東京電力と総合型厚生年金基金の無念と自責を思う

東京電力と総合型厚生年金基金の無念と自責を思う

森本紀行
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原子力事故問題のなかの東京電力にしても、AIJ問題のなかの総合型厚生年金基金にしても、一定の社会的責任を負うのは当然で、そこには自責の念が働くでしょうが、一方で、その責任を超えて、いわれなき批判を社会から受けているとしたら、さぞや無念でしょうね。
 
 法律的には、東京電力の賠償責任は無過失責任ですから、東京電力は責めに帰すべき事由のもとで賠償責任を負っているのでありません。同じように、総合型厚生年金基金も、正規な手続きのもとでAIJに投資していたと思われるので、法律上の資産管理に関する受託者責任を問題にされることはないように思えます。にもかかわらず、東京電力にしても、総合型厚生年金基金にしても、社会的責任を痛感し、強い自責の念のもとにあるはずです。
 一方で、無念だとも思います。もしかすると、東京電力の社員の方は、まるで犯罪者扱いされているような思いかもしれません。福島の現地で事故処理のために必死に働いていらっしゃる方々に思いをはせれば、少し心が痛みませんか。AIJの不正によって被害を受けた総合型厚生年金基金の方も、同じような扱いですね。AIJの不正による被害者なのに、まるで不正の原因を作った加害者のようではありませんか。何か、おかしいですね。
 
おかしさ自体もさることながら、このような事態を前にして、何かおかしいと思える良識が国民の意識のなかに働いているのかどうかのほうが、より重大な問題ですね。
 
 おかしな事態を引き起こしている大きな原因は、良識を欠いた報道姿勢のありようです。まずは、AIJ問題について検討しましょう。
 AIJ問題に関連して、総合型厚生年金基金に多数の社会保険関係のいわゆる「天下り」の方のいらっしゃること、それらの方々は資産運用の「素人」であること、一般に厚生年金基金というのは小さな組織で資産運用の専門の人材を置いていないこと、などが「事実」として報じられています。確かに事実には違いないでしょう。
 しかし、そうした事実が、AIJ事件との関連において、一体どのような因果関係にあるというのでしょうか。こうした報道は、間違いなく、天下りの素人が適当に資産管理をしているからAIJ事件が起きたのだ、という世論の形成につながるでしょう。現実に、そうした世論が形成されてしまっている。
 しかし、十分に、また正確に報じられていない他の事実は、どうなっているのでしょうか。例えば、厚生年金基金の仕事の中核が年金給付にあること、その給付が国の厚生年金を代行する部分と企業年金としての独自の付加給付との複合であること、ゆえに複雑であり高度に専門的な社会保険関係の知識と経験を必要とすること、これが、いわゆる「天下り」の背景になっていること、このことも正しく丁寧に報道されているのでしょうか。
 また、厚生年金基金における資産運用の方法や手続きがどのような仕組みになっているのかを十分に理解したうえで、資産運用の「素人」という報道がなされているのでしょうか。年金基金の資産管理者には、技術的な意味での資産運用の専門知見が求められているのではなくて、技術的な意味での専門性を外部の運用機関に委ねる前提で、社会常識に照らして合理的といえる判断の妥当性のもとでの組織管理者としての責任が求められていることを十分に理解したうえで、資産運用の「素人」といっているのでしょうか。
 しかも、それらの「素人」の方々が、多くの場合、非常に熱心に資産運用問題に取り組まれていることは、報じられなくていいのでしょうか。私は、厚生年金基金の資産運用の自由化が始まった1990年から業界にいる、もはや最古参組です。以来22年に及ぶ厚生年金基金の資産運用の歴史は、私の個人の歴史そのもの、資産運用の専門家としての私の歴史そのものです。その間に、多くの総合型厚生年金基金の方々と共に仕事をしてきました。みなさん、今の報道が作りだした世論に従えば、社会保険関係出身の天下りの資産運用の素人です。しかし、私は、私の実体験から、歴史の事実として、私の専門家としての誇りをかけて、断言できます、これらの素晴らしい方々の真剣な努力の結果として、現在の水準にまで年金資産運用が発展してきたのであると。
 天下りの素人が適当に資産管理をしているからAIJ事件が起きたというのは、全くもって事実に反した誤認であり、誹謗中傷とすらいえることです。事実は、みなさん、一生懸命に努力して勉強して、外部の講演に参加したり専門の運用会社の人と話をしたり、各自それぞれの仕方で真剣に資産運用に取り組んできたのです。
 どなたも、努力して成果を生んだからといって、自分の報酬を増やしてもらえるわけでもないし、特別賞与を貰えるわけでもありません。総合型厚生年金基金は、加入事業所の中小零細企業が厳しい経営環境のもとに苦しむなか、掛金の引上げを抑制しながら基金の存立を図っていかなければならないという難しい経営を強いられています。資産運用は基金存立のための柱なのです。そのような状況のなかで、みなさんは必死に努力してきた。その精神的な支えは使命感だけなのです。このことは、どうしても、世の中の人に理解して頂かないといけないのです。
 
