原子力による脱原子力

原子力による脱原子力

森本紀行
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原子力による脱原子力という奇抜な表題は、原子力発電をやめるためにも、原子力発電を継続しなければならないという構造的な矛盾を意味しています。この矛盾は、原子力反対派と原子力推進派の立場を超えて、共有されなければならない重要な基本前提です。そこで、その背景の事情を検討してみましょう。
 
 私は、一貫して、東京電力の立場を擁護してきました。それは、「原子力損害の賠償に関する法律」の立法の趣旨に即した適用を主張してきたことの必然的な帰結です。また、私は、一貫して、原子力規制委員会の姿勢を批判してきました。それは、規制側と被規制側との健全な関係に求められる民主主義の理念に立脚した対論の構造を確立擁護するためです。
 結果として、私は、原子力推進派の外貌を呈しております。しかし、私は、原子力推進派としての主張をなしたことなど一度もなく、また原子力反対派でもありません。原子力発電は、既に政治の領域にあり、要は国民の選択の問題となっています。敢えて国民投票による選択でも求められれば、私は原子力発電の継続に一票を投じるでしょうが、国民全体の選択が脱原子力ならば、それはそれでいいのです。
 原子力に関する政治的発言は自由に行われればいい。私には、そこに参加する気持ちなど、少しもありません。しかし、科学的(もちろん、社会科学的な視点も含めて)に、また法律的に、要は、論理的かつ客観的に、事象を分析することは、政治的論議の前提条件を供給するものとして、どうしても必要なことです。私の関心は、そこにあり、そこにしかありません。
 さて、自己の立場を明らかにしたうえで、私は、こう主張するほかないのです、即ち、仮に、脱原子力の政治決定が行われたとしても、経済的、また技術的諸制約からする論理的な帰結として、その完了までには極めて長い時間、例えば50年以上というような長い時間を想定せざるを得ず、その間、原子力発電所は稼働し続け、場合によっては、新しい原子力発電所の建設すら行われねばならないのではないかと。
 

そもそも、原子力規制委員会が存在するという事実も含めて、現在の電気事業の全体構造が原子力発電の継続を前提にしていますが、脱原子力といえども、その基本構造のなかでしか行い得ないということでしょうか。
 
 事実として、現時点では、原子力発電は電源構成のなかに重要な位置を占めています。脱原子力というのは、将来的に電源構成から原子力を完全に取り除くことでしょうが、それは将来時点のどこかで達成されるべき目標であって、その時点までは原子力発電をなくすことはできないと思われます。
 

しかし、直近の事実として、かなり長い期間にわたって、日本国内の全ての原子力発電所が稼働を停止していました。ということは、現時点においてすら、原子力を除いた電源構成によって、十分に電気供給を行い得るのではないでしょうか。
 
 物理的に可能であることは、必ずしも、社会的に可能であることを意味しません。物理的な可能性が問題ならば、再稼働できなくなっている原子力発電所は全て物理的に稼働可能な施設です。稼働しないのは、社会的な制約としての安全基準への適合性について、社会的な合意が形成されていないからです。
 現時点で脱原子力に踏み切ること、即ち、全ての原子力発電所の再稼働を永久に認めないことは、物理的に可能かもしれませんが、社会的には簡単なことではありません。もっとも、社会的にも可能は可能かもしれませんが、それにともなう社会的費用があまりにも大きければ、実質的意味において、可能といえるかどうか、まさに、ここが議論の焦点でしょう。
 原子力発電の問題は、科学技術の問題ではなくて、科学技術の利用と電気事業の経済性に関する政治の問題です。故に、全ての原子力発電所が停止していても、最低限の電気供給が可能であるということは、議論の出発点にはならないと思われます。
 

手始めとして一番わかりやすいのは、全ての原子力発電所の稼働を永久に停止する、即ち、原子力発電を廃止したときに生じる問題について検討することですね。
 
 三つの論点があると思われます。第一は、原子力発電の廃止にともなう電源構成のゆがみは、一時的に他の電源を稼働させることによって補わなければなければならないこと。第二に、原子力を抜きにした電源構成の再構築が完了するまでには相当な時間を要すると思われるが、その間の電気供給は、盤石な安定供給体制とはいい難い不安定なものにならざるを得ないこと。第三に、原子力発電所の廃炉作業については、財源がなく、かつ消滅に向かう事業について技術者を確保するのは困難だろうということ。
 

では、まずは、原子力に替わる代替電源の確保について。
 
 現在、原子力発電抜きで電気の安定供給体制がかろうじて確保されているのは、経済的に非効率な旧式の火力発電所などの代替電源を最大限に稼働させているからです。その結果、燃料費負担が激増し、電力会社の収益を圧迫し、それが電気料金への転嫁となって表れていることは、周知の事実です。加えて、環境への負荷が大きくなっていることも見逃せません。
 こういえば直ちに、再生可能エネルギーの供給拡大により、原子力抜きでも、すぐに問題を解決できるという反原子力の方の反論があるでしょう。それは承知のうえです。しかし、再生可能エネルギーは、法律によって極めて有利な経済的な保護が与えられているからこそ、普及するのであって、その仕組み全体は、再生可能エネルギーを含まず、原子力を含んでいる現行の電気安定供給体制に依存して成り立っているわけです。
 もともと、再生可能エネルギーの普及を図る法律上の仕組み自体が、原子力発電を含む電気安定供給体制の基盤を前提にできているわけで、その基盤が揺らいでいる現状のなかでは、安直に再生可能エネルギーの普及をもち出すことはできないと思われます。
 今、問題とすべきは、再生可能エネルギーの普及拡大のためにも、伝統的な電源構成による経済合理的な安定供給体制を確立することなのであって、その伝統的な電源構成の経済性のうえにのみ、再生可能エネルギーの普及が可能になり、さらにその先に、脱原子力への道(もしも、国民がそれを選択するなら)が開かれるのです。
 

