義務を、金融庁は、フィデューシャリー・デューティーと、片仮名で呼んでいます。ならば、企業年金は、専らに制度の加入員と受給者の利益のために職務を遂行する義務を負うのですから、企業年金にも、フィデューシャリー・デューティーが課せられるのではないでしょうか。
 
 企業年金は、フィデューシャリー・デューティーを負うかどうかはともかくも、法令上、制度の加入員と受給者に対して忠実義務を負うことに、間違いありません。
 より正確にいえば、「確定給付企業年金法」上、基金型の企業年金の場合は、その理事が、また、規約型の企業年金の場合は、母体となっている企業が、制度の加入員と受給者に対して、忠実義務を負っているのです。
 忠実義務というのは、基金の理事や企業は、専らに加入員と受給者の利益のために、制度を運営しなければならないという当然の義務をいうにすぎません。しかし、法律に忠実義務を定めたからといって、その義務が厳格に履行されているとは限らないのです。
 
企業年金の忠実義務は、守られていないのでしょうか。
 
 忠実義務違反の可能性が高い事案として広く知られているのは、企業が、融資や株式保有を通じて密接な関係にある金融機関、および、その系列の投資運用業者を、その企業の年金基金の運用会社に採用することです。これは、日本では、少しも珍しいことではなく、ほとんど常態化しています。
 このような行為は、企業が、金融機関との関係を維持強化する目的で、年金基金の資産運用を利用していることを強く推認させます。つまり、専らに加入員と受給者の利益のために、運用会社の選択がなされているわけではないと思われるのです。
 しかしながら、このような忠実義務違反の疑いのあることも、忠実義務違反の事実として、問題視されることは、日本の企業年金の歴史のなかでは、今に至るも、ありません。それは、日本での忠実義務の一般的な理解のもとでは、違反の事実を立証することが極めて困難だからなのです。
 例えば、「確定給付企業年金法」の忠実義務については、監督官庁である厚生労働省の年金局長から、解釈指針の通知がでていますが、それによれば、上記のように、企業にとっての親密な運用会社を採用することは、忠実義務違反の「おそれ」ではあるものの、それが実際の違反とみなされるためには、企業年金にとって不利な契約条件になっている等の具体的な理由が必要だとしています。
 つまり、日本では、必ずしも、専らには、加入員と受給者の利益のために働いていなくとも、つまり、自己や第三者の利益のために働いているとしても、その結果として、加入員と受給者の利益を積極的に損なっていない限り、忠実義務違反にはならないのです。しかし、積極的な損害が立証されることなど、まず、あり得ないのですから、忠実義務の実効性はないのです。
 このことは、上記の例で、企業にとっての親密な運用会社が採用されているからといって、その会社が普通の運用さえしていれば、そこに積極的な逸失利益の存在を立証できないことを考えれば、容易にわかることです。
 もちろん、積極的な逸失利益はなくとも、厳格な忠実義務のもとで、運用能力だけによって最善の運用会社が選択されていたのであれば得られたであろう消極的な逸失利益はあるわけです。しかし、この消極的な逸失利益の存在を証明することは、更に困難です。
 
実効性のない忠実義務のもとでは、よりよい運用会社を選ぼうとする誘因が働かないのですね。
 
 運用会社の選択において、仮に、積極的にしろ、消極的にしろ、逸失利益があったとしても、企業の掛金負担によって、それが填補される限り、忠実義務違反を問う実益もないのが現状です。
 しかし、それでは、よりよい運用会社を選ぼうとする努力をはじめ、企業年金の運営を改善していこうとする努力、企業経営にとっての企業年金運営費用を削減しようとする努力などが放棄されてしまうわけです。そのことによって、仮に、加入員と受給者の具体的な不利益が生じなくとも、企業経営全体にとっては、統治上の大きな問題を内包しているはずです。
 また、投資運用業者や信託会社にとっても、運用の質を改善しようとする努力が疎かになっている可能性は大きく、国民経済全体として考えたとき、損失は少なくありません。忠実義務の徹底は、企業年金をもつ企業にとっても、それを運用する金融機関にとっても、企業価値にかかわる大きな問題なのです。
 
ところで、日本の現在の忠実義務の理解は、確立したものでしょうか。
 
 忠実義務は、様々な分野の多くの法律のなかに、規定されていると思われますが、少なくとも、「確定給付企業年金法」の忠実義務については、監督官庁の法令解釈として、上記の理解が示されているわけです。ただし、この行政解釈は、訴訟で正面から争われたことがない以上、判例が存在しないので、法規範として確立したものではありません。
 なお、「確定給付企業年金法」は、企業年金の資産を運用する投資運用業者や信託会社に対しても、企業年金に対する忠実義務を課しているわけですが、この忠実義務の解釈についても、上と同様なことがいえるわけです。
 
しかし、投資運用業者や信託会社については、別に、「金融商品取引法」等のもとで、忠実義務が課されていますが、こちらの忠実義務についても、同じことがいえるでしょうか。
 
