投資の損失とリスクとボラティリティ

森本紀行
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投資の原則は、損をしないことです。必ずしも、儲けることではない。資産は、それ自身として、本源的収益性を有します。

 つまり、資産の保有に収益は内包しているのです(この点については、1月14日のコラム「価値と価格とインカムとバリュー」を、ご参照ください)。ですから投資とは、その収益を帳消しにするような損失をださないように、資産を管理することなのです。
 では、投資の損失とは何か。自明のようなことで、しかも基本的すぎるくらい基本的なことなのですが、なかなか難しい問題です。
 原点に返って、考え直しましょう。2月 4日のコラム「クレジット投資の魅力」に書きましたように、「お金を貸したら、一定期間後に利息をつけて戻ってくること、これが投資の、というよりも金融そのもの、原点です。お金が戻ってくる、つまり、リターンreturnしてくるから、リターン(投資収益)というのです。」
 原点においては、問題は全く自明で、要は、損失とは、リターンしてきた金額が、最初に出した金額よりも、少ないことを意味するのです。これは、始点の現金と終点の現金を比較(キャッシュ・オン・キャッシュcash on cash)する、原始的ですが、しかし、基本的な考え方です。現金の増えた分が利益で、減った分が損失です。
 この考え方、全く正しいのですが、実務的には、少し問題があります。「始点の現金と終点の現金」の比較という点です。つまり、始点と終点が明確である場合は、簡単なのですが、世の中、そういう単純な場合は、必ずしも多くないのです。

話は、例によって飛びますが、金銭信託というものがあります。年金資産をはじめ、ほとんど全ての資産運用において、資金の受け皿には、この金銭信託が使われています。

 実は、金銭信託は、基本要件として、有期であることと、金銭(まさに現金)による出し入れを前提にしています。ですから、本来は、信託した金銭の額と、信託終了後に戻ってくる金銭の額とを比較して、増減を測定すればよいのです。減っていれば、減った額が損失となる、そういう単純な仕組みを原型としています。信託期間を一会計期間とした単純な現金経理、これが金銭信託の基本です。
 脱線ついでに大航海時代に飛べば、当時は、航海は一つの投資です。まずは、初期投資金額で船を仕立て、商品を仕入れて出航する。途中、様々な港で、商品を売り、換わり金で別の商品を仕入れ、そうして出航地へ戻り、商品を全て売却して、投資金額を回収する。その一航海を一会計期間として、初期投資額と回収額とを比較して、損益をはじく。信託と同様な現金経理です。
 信託や航海のように、始めと終わりの明確なものについては、損失の何たるかは自明です。ところが、多くの場合、投資もまた、企業(ゴーイング・コンサーン、going concern継続企業)と同じで、半永久的な継続事業として行うのです。ですから、始めと終わりは、明確ではない。故に、人工的に期間を切って(最長一年ですね)、当該期間の損益を計測することになります。
 こうなると、とたんに、損失とは何かが、わかりにくくなります。損失は、あくまでも、計測期間中の損失であって、必ずしも、現金で確定した損失ではないのです。この問題をめぐる議論は、ご承知のように、全くきりがなく長く続けられているのですが、いまだに、よくわからないのです。困ったものです。

