再度、投資の常識への素朴な疑問に答えます

森本紀行
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前回の「投資の常識への素朴な疑問に答えます」の続きです。よく、年金の資産運用などでは、ベンチマークということをいうでしょう。ベンチマークって、何ですか。

 ベンチマークは、英語のbenchmarkで、もともとは、測量の基準点のことをいうようですね。そこから、一般に、参照の基準を意味するようになったようです。
 年金の資産運用などでは、普通、市場指数のことをいっているのではないかと思います。市場指数というのは、例えば、東京証券取引所株価指数のようなものです。これは、日本の株式市場の価格変動の平均的動向を表現していると考えられています。同様に、世界中の様々な投資対象ごとに、平均的な変動を表す市場指数が整備されているのです。


市場の平均と比較することに、何の意味があるのでしょうか。

 資産運用の本来の目的からすれば、意味はないのです。しかし、資産運用の本来の目的に付随して、市場の平均と比較することに、意味が出てくる。意味が出てくるというか、市場の平均と比較する社会的必要が出てくる、ということです。
 概ね、二つの必要があるのです。第一は、説明責任。第二は、運用会社の評価。
 説明責任というのは、運用成果を市場の動向によって、つまり、客観的な事実によって、説明しなければならないという社会的要請です。この目的のためには、市場の平均的動きを客観的に表現する市場指数は、非常に便利です。
 例えば、総資産の全体のうち、20%を日本の株式に投資しているとします。そして、東京証券取引所株価指数が、一部の総合指数をTOPIXといいますので、そのTOPIXが、10%下落したとする。そうすると、その他の要因にして変化なければ、総資産全体に-2%の影響があるはずです。そして、事実、資産全体が2%くらいマイナスになっているとして、そのマイナスは、市場の変動で説明できる。説明できるから、問題ない、と、そのような意味があるのです。


それは、少し、おかしくはないでしょうか。説明できても、損は損ですよね。それに、何も、市場の平均どおりに運用しているわけではないでしょう。市場がどうあれ、その市場に立ち向かって、運用成果をあげようというのが、本来の資産運用では。

 そうですね。説明は、運用の目的ではない。そもそも、-2%という成果は、株式市場の10%の下落だけでは、説明できない。より重要な問題は、株式を20%組み入れていることです。
 株式に総資産の20%を投資するというのは、いわゆる運用の基本方針です。この方針は、長期的に変えないというのが、運用の常識とされています。この長期の方針の下では、株式の収益率が年毎に大きく異なることは、最初から、想定されています。-10%くらいは、当然に予定の範囲内です。上がったり下がったりしながらも、長期で均すと、それなりの収益率になる、それが方針の想定していることなのです。
 株式市場の下落でマイナスの収益率を説明しても、本当の説明責任は果たせない。たまたまマイナスになったとしても、それは想定内のことだから、運用の基本方針を変える必要はない、ということが説明できてはじめて、説明責任は果たされる。具体的には、10%の株式市場の下落は、株式の投資価値に影響を与えるものではなく、ゆえに、20%という組入比率の変更の検討も必要ない、という投資価値判断の妥当性、これが、説明の本来の対象だということです。


過去の結果の説明ではなくて、将来へ向けた投資価値判断の妥当性の説明、これが、本当の説明だということですね。そうだとすると、ますます、ベンチマークが市場指数というのは、おかしくないでしょうか。市場指数は、まさに、結果だけですよね。

 全くおかしい。ベンチマークの本来の意味へ遡って考えるべきでしょうね。測量の基準点なのですよ、本来は。将来の運用成果を見通すときの、原点としての基準点が、ベンチマークのはずです。あるいは、投資価値判断の基礎になる基準点が、ベンチマークなのです。
 そのような本質的な意味でのベンチマークは、平均資本コストでしょう。投資というのは、産業金融です。資産は全て、誰かの債務です。もっとも、金(金の地金です)だけは、誰の債務でもないので、例外です(ですから、逆に、金は資産ではない、という説も成り立ちます)。
 産業界が資金調達をして、それを実業に投資する。産業界全体の総資産利益率が資金調達コスト(平均資本コスト)を上回るのでなければ、論理的に、産業も経済も成り立たない。しかし、事実として、世界全体で、名目的に経済が成長している。ゆえに、世界の産業界は、総体として、調達コストを上回る総資産利益率を実現している。産業界から見たときの調達コストは、資産運用から見たときの投資収益ですから、論理的に、資産運用は成果を生まないはずはない。


