投資信託のあるべき姿

投資信託のあるべき姿

森本紀行
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普通に投資信託といわれているものは、法律上は、委託者指図型投資信託です。ここで委託者というのは、投資信託を運用している投資運用業者のことです。なぜ、投資運用業者が委託者なのでしょうか。委託者というのは、資金をもっていて、その運用を投資運用業者に委託するもの、即ち、投資家であるべきではないでしょうか。日本の投資信託は、そもそも、構造がおかしいのではないでしょうか。
 
 普通に投資信託といえば、法律上の委託者指図型投資信託のことですから、ここでは、この意味で、投資信託という言葉を用います。さて、この日本の投資信託ですが、固有の歴史的背景もあって、現時点からみれば、また海外の動向からみても、根本的な構造において、特異なもの、抜本的改正の余地の大きなものといわざるを得ません。
 投資信託を成り立たせるためには、信託受託者の機能、資産を管理保全する機能、資産を運用する機能、投資家の接点としての機能の四つの機能が、それぞれの機能を担当するものによって有機的に連結され、各機能を担うものが自己の責任を全うすることが必要です。
 日本の投資信託においては、この機能の区分と、各関係当事者への責任の配賦について、投資家の利益を守るという視点からみるとき、必ずしも制度設計がよくできているわけではなく、事実として、金融庁も指摘している通り、投資家の利益が損なわれる事態もおきていると考えられるのです。
 
金融庁がフィデューシャリー・デューティーを導入した背景ですね。
 
 金融庁は、昨年9月に公表した「金融モニタリング基本方針」のなかで、投資信託を念頭に置いて、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」と述べています。
 商品開発、販売、運用、資産管理という機能区分は、私の区分とは、少し異なりますが、本質的に重要なことは、金融庁の施策として、「それぞれに携わる金融機関」について、自己の機能と責任を明確化することと、それらの責任をフィデューシャリー・デューティーで括ったうえで、「実際に果たす」ことを求めたことです。
 
フィデューシャリー・デューティーとは何でしょうか。
 
 これは、英米法の概念ですから、法体系の異なる日本法のもとでの投資信託には、少なくとも直接的な法律上の意味では、適用のないものです。にもかかわらず、金融庁がフィデューシャリー・デューティーをもちだしたからには、それは、現行制度の改革の方向性について、重要な指針としての役割を演じるものでなければなりません。
 フィデューシャリー・デューティーとは、実は、英米法では、信託受託者の機能なのです。私は、先に、投資信託の全体機能を、信託受託者の機能、資産を管理保全する機能、資産を運用する機能、投資家の接点としての機能に分けました。このうち、後の三つは、金融庁の機能区分では、資産管理、商品開発・運用、販売に該当しています。そして、最初の信託受託者の機能は、金融庁の表現では、フィデューシャリー・デューティーとして、後の三つの機能を括る最上位のものになっているのです。
 
投資信託において、フィデューシャリー・デューティーが最上位の概念として位置づけられたということは、信託受託者の機能が根底におかれるべきだという主旨でしょうか。
 
 フィデューシャリー・デューティーというのは、関係各当事者に対して、専らに投資家の利益のために行為することを求めるものであり、日本法の用語でいえば、忠実義務のことです。信託受託者というのは、フィデューシャリー・デューティーが履行強制力のあるものとして作用するように、制度の番人の役割を果たすものなのです。
 本来の投資信託においては、販売、資産運用、資産の事務管理という機能は、投資家の利益を守る番人としての機能に従属付随し、販売、資産運用、資産の事務管理の各責任は、投資家の利益を守る番人の責任としてのフィデューシャリー・デューティーに連帯するものでなければならないのです。
 
しかし、投資信託の主たる機能は、資産運用ではないでしょうか。
 
 その通りです。確かに、投資信託は、資産運用の器です。しかし、器が、投資家の利益を守るための装置を具備しておらず、投資家の犠牲のもと、販売会社や運用会社の利益のために、使われているのならば、社会的には、何の意味もないでしょう。故に、フィデューシャリー・デューティーが必須の要件になるのです。
 このことは、企業の経営についても同じなのです。企業は、事業活動の器です。しかし、器が、株主や株主以外の利害関係者の利益を守るための装置を具備していなければ、社会的には、何の意味もないでしょう。故に、企業統治が、上場企業についていえばコーポレートガバナンス・コードが、必須の要件になるのです。
 