 金融庁が、昨年、フィデューシャリー・デューティーを導入した以上、もはや、様相は違ってきています。
 フィデューシャリー・デューティーは、英米法における忠実義務に相当するものですが、当然のこととして、それを日本に適用すれば、実定法上の規範として、機能するはずもありません。しかし、だからこそ、実定法を超える社会規範として、機能し得るわけです。
 つまり、フィデューシャリー・デューティーのもとでは、忠実義務違反の「おそれ」に該当する行為の排除も含めて、忠実義務に履行強制力を付与し得るし、また、監督官庁の違いを超えて、企業年金基金の理事や企業が加入員と受給者に対して負う忠実義務にも、適用し得るということです。
 
現実に、どうすれば、フィデューシャリー・デューティーを規範化できるのでしょうか。
 
 それは、顧客の視点です。投資運用業や信託業は、当然極まりないこととして、顧客からの信認のもとでしか、成立し得ないものです。フィデューシャリー・デューティーというのは、信認を得ている以上、その信認を裏切ってはならないという義務です。
 これは、客観的規範としての義務である以前に、理性ある常識人にとって、顧客の信認を裏切れば業の継続が不能になることは自明なのだから、自然な論理的帰結として、守られるはずのものなのです。ところが、奇怪なことには、顧客の信認が裏切られている現実があるのであって、故に、金融庁は、理性的な反省を求めるために、フィデューシャリー・デューティーを導入したのです。
 
金融庁の呼びかけに対する業界の反応は、どうなっているのでしょうか。
 
 金融庁のいっていることは、顧客利益を徹底して守ることにより、中長期的な視点での自己の利益を追求したらどうか、という常識的な提言であって、それは、規制の強化なのではなく、むしろ、親身な助言です。
 実際、投資信託においては、目先の利益を優先させて、顧客の損失の上に自己の利益を形成しても、持続可能性はなく、また、企業年金の運用においては、金融系列の力を利用して運用受託しても、運用能力の向上はないのですから、結局は、少しも、運用会社としての企業価値につながらないことは、明瞭なのです。
 この呼びかけに対しては、一方に、「フィデューシャリー宣言」を公表して、自己規律として、フィデューシャリー・デューティーの規範化を行う会社があり、他方に、法令違反の事実がない以上、金融庁に余計なことをいわれる筋合いはないという会社もあります。
 この現実の解釈として、理性は、全ての人に遍く付与されているのですから、一方に、理性ある賢い者がおり、他方に、理性なき愚か者がいる、ということにはなりません。そうではなくて、理性の働きを曇らす慣習、情念、周辺環境が、各社それぞれに、異なるということです。しかし、こうした反応の差は、最終的な理性の勝利が確実である以上、どうでもいいのです。人類は、理性の力で進化します。
 
さて、では、いよいよ、年金基金にも、理性の働きを求めますか。
 
 企業年金基金の理事や企業は、理性的思考を働かせたとき、企業年金の運営において、忠実義務が厳格に履行されていないという事実を、どうとらえるか、それは、理性の働きを曇らす慣習、情念、周辺環境が異なるに応じて、様々でしょう。
 例えば、株主の金融機関と、その系列の投資運用業者に対して、株主名簿の順番に応じて、運用委託先に選定したり、融資の借入先の金融機関と、その系列の投資運用業者に対して、融資額に応じて、運用委託先に選定したりすることは、厚生労働省が明瞭に指摘する通り、忠実義務違反の「おそれ」のあることです。
 しかし、日本では、この「おそれ」は、直ちには忠実義務違反の事実にならないという背景のもとで、ごく当たり前に横行しています。こうした事態に対して、どのように基金の理事や企業が考えているかは、企業ごとに、かなり、異なっているはずなのです。
 法令違反の事実がない以上、少しも問題ないとするもの、問題はあると認識するが、法令違反でない以上、現状を変える必要を認めないとするもの、そもそも、経営上層において事態を認識しておらず、現場の古い慣習が放置されているもの、基金の理事としては問題意識をもっているが、企業の決定に逆らえない雰囲気を感じているもの、金融機関への依存度が高く、その要請を断れないものなど、事情は様々です。
 
企業経営にとっての理性的反省の契機は、何でしょうか。
 
 「コーポレートガバナンス・コード」です。特に、その第二章「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」の主旨を、理性的に検討するとき、真の企業価値の向上にとって、企業年金の適正な管理が重要な要素であることは、容易に理解されるはずです。
 そうなれば、必ず、企業として、また企業年金基金として、「確定給付企業年金法」と「コーポレートガバナンス・コード」の主旨に立脚した「フィデューシャリー宣言」を公表し、自己規律として、企業年金の運営の適正化を図る企業がでてくるでしょう。そのような企業こそ、真の優良企業です。
 真の優良企業の動向は、他の多くの上場企業にも影響を与え、上場企業全体の動きは、日本の産業界全体を動かし、日本社会を動かして、公的年金の管理運営のあり方にも、影響を与えていくでしょう。さらには、同様な動きは、確定給付企業年金だけでなく、確定拠出企業年金の運営にも、拡大していくでしょう。
 
どの企業が最初に「フィデューシャリー宣言」をするか、楽しみですね。
 
 それは、間違いなく、日本一の真の優良企業です。どの企業か、とても、楽しみです。もっとも、本当は、日本最大の年金基金であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)こそが、国民からの信認を得るために、真っ先に「フィデューシャリー宣言」をすべきなのですが、さて、どうでしょうか。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/08/27掲載「「フィデューシャリー宣言」の意義について
2015/06/04掲載「「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か

≪ アーカイブから今週のお奨めは「GPIF」  ≫
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。