「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金

「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金

森本紀行
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東京証券取引所が定めた「コーポレートガバナンス・コード」の第二章は、「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」と題されていて、そこには、五つの原則があげられているのですが、非常に大事な原則が抜け落ちているように思えます。それは、企業年金の適正な管理です。本コードは、「不変のものではない」とされているのですから、早急なる改定を望みたいものです。
 
 企業の変革と成長には、統治改革が不可欠であり、統治改革を実効性のあるものにするには、資本市場を通じて、株主である投資家と経営者との間に建設的な対話が行われること、即ち、投資家の正当な要求や、適切な意見具申等が経営に反映されていくこと、そして、株主の理解と協力が得られるような経営執行がなされていくことが重要です。
 従って、企業の統治改革は、企業の経営者の責務であるだけではなく、経営者の対話の相手方である株主、即ち、投資家の責務でもあるのです。
 また、企業経営においては、単に株主に対する責任が果たされるだけではなく、広く、企業の社会的責任において、「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」がなされることも重要です。しかし、それとても、企業経営を協働へ促すものは、資本市場を経由して働く投資家の力です。
 つまり、企業経営における「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」とは、経営者を介して、株主と「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」が働くことであり、そのためには、株主にも、投資家として、広く社会的責任を果たすことが求められるのです。
 このように、企業統治改革の背後には、投資家が株主として適正に行動できること、いわば投資家の能力と資質の問題が潜んでいるわけです。そもそも、投資家として、企業の経営者との間に適切な距離を保ち、対話できる能力がなければ、「コーポレートガバナンス・コード」を策定しても実効性はありません。
 
投資家自身の統治改革も必要だということですね。
 
 投資家といっても、多様なものがあります。企業統治改革との関係でいえば、企業経営との間に特別な関係を有する株主が問題であるわけです。いうまでもなく、緊張感を欠いた特別な関係性のなかでは、投資家と経営者との間に、現状維持を肯定する停滞的な無対話こそあれ、革新を促すような創造的な対話は起きにくくなるからです。
 そういう意味で、「コーポレートガバナンス・コード」自体のなかで、「いわゆる政策保有株式」に関する原則が置かれたのは、当然極まりないことだったのです。この原則では、政策的に株式を保有することの合理的説明を求めているだけではなく、「上場会社は、政策保有株式に係る議決権の行使について、適切な対応を確保するための基準を策定・開示すべきである」として、政策保有株式といえども、株主としての責務を果たすことが求められているのです。
 
企業が保有する他社の株式としては、政策保有株式のほかに、自社の企業年金を通じて保有しているものもありますね。
 
 企業年金の資産は、規約型企業年金の場合は、企業自身によって直接に保有され、基金型企業年金の場合は、企業年金基金という独立した法人を通じて、間接的に保有されているのですが、「確定給付企業年金法」により、企業の支配が及ばないように、信託等の仕組みを通じて、完全に外部化されています。
 そして、その企業年金資産は、生命保険契約の締結、もしくは信託銀行と投資運用業者への運用委託契約の締結によって、運用を受託している金融機関の一任判断のもとで、管理運用されなくてはならないこととされています。
 このような法律の仕組みにより、企業は、自社の企業年金を通じて保有する株式については、一切、支配権をもつことができない、即ち、個別銘柄を特定することもできなければ、議決権を行使することもできないようにされているのです。
 
しかし、企業年金を運用している金融機関と企業との間に、親密な関係がある場合は、事実上、政策保有と似たような弊害があり得るのではないでしょうか。
 
 その問題点については、よく知られていることで、実効性に大きな疑問があるにしても、一応の対策は講じられているのです。その一つが、企業と親密な関係を有する金融機関に対して、企業年金の資産を、運用委託することについての利益相反の防止措置です。
 これは、「確定給付企業年金法」のなかで、規約型企業年金においては、企業が直接に年金制度の受益者(現役の従業員と退職して年金を受給している人)に対して、また、基金型企業年金においては、基金の理事が基金に対して、それぞれ忠実義務を負うようにすることで、対応されています。
 更に、具体的に、どのような行為が忠実義務違反のおそれを生じさせるかについては、「確定給付企業年金に係る資産運用関係者の役割及び責任に関するガイドラインについて」という2002年3月29日付の厚生労働省年金局長通知に記述があります。例えば、以下の例です。
 「事業主又は基金型事業主と運用受託機関(運用受託機関と緊密な資本又は人的関係のある会社を含む。)との間に緊密な資本関係、取引関係又は人的関係がある場合において、事業主自らが当該運用受託機関との間で資産管理運用契約を締結すること、又は基金型事業主が基金をして当該運用受託機関との間で基金資産運用契約を締結させること。」
 

しかし、そのような利益相反のおそれならば、企業年金の運用実態として、広く蔓延しているのではないでしょうか。
 
 それは、利益相反のおそれがあっても、利益相反の事実は、立証され得ないからです。先ほどの年金局長通知から引用した利益相反のおそれの例についても、それが利益相反の事実となるためには、運用機関の選択に際して、母体企業の親密先だという理由以外に合理的な理由がない、不当に運用機関に有利な契約になっているなどの事実の立証が必要とされているのです。
 