なるほど、理論的には、平均資本コストと平均的投資収益率は一致するとして、そのような理論的要請は、現実社会では、なかなか実現しませんね。

 それはそうです。現実は、常に、予測不能な出来事の連続です。だから、世界を見る視点の基準がいる。それが、本当のベンチマーク。
 決して忘れてはならないことがあります。平均資本コスト、投資の立場からいえば、平均資本利潤率は、その構成を常に変化させていることです。つまり、資本は、投資機会を求めて、非常に速い速度で移動しているのです。いまは、完全にグローバルな時代です。全世界を資本が駆け巡る。その移動が、資本の最適配置を実現し、経済成長を実現するというのが、我々の住む社会の仕組みなのです。
 ですから、前回申し上げましたように、同じ資産構成を維持することが資産運用の常識だ、というのは、とんでもない非常識なのです。平均資本利潤率と同じ程度の投資収益を達成するためには、厳格な価値判断と、投資機会を発見する努力とが、どうしても必要なのです。


それが、前回の結論でして、実は、その先の議論を今回へ繰り延べたはずなのですが、もう時間切れのようですね。次回こそは、ズバリ、究極の論点をお願いします。ところで、市場平均との比較の、もう一つの意味に、運用会社の評価というのがありました。最後に、ここの解説を。

 資産運用の契約というのは、無制限のものではあり得ません。投資対象の範囲の限定をつけるのが普通です。例えば、日本の株式市場の全体の中で、株式運用を行う、などです。こういう場合は、先ほどのTOPIXと比較すると、運用の巧拙を判断できるわけです。当然に、指数を上回れば、うまく運用できているということです。


市場指数が、例えば、-20%のときに、-18%の成績ならば、2%の付加価値を生んだのだから、運用がうまい、ということになる、そういうことでしょうか。素人的には、マイナスはマイナスだから、いけないような気がしますが。

 論点は、市場環境の変動は、運用会社の責任外だということでしょう。それは、そのとおりですね。運用会社の力で株価を上げることできない。運用会社にできることは、銘柄の選択だけです。いかに上手に選択しても、大半の銘柄が下落する中で、プラスの収益をあげることは、至難の業でしょう。
 ただ危険なのは、市場指数との比較が、安直な説明の道具になることですね。どうかすると、責任回避の説明にも聞こえてくる。市場がマイナスなのだから、マイナスでも仕方ない、というような。
 あるいは、説明しやすい運用へ傾斜していく弊害も指摘されています。銘柄数を少なくすれば、あるいは、銘柄選択に強い傾斜をかければ、市場指数の動向とは、大きくずれる可能性がある。例えば、市場平均が20%上昇しているのに、自分の運用は10%しか上昇しない、というように。こういうときは、説明しにくい。だから、あまり個性的な運用をしなくなる。こうなると、顧客の期待を裏切る場合も出てくるでしょうね。
 やはり、本来の資産運用というのは、運用者の絶対的価値判断基準に見合う銘柄だけを、厳選して投資するものなのでしょう。そのためには、投資領域をあまり狭くしないで、運用会社の裁量余地を大きくするのも、いいのかもしれません。もっとも、その分、運用会社の責任は重くなります。もしかすると、市場指数との比較で説明できるような運用のほうが、多くの運用会社にとっては、居心地がいいのかも知れない。市場指数との比較をやめたら、言い訳ができなくなりますものね。


でも、言い訳しないのがプロの運用者ですよね。プロにとって、本当のベンチマークは、プロの誇りですよね。

 そのとおりです。

以上


次回更新は、8/12(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。