ちょうど、東京電力の社員の方が、大幅な処遇の切り下げのなかで、使命感で仕事をされているのと同じですね。
 
 そういえば、多くの人の反発を招くでしょう。東京電力は事故の原因者なのだから当然だ、事故の被害者のことを思え、親方日の丸のくせして、もともと給料が高いじゃないか、などなど、いくらも批判はあるでしょう。同じように、総合型厚生年金基金の人にも、所詮天下りが何をいうか、事実としてAIJに騙されたのは素人だからじゃないか、などなど。承知の上です。
 しかし、もしも報道する側のあり方として、公平な事実の報道、即ち多様な事実の偏らない報道がなされ、報道を受けとる側のあり方として、多様な事実を前にして自己の理性と良識だけで事態を客観的に判断しているのだとしたら、東京電力と総合型厚生年金基金に関する一方的な悪者像は形成され得ないのではないでしょうか。
 世論は多様でいいのだし、多様であるべきなのです。私の主張したいことは、ささやかなことです。東京電力と総合型厚生年金基金に対する表層的で感情的で攻撃的な批判があるなら、同時に、より深い事実認識の上に成り立つ理性的で冷静な論評(敢えて擁護的である必要もない)があってもいいのではないのか、ただ、それだけです。
 本来の報道の役割というのは、一面的な事実の報道で国民の浅薄な感情に訴えて偏った世論形成を誘導するようなことでは断じてなく、逆に、多面的な事実の報道で国民の批判精神に訴えて合理的で偏らない世論の形成に資することだろう、と信じます。
 
では、敢えて、多様な世論の形成のために、逆らったことを申しますが、今回の東京電力の料金値上げに関する不適切かつ不親切な顧客説明については、どうでしょうか。また、AIJの非現実的な安定的な高収益率に疑念を抱かなかった年金基金の非常識さは、どうでしょうか。こうした反論の余地のない事実こそが、報道に信憑性を与えているのではないでしょうか。
 
 残念ながら、その指摘の通りでしょう。しかし、誰よりも無念に思っているのは、東京電力の関係者の方々であり、AIJの被害にあった年金基金、特に総合型厚生年金基金の方々だと思います。自責の念が強いほど、無念の思いも強いでしょう。
 東京電力の問題については、経営体質あるいは企業風土に起因するものと受けとられても、弁解の余地がないようにみえます。ただし、敢えていえば、現場の混乱も考慮してあげる必要があるのではないでしょうか。経営からの指示のもと、短い時間の中で必須の課題として値上げに取り組まねばならなかったことが、説明の不備を招いたかもしれません。
 また、東京電力は顧客間の公平性ということをいっています。つまり、値上げに応じない顧客を認めることは公平性に反する、という当たり前の主張です。一方で、枝野経済産業大臣は、柔軟な対応を行政指導しています。一見、枝野大臣のほうがまともにみえますが、公平性については、どうなっているのでしょうか。もしも、東京電力が最初から柔軟な対応で値上げに臨み、結果として不公平な状況ができたら、枝野大臣は、逆に、厳格な値上げの徹底を行政指導したのではないでしょうか。
 もちろん、顧客の視点に立った対応に不備があったのは事実でしょうから、経営の失態である側面は否定できないと思いますが、東京電力の外部だけでなく現場のなかにも経営批判が起きているのであれば、実体的な経営体質の変化が進んでいるのかもしれないではないですか。
 しかし、結果的には、枝野大臣は、狡猾な政治手法を弄して、本件を、東京電力の改革が進んでいないことの証拠にしてしまいました。これで、強引な国有化へ向けて、図らずも東京電力自身が一歩を進めてしまったのです。そのことに対して、東京電力の内部には、無念に感じる人が多いと思います。その悔しさこそが、自責の念とともに自己反省を招き、東京電力が内部から再生していくための起爆剤になるのだと、私は思います。不当な国有化によっては、内部の人心を荒廃させるだけで、東京電力は変わらない、少なくとも、よい方向には変わらないでしょう。
 同じことは、総合型厚生年金基金についても、いえると思います。私は、実のところ、AIJの非現実的な安定的な高収益率に疑念を抱かなかった、ということ自体が、必ずしも真実ではないと思っているのです。つまり、これは、語弊のあるといいますか、表現しづらいことですが、本当のところは、AIJに対する一定の疑念を抱きつつも、止められなかったのだと思います。藁にもすがるというほどに、追い詰められていたのです。つまり、資産運用の素人だから騙されたのではないのです。十分に危険さを認識するだけの知見のもとに、ぎりぎりの選択として、資産管理にかかわる受託者としての責任の限界のところで、投資をしていた、というのが実情ではないでしょうか。
 もちろん、私は、被害者の総合型厚生年金基金においては、正当な手続きのもとで、AIJが正当性の外貌をきれいに整えるなかで、投資が行われていたと信じますので、そこに法律上の責任があるとは思いませんが、にもかかわらず、当事者の自責と無念は計り知れないでしょう。その悔しさは、AIJに向かうというよりも、おそらくは自分自身に向かうものだと思います。
 
