信託業と投資運用業の責任の境界線

信託業と投資運用業の責任の境界線

森本紀行
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投資運用業は、実は、それ単独では、成立しません。なぜなら、投資対象の資産を管理保全する機能を含まないからです。そこは、信託業の担当する業務です。法律は、理由があって、このように業務を二つに分けたのですが、分けたからには、責任の境界が問題となります。ところが、この境界線、不鮮明なところがあって、深刻な問題を生じているのです。
 
 投資運用業の代表的な業務として、投資信託がありますが、これは、まさに、信託業と投資運用業を結合させたもので、そのことは、名称に明瞭に現れています。
 投資信託は、多数の小口の個人投資家の資金を集め、一つの信託という器に統合して大きな資金の塊とし、専門家としての投資運用業者に投資判断を一任することで、個人が独自で小口資金を運用するよりも、効率的な運用を可能ならしめるものです。
 従って、投資信託というのは、多数の投資家を募るという販売の機能、多数の投資家の資金を管理保全するという信託の機能、そして、信託された資産を一任で運用するという投資運用の機能、この三つの機能が結合して、成立するものなのです。
 金融庁は、これらの機能を演じる各当事者に対して、フィデューシャリー・デューティーを果たすことを求めているのですが、フィデューシャリー・デューティーというのは、本来は英米法の言葉で、日本法では、忠実義務のことです。
 忠実義務といえば、専らに顧客である投資家のために働けという当然至極の義務ですが、日本では、驚くべきことに、単なる精神規定に堕していて、何ら実効性がないのです。つまり、投資信託では、販売会社や、投資運用業者等の利益が優越しているとしか考えられないような事態が横行しているのです。
 そこで、金融庁は、敢えて、忠実義務をフィデューシャリー・デューティーに置き換えて、それが実際に果たされることを求めるに至ったのです。いうなれば、フィデューシャリー・デューティーは、履行強制力のある忠実義務です。
 
販売、信託、投資運用の各機能とフィデューシャリー・デューティーとの関係は、どうなるのでしょうか。各当事者が、自分の領域についてのみ、個別の責任を負うのでしょうか。それとも、全員が連帯して、一つの責任を負うのでしょうか。
 
 どのように法律上の責任関係を整理するかは、投資信託が本来の目的にそって健全なる発展を遂げられるように、投資家の利益の保護を最上位の価値として位置付けたうえで、金融庁の高度な政策判断において、設計されるべきものです。
 その際、論点の第一は、各当事者は、それぞれに異なる専門性をもったものとして、また、利益相反の防止のために、相互に独立なものとして、敢えて、機能分割されて、分業制度のもとに構成されている以上、個別の責任を負わなければならないということです。
 また、逆に、各当事者の責任が統合されてこそ、投資家に対する責任の全体が果たされるのですから、第二の論点としては、そこに、ある種の責任の連帯性を構成する必要もあります。
 個別責任とはいっても、完全に責任を分割できるはずもなく、関係者が共同して処理しなければならないような事態も当然にあるわけです。そのようなとき、各当事者が、個別責任を盾に、自己の狭い領域の責任に閉じ籠ろうとすれば、投資家の利益が守られなくなる事態も生じ得ます。
 
日本の投資信託では、二つの論点ともに、大きな構造問題があるようですが。
 
 機能を分割したのは、いうまでもなく、利益相反防止が目的です。販売、信託、投資運用を同一のものに行わせれば、全ての行為が内部関係のなかに隠されて、相互監視が働かなくなり、密かに業者の利益が優越し、投資家の利益が損なわれる事態を阻止し得なくなる可能性があります。
 ところが、日本の実態では、販売、信託、投資運用は、確かに、表面的には別々の会社によって担われていても、それらが同一の金融グループ傘下に属していたり、販売会社の力が圧倒的に優越して他が従属的な地位になっていたりと、各当事者の力の均衡による相互監視が働きにくくなっています。
 また、信託の機能に属すべき事務管理の多くが、販売と投資運用を行うものによっても担われており、そのことによって、業務の共同作業による連帯責任を生み出しているというよりは、責任分担の曖昧さによる共同無責任と、事務の非効率が生じているのです。
 
そうしますと、鍵は、信託の機能を整理して、販売、信託、投資運用の三機能の責任分掌を明確化することですね。
 
 なかでも特に重要なのは、表題に掲げたとおり、信託と投資運用の機能における責任の明確化と、責任の連帯性の確認です。
 責任の明確化という視点では、信託の機能に固有に属し、投資運用の機能からは完全に独立した責任領域は何か、また逆に、投資運用の機能に固有に属し、信託の機能からは完全に独立した責任領域は何かを明らかにする必要があります。
 責任の連帯性という視点では、信託と投資運用の両方の機能の共同によって責任が担われるべき領域について、信託の責任が主で、投資運用の責任が補助的であるものと、また逆に、投資運用の責任が主で、信託の責任が補助的であるものとを明らかにする必要があります。
 つまり、信託の専管事項、投資運用の専管事項、信託と投資運用の共管事項のうち信託が主責任で投資運用が補助責任になるもの、逆に投資運用が主責任で信託が補助責任になるもの、以上の四つに、責任をきれいに分ける必要があるということです。
 こうして、信託と投資運用の機能について、個別責任の明確化、共同責任の明確化、共同責任における最終的責任の所在の明確化がなされることが、それぞれのフィデューシャリー・デューティーの徹底の前提条件になるということです。
 いうまでもありませんが、同様の整理は、販売と信託、販売と投資運用についても、なされる必要があります。そうすることで、本来あるべき投資信託の姿と、そこにおける関係当事者間の責任関係が明確になってくるはずであり、それに応じて、必要な制度改正等を行えばいいのです。
 また、信託と投資運用の関係は、投資信託に限らず、年金基金等の資産運用も含めて、投資運用業の全ての領域に共通の問題であることも、念のため、付け加えておきます。
 