現実には、そのような立証は不可能ですね。
 
 不可能だからこそ、利益相反のおそれは蔓延するのです。こうして、利益相反のおそれを放置すれば、当然のこととして、立証されていないだけで、事実としては、利益相反があると考えるのが自然であるような状況が生まれてしまっているのです。
 利益相反を根絶するためには、挙証責任を転換させるように法律の仕組みを変える、つまり、利益相反の不存在の証明責任を、企業に課せばいいのです。そうすると、利益相反の不存在の証明は極めて困難ですので、企業は、利益相反のおそれのある立場に身を置くこと自体を回避するほかなくなります。
 これは、十分に検討に値する制度設計ですが、今の厚生労働省には、とても、そこまでの改革を期待することはできないでしょう。
 

故に、「コーポレートガバナンス・コード」での対応が必要なのですね。
 
 企業の社会的責任において、企業年金の受益者の利益は,確実に守られなければなりませんが、そのためには、企業年金の資産運用が、専らに受益者の利益のためになされることが必要です。つまり、そこに、利益相反はあり得てはならず、それを確実なものならしめるには、利益相反の可能性自体を根絶するしかありません。
 このことは、「確定給付企業年金法」の立法の趣旨からして、自明です。しかし、現実には、法律違反に問われないというだけのことで、法律の趣旨に反することは堂々と横行しています。つまり、企業の社会的責任が果たされていないということです。
 このような状況の改革こそ、少なくとも上場企業においては、「コーポレートガバナンス・コード」が対応すべきものです。なぜなら、「コーポレートガバナンス・コード」の第二章は、「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」と題されていますが、企業年金の受益者こそ、ステークホルダーの代表的なものというべきだからです。
 その「原則2-2」には、「上場会社は、ステークホルダーとの適切な協働やその利益の尊重、健全な事業活動倫理などについて、会社としての価値観を示しその構成員が従うべき行動準則を定め、実践すべきである」とありますが、この原則のもと、企業年金の受益者というステークホルダーについて、「その利益の尊重」のための行動準則を、全ての上場企業が定めるべきなのです。
 

問題の重要性から考えると、「コーポレートガバナンス・コード」の第二章のなかで、独立した原則を設けるほうがいいのではないでしょうか。
 
 「原則2-3」ではサステイナビリティ、「原則2-4」では多様性、「原則2-5」では内部通報、というふうに、個別具体的な原則が置かれていることからすれば、企業年金の管理の適正性を独立した原則にしても、特に、違和感はないように思えます。
 

企業側の問題は、「コーポレートガバナンス・コード」で対応できるとして、金融機関側の問題は、どうすべきでしょうか。
 
 金融庁は、昨年9月に公表した「金融モニタリング基本方針」のなかで、資産運用に携わる幅広い金融機関について、フィデューシャリー・デューティーという概念を導入して、この問題に対処しようとしています。
 フィデューシャリー・デューティーは英米法の概念ですが、日本法に置き換えれば、履行強制力のある忠実義務です。実際、米国では、企業年金の管理について、フィデューシャリー・デューティーを具体化した特別法が作られていて、企業に重い責任が課せられていますので、先に日本の企業年金の問題として述べたような利益相反のおそれは、法律上もあり得ないのです。
 日本の場合は、少なくとも現時点では、フィデューシャリー・デューティーは、金融機関の責任に限り、また、直接に法令の基づかないものとして、導入されています。しかも、具体的な行動規範であると考えられているので、ちょうど、「コーポレートガバナンス・コード」のようなものとして、金融機関の資産運用関連業務を律するように機能していくのだと考えられます。
 

フィデューシャリー・デューティーのもとでは、金融機関が、大口債権者としての地位や、大株主としての地位を利用して、企業年金の運用受託を図ろうとすることはできなくなるのですね。
 
 そのようなことは、そもそも、優越的な地位の濫用として、認められませんし、企業年金資産の運用について、金融機関の忠実義務を定めている「確定給付企業年金法」の趣旨からも、認められないことです。ところが、事実として、また、非常に悲しく情けないこととして、優越的地位の濫用は、横行しているのです。
 しかし、フィデューシャリー・デューティーが、資産運用に携わる金融機関の行為規範として、確立すれば、こうした不公正は、直ちに是正されるはずです。というよりも、不公正の是正のために、フィデューシャリー・デューティーの徹底が必要なのです。
 投資家としての企業年金の統治改革は、「コーポレートガバナンス・コード」で律された企業経営者と、フィデューシャリー・デューティーで律された金融機関の二つが揃ってはじめて、実現されます。
 こうして、優れた投資家としての企業年金が生まれることは、「コーポレートガバナンス・コード」を通じて、企業の統治改革を加速させ、そのことが、更に、企業年金の健全なる発展を促す、これぞ、安倍政権の掲げる政策課題である好循環の実現の見本です。
 
以上

 
 次回更新は6月11日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係
2013/11/07掲載「みずほ銀行のどこがいけないのか
2013/06/06掲載「成長なきところ投資なし
2013/05/16掲載「企業は誰のものか
2013/05/09掲載「企業の資金調達の目的と企業統治論

≪ アーカイブから今週のお奨めは「資産運用の高度化」  ≫
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。