また、話は飛びますが、sleep well at night(夜よく眠る)という表現があります。

 これは、朝、現金から投資を開始し、夕刻に帰宅するときは、全て売却して現金に戻すことをいうのです。夜間は、現金になっているので、海外の市場で何が起きようが全く心配することなく、よく眠れる、という意味です。銀行や証券会社などの自己勘定取引部門や、商品の運用会社などでは、現実に行われていることです。
 このsleep well at night、投資の本質または投資の損失とは何かを、考える際に有益です。このやり方だと、確かに、投資という行為は継続的に行われていても、それは、一日で清算される投資の連続として行われるので、どの期間で切ろうが、その期間の損失は、明らかに現金としての明確で疑義のない損失であるわけです。
 同じ流儀で、一年の始め、日本年度でいえば、4月1日に、現金から運用を開始し、翌年初くらいから現金化を始めて、3月31には完全に現金に戻す、そのような投資を想像してください。一年というのは短すぎるかもしれません。いま、現金で始めて現金で終わるまでの期間を、ホライズン(horizon)とよびましょう。ホライズンは、計画のない投資はない、としたときの、その計画の想定する期間です。これは、一年ではないかもしれませんが、一方で、漠然として「長期」でもあり得ないわけです。おそらく、3年くらいでしょうか。
 ところで、現金化することは、損益の明確な確定という意味で、筋が通るような気もしますが、問題もあります。現金化して、もう一度、買い戻すのは、無駄であろう(いわゆる「タイミングのリスク」も含めた取引コスト)ということと、全ての資産について同じホライズンを適用するのはおかしいであろう、ということです。
 そこで、常識的には、投資対象ごとに、ホライズンを定めて投資したならば、それぞれ、ホライズンの終期に売却することを前提にするのだが、改めて、その売却価格においても充分に投資価値があるならば、どうせ買い戻すことになるので、保有を継続する、そのような管理になるのだと思います。
 ここでのポイントは、「売却価格においても充分に投資価値があるならば、保有を継続する」ということです。逆にいえば、価値がないならば、売却する。もっと常識的には、保有価値がなくなった時点で、ホライズンの途中と雖も、売却すべきだ、ということでしょう。そこで、損失がでるならば、それは、明確な現金の損失として、確定すべきだということです。価値の下落は、間違いなく、損失なのです。
 このとき、価値と価格の峻別は、決定的に重要です。このことについては、私は、繰り返し、繰り返し論じています。2009年12月17日のコラム「価値の変動と価格の変動」や、前掲の「価値と価格とインカムとバリュー」をご参照いただけると、助かります。

さて、いよいよ、今回のタイトル「投資の損失とリスクとボラティリティ」との関係で、いきなり結論的定義へ進みましょう。

 即ち、リスク(risk)とは、価値の変動であり、ボラティリティ(volatility)とは、価格の変動であると。更には、狭義のリスクとして、価値の下落(変動は上昇も含むので)を定義しましょう。狭義のリスクが、より常識的なリスクであるのは、もちろんです。
 こういうと、リスクは損失ではなくて、損失の可能性だろう、といわれるかもしれません。その通りでしょう。しかし、そもそもが、損失の可能性のあるものに、投資する人はいない。損失は、結果的にのみ、認識されます。リスクは、結果として生じた投資価値の毀損を、事実として、つまり、売却して確定した現金の損失として、受け入れることでしょう。
 実は、現金化の最大の難点は、ボラティリティです。これは、価値変動と関係なく、勝手に変動している全くランダムな要素です。期間損益を測定すれば、ボラティリティによって、表面的に損失のでることは、かなり大きな可能性としてあります。しかし、この損失は、価値が変動していない限り、複数の計測期間を跨げば損益相殺して消える性格の、見かけ上の損失です。故に、ボラティリティによって、常時、価格変動している中で、定期的に現金化することは、タイミングのリスクも含めた総取引コストの観点から、好ましくないわけです。
 一方で、価値の毀損は、必ず現金の損失として、確定することが重要だろうと思います。これは、とりわけ、投資の規律(ディシプリンdiscipline)、あるいは統制(ガバナンスgovernance)の視点から、重要なのです。価値の下落に起因する価格の下落と、ボラティリティによる価格の下落とを、明確に区別すること、いいかえれば、本当の損失を認識することこそが、投資の本質だからです。その本質を際立たせるには、損失を現金の損失として、明示するのが一番いいのです。
 私は、「長期投資」という言葉が、好きではありません。このような「漠然とした大きな言葉」は、ディシプリンやガバナンスの不在と、実質的に同義になる場合があるからです。短期的なボラティリティに惑わされてはならないことは、当然です。しかし、いかに短期でも、リスクには、即時に対応すべきです。
 ボラティリティは、長期に付き合う以外に、対処の仕様がない。その意味で長期投資なのですが、あくまでも、その意味でのみ、長期なのです。


森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。