そうしますと、当面の課題は、火力発電の強化ですね。
 
 LNGであれ石炭であれ、要は、最新鋭の設備による火力発電を強化する以外に、現在の苦境を救える方法はないのではないでしょうか。しかし、こうした巨大な施設用地を緊急に新たに確保することは、簡単ではないでしょう。現実的な方法としては、火力発電所の新設に加えて、現在稼働している原油・重油による旧式の火力発電所を建て替えることが必要だと思われます。そうすることで、燃費効率を改善し、環境負荷を低下させる、これは、必須かつ緊急の課題です。
 例えば、東京電力では、東京オリンピックの頃に建設された旧式の原油・重油による火力発電所が5基も稼働しています。当然に、計画的に建て替えられる予定になっていたものですが、福島の事故後は、不足している電力供給能力を確保するために、停止できなくなってしまったのです。他の電力会社も。程度の差こそあれ、事情は同じで、計画的な発電所の更新投資ができなくなっています。
 

そこで、どうしても、原子力発電所の再稼働が必要なのですね。
 
 原子力発電所が再稼働し、供給能力に余裕が生じない限り、旧式の火力発電所を最新鋭のものに建て替えることはできないのです。ですから、再稼働が必要なのです。仮に、国民の意思として脱原子力の道を選ぶとしても、原子力発電所の再稼働は必要です。原子力発電所を再稼働させ、火力発電を強化することで、電気安定供給体制の基盤を再確立しない限り、再生可能エネルギーによる脱原子力などという理想の実現は不可能なのです。
 脱原子力という理想を実現するためには、現実的な戦術をとるしかありません。それは、最初に、火力と原子力を柱にした電気安定供給体制を再確立することです。その基盤の経済性が、再生可能エネルギーの普及のための資金供給を支え、いつの日か、脱原子力という国民選択に対して、経済的根拠を提供できるようになるのです。
 

そうして脱原子力へ向けた取り組みが可能になるとしても、それには、相当な長い時間がかかりそうですね。
 
 政府に強く求められていることは、できるだけ早く原子力政策を確定させることです。原子力の電源構成における比重を引き下げるならば、その目標値と達成までの時間軸を、もしも、脱原子力ということならば、その達成時点までの時間軸を確定することです。
 何事も政策の決め事ですし、要は費用の問題ですから、政策的に短期間での脱原子力を目指すならば、その費用(電気料金等の国民負担なだけでなく安定供給についての不安も含めて)についての国民の了解があるとの前提で、突き進めばいいことです。
 そうではなくて、あくまでも経済合理性と電気安定供給体制を重視するならば、相当に長い時間的余裕をみなくてはならないでしょう。その際、一つの鍵となる論点は、原子力発電所の廃炉費用と廃炉技術の確保です。
 

原子力発電所の廃炉費用は、原子力発電の継続を前提として事前に積立てられ、また、あまりにも当然至極のことですが、原子力発電の継続を前提としてのみ、必要な技術者の確保が図られている以上、脱原子力は、根本の前提を瓦解させますね。
 
 予定された稼働期間中に、予定期間終了後の廃炉費用を事前に積立する仕組みで運営されているので、原子力発電の継続を前提にしたとしても、新しい安全基準のもとでは、予定よりも早期廃炉になる施設がでるでしょうから、実は大問題なのです。ましてや、脱原子力ともなれば、全ての原子力発電施設が早期廃炉になるわけで、これは、もう、経済的には成り立たないのです。
 経済的に成り立たなくとも、廃炉措置は絶対に必要なことですから、その費用は必ず調達しなければなりません。電気料金へ反映するにしても、税金を投入するにしても、大きな国民負担になることは間違いありません。経済の問題を超えた国民の意思ということであれば、それはそれでいいのですが、果たして、国民は経済の現実を十分に理解しているのでしょうか。
 より深刻な問題として、経済のことよりも、技術者の確保は可能なのでしょうか。誰が好き好んで、なくなりゆく原子力発電に人生をかけましょうか。
 

経済的にも、技術者の確保という面からも、しっかりとした原子力政策のなかで、時間をかけ、計画的に推進しないといけないのですね。
 
 時間をかけるということは、それだけ長く原子力発電所が稼働するということです。その間、老朽化に伴う計画廃炉を順次実行していくということですが、時間が長くなれば、最新の技術による新たな原子力発電所の建設ということも視野に入るでしょう。
 それは、計画的に電源構成における原子力の比重を下げるとしても、その比重は、最善の原子力発電施設によって、また最良の原子力技術者によって、維持されなければならないからですし、そして何よりも、仮に脱原子力に向かうにしても、困難で長期にわたる廃炉作業は、経済的に、また技術的に安全に執行されるべく、その環境を整えなくてはならないからです。
 
以上


 次回更新は10月31日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2013/10/16掲載「東京電力福島第一原子力発電所の国有化
2013/03/14掲載「ここがおかしい原子力安全規制
2013/01/10掲載「東京電力にこだわり続ける、日本の明るい未来のために
2012/12/27掲載「脱原子力は原子力以上にバンカブルではない
2012/12/20掲載「原子力発電はバンカブルではない
2012/11/29掲載「東京電力なしで電気事業政策は成り立つのか
2012/11/15掲載「東京電力の「再生への経営方針」にみる政府の欺瞞

≪ アーカイブから今週のお奨めは「2011年3月11日」  ≫
2011/05/02掲載「【緊急増補版】なぜ東京電力を免責にできないのか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。