アセット・アロケーション再考

森本紀行
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リスクは、ボラティリティ(変動率)ではありません。リスクは損失です。

 これは、前回のコラム「投資の損失とリスクとボラティリティ」で論じたことです。ぜひ、ご参照ください。
 損失(リスク)は、投資している資産の価値の毀損です。一方、ボラティリティは、価格(価値ではなくて)のランダムな市場変動です。リスクは、ランダムではありません。ランダムな変動ならば、分散によって、小さくできるかもしれません。しかし、リスクは、分散によっては、小さくできません。
 ということで、投資の原点回帰シリーズ6回目の今回は、分散投資、いいかえれば、アセット・アロケーションについて考えてみます。このアセット・アロケーションというテーマは、非常に大きなテーマですので、今回は、ボラティリティに関連したことから、始めてみようと思います。
 ボラティリティは、価値が変動していないときでも、価格は変動し得ることを意味します。ということは、価値よりも価格が下回ることもあり得るわけです。この価値が価格を上回る部分のことを、バリューといいます。この点については、1月14日のコラム「価値と価格とインカムとバリュー」を、ご覧下さい。
 アセット・アロケーションの観点からいうと、バリューのある方向へ、傾斜をかけることになるのだと思います。いわゆるリバランシング(rebalancing 資産配分の再調整)の意味は、ここにあります。これは単純なことで、ある資産の価格が下落し、その他の条件にして一定であれば、その資産の時価占率は低下しますので、その低下分を埋めるように再調整する、つまり買い増す(その分、他の資産を売ることになりますね)、これがリバランシングです。

一方、逆に、価格が価値を上回るとき、つまりバリュー(割安)の逆の割高になるときは、リバランシングで売ることになる。

 結局、この意味におけるリバランシングは、割高で売って、割安で買うことになるので、投資の付加価値を生むはずです。これは間違いないでしょう。
 ところが、ご存知のように、このリバランシングの問題、それほど簡単ではなくて、色々と悩ましい問題を提起しているのです。第一に、ボラティリティではなくて、リスクだったら、どうなるのかということ。つまり、価格の下落ではなくて、価値の毀損であったら、価値の毀損したものを買い増すのは、不適切なのではないか、ということです。
 この点は、前掲のコラム「投資の損失とリスクとボラティリティ」に書いた通り、「リスクは、結果として生じた投資価値の毀損を、事実として、つまり、売却して確定した現金の損失として、受け入れること」なのだろうと思います。逆に、買い増すことはあり得ないのでしょう。もちろん、低下した価値のレベルで再評価しても、一定金額は投資できる場合のほうが多いでしょうから、全て売却してしまうということにはならないのだとは思います。しかし、買い増すことはあり得ない。

では、価値と価格を区別できるか、リスクとボラティリティを区別できるか、ということになるのですが、これは、当然にできる、といいますか、この区別をすることこそが、本来の投資の目的だといわざるを得ません。

 少なくとも、ビジネスとして投資を行うものの職業倫理的な要請として、運用者は、投資対象の価値分析に基づく自己の投資判断に対して、責任を負うのでなければなりません。では、企業年金基金のような投資の委託者のレベルでどうすればよいのかというと、確かに、プロの運用者と同列には論じられないものの、基本的要請は同じで、やはり、外部の専門家の意見等を聴取した上で、自らの投資家価値判断を求められるのだと思います。
 また、リスクとボラティリティを区別したとしても、ボラティリティそのものにも、問題があるのです。ボラティリティというのは、定義により、ランダムなものなので、充分に長い一定期間をとれば、本源的価値の上下で、価格変動がキャンセルアウトするはずです。だからこそ、リバランシグに意味があるのです。
 しかし、「充分に長い一定期間」とは、どのくらいの期間なのかは、よく分からないのです。また、「本源的価値の上下」の、その上下変動の幅が、どれくらい大きなものになり得るかも、よく分からないのです。極めて現実的な可能性として、リバランシグを続けることで、見かけ上の損失、あくまでも、評価上の損失であって、価値の毀損がない限り本当の損失損ではないのですが、この見かけ上の損失は、想定を大きく超えるところまで、拡大してしまうことになるのです。
 どのような資金でも、定期決算や利害関係者への説明など、社会的制約の下にあります。見かけ上とはいえ、過大な損失の計上には、限界があるのだと思います。ましてや、金融機関のように、評価損が資本を控除してしまうような仕組みの場合、リバランシグなど、多くの場合、できはしないのです。
 この問題、実は、分散の効果とも深い関係があります。もともと、アセット・アロケーションの考え方は、分散によるボラティリティの、リスクの、ではなくて、あくまでもボラティリティの、削減を目指したものです。価格変動のパタンが、資産ごとに異なれば、複数資産を組み合わせた全体合計の価格変動は、内部的なキャンセルアウトにより小さくなる、というのが基本原理です。また、実際に、リバランシグが一番有効なのは、半分くらいの資産が割高で、半分くらいが割安で、しかも、それが一年以内くらいに、割高・割安が、循環的に交替するときでしょうね。
 昨今、資産間の連動性の高まりと、変動幅の拡大が、顕著なようにもみえます。もしも、これが、構造的な問題だとすると、全体ボラティリティ削減のためのアセット・アロケーション、逆にボラティリティから付加価値を生もうとするリバランシング、両方とも、難しくなってしまうのだと思われます。そこで、登場するのが現金でしょう。
 「キャッシュ(現金)は王様(cash is king)」というのは、確かに、一面の真実です。現金を増やせば、確実に、全体のボラティリティは下がります。また、現金から割安なものへリバランシング、割高なものから現金へリバランシング、というのは、全体が割安、全体が割高になった場合にも、依然として有効なリバランシングであるわけです。
 一方で、現金は、投資価値が一番小さいので、それを保有することは、機会利益の喪失(opportunity cost 機会のコスト)になります。ところが、逆に、現金を保有するところから生まれる別の投資の機会が大きいのであれば、必ずしも、コストではないかもしれないのです。

さて、ボラティリティの管理手法としてのアセット・アロケーション、および、その延長にあるリバランシグをめぐる問題を整理しますと、以下の三つになるのだと思います。

 第一に、従来のアセット・アロケーションは、あくまでもボラティリティ管理の手法であって、リスク(投資価値の毀損として本当の損失)を回避する手法ではないことです。リスクは、投資対象の「選択(アロケーションではなくて、セレクションselection)」の問題であって、投資対象の「分散(選択した範囲での配分決定)」の問題ではないのです。これは、次の機会に論じましょう。
 第二に、リバランシグが有効である条件は、資産間の連動性が著しく高くなく、価格変動幅が著しく大きくなく、価格の逆方向への調整に要する時間が著しく長くはない、そういう場合だということです。これらの条件が充足しないときは、リバランシングはしないほうが良い。
 第三に、リバランシングをしないほうが良いような状況では、現金保有の意味を積極的に考える余地があるということ。
 これらのことが、私の表現や整理方法と、違う形で議論されていることは、承知しています。政策アセット・アロケーションの見直しとか、リバランシング許容幅の見直しとか、そういう議論は、本稿の問題意識と同じなのです。次回以降、もうすこし、このアセット・アロケーションをめぐる検討を深めていきたいと思います。

アセット・アロケーションとアセット・セレクション(2010.3.4掲載)
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。