しかし、どこか甘くないでしょうか。無理矢理に、よいところを見つけてあげようとしていませんか。
 
 東京電力や総合型厚生年金基金を擁護しているわけではないし、同情を感じているわけでもない。単に、視点を変えて冷静に事実をみつめ直しさえすれば、非生産的な非難攻撃ではなくて、生産的で建設的で良質な批判精神の働きが生まれてくるのではないか、といっているだけです。
 例えば、前回紹介した日本産業・医療ガス協会の電気料金値上げ分支払拒否宣言は、非常に興味深いものです。同協会は、一方で、値上げ交渉に関する東京電力の対応を厳しく批判しています。ところが他方では、料金値上げそのものについての批判の対象は、東京電力ではなくて、政府になっています。つまり、値上げの背景にある電源構成の非効率性は政治の責任として原子力政策を転換したことに起因するのだから、原子力発電施設にかかわる費用を政府負担として原価から除け、という主張です。
 この主張は、東京電力の落ち度を交渉における対応の拙さに厳格に限定し、値上げ自体については、真の原因者である政府へ批判を振り向けることで、感情を排した合理的判断の地平で問題提起しているのです。非常に冷静かつ科学的です。実に道理にかなっている。心底、この見識には感心します。
 加えて、同協会は、値上げ分支払拒否という主体的な行動にでることで、具体的な政府対応を引きだそうとしています。こうなると、政府は何らかの責任ある判断を示さないといけなくなるでしょう。もしも枝野大臣が得意の政治手法で東京電力にその判断責任を押し付けても、この協会は黙っていないと思います。こういう行動を伴う意見の表明こそが、本来の国民の批判精神の働きであり、民主主義の基底なのだと確信させる出来事です。なぜこれが可能になったかというと、同協会が、東京電力の値上げに対して、感情を差し挟まない冷静な態度で臨んだからなのです。
 
総合型厚生年金基金についても、冷静に事態を分析すれば、批判が向かう先としての政府がみえてくるということでしょうか。
 
 今、緊急の問題として対策を講じなければならないことは、総合型厚生年金基金の信頼の基盤が崩壊してしまうのを阻止することです。AIJ問題は、結果的には、制度に加入している企業からの基金事務局に対する信認を揺るがしました。基金が信認を失えば、制度からの脱退を誘発し、基金の基盤が一段と弱体化します。そのような安易な脱退は、当然に従業員の福利のためにもなりません。どうしても、総合型厚生年金基金の社会的信用を回復しなければならないのです。
 それに対して、不当に総合型厚生年金基金の信用を傷つける報道姿勢と、社会的動揺を抑えることのできない厚生労働省の無為無策とには、私は激しい怒りを感じます。かような不正義は断じて許し得ない。しかし、激しい怒りこそ感情的なものです。今は、何もいわないことにします。ただし、総合型厚生年金基金に対する不当な非難を、私は、私の職業人としての人格に対する誹謗中傷と同じものとして、受けとることを申し述べておきます。
 私は、総合型厚生年金基金に加入している全ての企業の方々に、心よりお願い申し上げたい。冷静に問題の背後にある事実を見つめていただきたいのです。企業経営者が従業員の福利を真剣に考えないはずはありません。ですから、厚生年金基金制度の維持に反対の方もいないはずです。一方で、事実として、大幅な積立不足に陥っている現状は動かせません。しかし、その積立不足の原因としては、不正確な報道とは違って、資産運用以外の他の重要な構造要因があることを、ご理解ください。
 その不足を資産運用の課題として少しでも埋めようとする努力の結果がAIJであったのならば、その教訓を、より広い視点での総合的な問題解決へ向けて、活かすべきではないでしょうか。その過程では、必ずや、政府の対応の必要性が明らかになるはずです。厚生労働省の厚生年金基金に関する技術的な対応では解決できないところまで、問題は深刻化しています。いまここで、産業界の問題として、産業界の声として、制度の維持と発展へ向けた改革を政府に要求してほしいのです。産業界の厚生年金基金に対する信認が問題解決の鍵です。逆に、不信の拡大は制度の崩壊を招きます。それだけは避けなくてはいけないのです。なぜなら、制度の性格上、変更は不可逆的であり、なくなったものは元に戻せないからです。

以上


 以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、4月19日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。