では、まず、投資運用の専管事項は何でしょうか。
 
 当然のことながら、投資判断の決定です。具体的には、投資対象の銘柄の特定、売り買いの別、数量、価格、約定日、取引の相手方、取引の方法等にかかわる意思決定です。投資運用業者は、投資の意思決定に基づき、実際に、取引の相手方との間で、約定を成立させます。
 投資運用業者の責任領域は、この約定の成立までであって、決済から先の機能は、信託専管の領域、もしくは信託との共同責任の領域です。なぜなら、制度上、投資運用業者は、資産を保有していないからです。ここには、資産の保有は信託、その運用は投資運用という厳格な遮断壁があるのです。
 
次に、信託の専管事項は何でしょうか。
 
 投資運用業者は、約定成立までの責任を負うとしても、資産を保有していない以上、その次の決済から先の業務は、原理的には、全て信託の専管事項です。実際、取引所で集中取引がなされている上場株式などや、公募発行の債券については、原理原則の通り、信託の専管事項になっているはずです。
 ところが、外国籍投資信託、組合等への出資持分、私募で発行された債券、非上場株式、不動産等、当事者の相対(あいたい)で取引されるデリバティブ等については、投資運用業の側に決済に必要な情報が集中しているので、信託業者としては、投資運用業者の協力がない限り、決済等の事務処理を行うことができません。
 従いまして、これらの投資対象については、広範に信託と投資運用の機能の共同が生じるのです。なお、投資信託はともかく、年金基金等の運用では、これらの投資対象に広範に投資されており、決して、例外的な問題でないことを、念のため、申し添えておきます。
 
論点は、共同責任を負う業務のうち、信託が主たる責任を負うものと、投資運用が主たる責任を負うものとの間に、明確な線引きを行うことですね。
 
 原理的には、信託業者が行う業務の執行について、投資運用業者には、必要な情報を提供する義務、および信託業者が必要な情報を入手できるように支援する義務があることは明瞭ですが、逆に、投資運用業者は、情報の提供等についてこそ主たる責任を負うものの、その後の事務処理については、全面的に、信託業者に主たる責任があるはずです。
 例として、私募の外国籍投資信託について、考えてみましょう。投資運用業の投資判断としては、投資信託の銘柄、買付もしくは解約の別、基準日、投資金額、この四点を決めることだけです。この四点を、信託業者に指図すれば、その後は、信託の業務になります。
 もちろん、これだけの情報では、信託業者は、事務ができません。そこで、投資運用業者の責任として、申込先となる投資信託の管理会社名や連絡先等の情報を、信託業者に伝えることが必要です。これは、投資運用業者が主たる責任を負わなければならないことです。
 その後、信託業者は、管理会社と連絡をとり、申込書の送達や入出金等の必要な事務処理を行うわけですが、これは、信託業者が主たる責任を負う業務であって、投資運用業者は、連絡を円滑ならしめる等の支援を行う補助的責任を負うのみです。
 これらのことは、時価の取得を考えれば、よくわかるはずです。信託業者は、定期的に、時価を取得して、資産評価をしなければならないのですが、もしも、その時価を投資運用業者から得るとすれば、その正しさを保証できなくなるのは、自明です。
 時価取得は、信託業者が、第三者として、客観的立場で行うからこそ、意味があるのです。しかし、投資運用業者には、時価を取得する方法等について信託に情報を提供し、時価の妥当性を確認するなどの補助者としての義務があることも自明です。
 
現実に、信託と投資運用の責任の境界線は、明瞭に設定されているのでしょうか。
 
 時価の取得も含め、本来は信託の主たる責務である領域において、投資運用業者が主たる責務を担っているのが現実です。これは、運用対象の拡大に伴い、事務能力の高度化が求められるなか、信託の機能が追い付けなくなっており、投資運用業への依存を高めていることが原因だと考えられます。
 
ならば、当然のこととして、信託業界において、事務能力の向上のために、人的資源の強化など、必要な投資をすべきではないでしょうか。
 
 もちろん、そういうことです。しかし、その障害として、信託機能に対する報酬が著しく低いことが指摘されています。
 実は、販売、信託、投資運用の責任を明確に再定義することは、各当事者が受け取るべき報酬を合理化するための前提です。フィデューシャリー・デューティーの重要な要素に、報酬の合理性ということがあるのですが、合理性とは、いうまでもなく、責任に応じた報酬のことです。
 信託業界には、報酬の少なさを理由に、自己の責任を極力小さくしようとする傾向があります。しかし、これは、商人として、根本的に誤った思想です。商業の王道として、しっかりと責任を負うからこそ、より多く報酬がとれると考えるべきなのです。
 販売、信託、投資運用の各報酬の合理化がなされる結果として、顧客に対する関係で、報酬の総額が合理化されるわけですが、そのとき、総報酬の水準が問題である以上に、販売、信託、投資運用の報酬の内訳が問題なのです。
 信託が責任を果たすならば、信託の取り分が上昇しても、投資運用の責任が合理化されるならば、投資運用の立場からは、少しも問題ではないのです。
 
以上

 
 次回更新は7月30日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/06/25掲載「投資信託のあるべき姿
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか
2014/07/03掲載「受託者としての資産運用の担い手
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判

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2012/09/13掲載「とかち酒文化再現プロジェクト
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。