では、日本の投資信託の現状を離れて、本来の投資信託のあるべき法律上の形態を考えるとしたら、どうなるでしょうか。
 
 フィデューシャリー・デューティーの歴史的背景や、海外の投資信託の基本構造をもとに、原理的な形態を考えてみましょう。
 まず、自明なことは、投資家は、運用すべき資金をもっていて、その運用手法として、投資信託を採用するということです。さて、このとき、投資信託が備えていなければならない必須の要件とは何でしょうか。
 それは、いうまでもなく、投資家の資金が、専らに投資家の利益のために運用されることです。このことを、日本法では忠実義務というのですが、残念ながら、忠実義務には履行強制力がなく、単なる精神規定として形骸化しているのが、日本の現実です。そこで、履行強制力のあるフィデューシャリー・デューティーが導入されるわけです。
 まず、投資家は、運用の委託者として、資金を信託し、信託の受益者になります。そして、信託の受託者に対しては、フィデューシャリー・デューティーが課されます。
 受託者は、制度の番人であって、資産運用や事務管理を行うものでありません。そのような専門分野については、専門家を指名して、業務を委任することになります。
 採用された専門家は、受託者と連帯して、フィデューシャリー・デューティーを負います。連帯するからこそ、相互監視が働き、フィデューシャリー・デューティーに履行強制力が生まれるのです。
 連帯責任のほか、フィデューシャリー・デューティーに履行強制力を付与するためには、一定の外形を備えた行為からフィデューシャリー・デューティー違反を推定できるような制度的工夫がなされます。
 
それは、投資信託成立の理念形ですね。現実には、運用会社の主導で、販売会社を使って資金を集めることにより、投資信託が作られるのではないでしょうか。
 
 投資信託は、運用会社の事業として営まれている以上、当然に、そのような成立の経路になります。しかし、一旦、投資信託が成立すれば、それは、信託として、信託受託者のフィデューシャリー・デューティーを中心とした法律関係のもとに、運用会社等の関係当事者が拘束される仕組みとなります。
 
その法律関係は、販売会社も拘束するでしょうか。
 
 販売会社は、投資信託に必須のものではありません。原理的には、投資家を募る行為は、運用会社自身が行うものです。しかし、現実には、運用会社は運用に専念し、投資家を募る業務を販売会社に任せるのが普通ですし、それによって、分業による効率化が図れるのも事実です。
 このような現実のもとで、金融庁は、販売会社にも、フィデューシャリー・デューティーを果たすことを求めています。その意味は、原理的には、販売会社は運用会社の委任を受けて投資家を募っている立場ですから、運用会社は、自己のフィデューシャリー・デューティーのもと、販売会社の行為を統制する責任を負い、逆に、販売会社は、その統制に服する義務を負うということだと思われます。
 
さて、理念形としての投資信託に対して、日本の現実の投資信託は、どうなっているでしょうか。
 
 歴史的な経緯として、日本の投資信託が証券会社の事業として始まったことは、今日に至るも大きな影響を及ぼしています。つまり、事業全体として、販売会社主導の色彩が著しく強いのです。また、事実上、信託の真の受託者責任が不明確で、敢えて強い表現を用いれば、投資信託としてのあるべき姿とは、似ても似つかないものなのです。
 まず、運用会社は、販売会社を介して、もしくは自己自身により(いわゆる直販)、投資家を募ります。運用会社は、委託者として、集めた資金を受託者である信託会社(現実には、信託銀行)に信託します。その結果、投資家は受益者となります。これが、日本の投資信託の法律関係です。
 しかしながら、法律の制度としての信託を離れて、実質的な意味において信託関係を検討すれば、投資家は、販売会社を経由して、運用会社に資金を信託し、運用会社は、それを、形式的な意味で、信託会社に、委託者として、信託しているわけです。
 日本の投資信託の法律構造では、形式的な受託者にすぎない信託会社は、事務管理を行い、形式的な委託者である運用会社は、実質的な信託の受託者としての機能と責任を負います。つまり、受託者責任は、信託会社の形式的なものと、運用会社の実質的なものに、二分しているわけです。
 しかし、これをもって、受託者責任を厚くしたものとみることはできません。責任の連帯による強化よりも、責任の曖昧化となっている側面を否定し得ないのみならず、事務の二重化の非効率を招いているだけの可能性が高いのです。
 
販売会社が主導するものなら、販売会社こそが、投資家から資金を預かるものとして、受託者の責任を負うべきではないでしょうか。
 
 歴史的にも、また、今日の現実においても、事業の構造として、投資家との接点を支配している販売会社が、自己の営業政策に基づいて商品企画を行い、その実行のために運用会社をもち込んでいるわけです。あるいは、実質的に同じことですが、運用会社は、販売会社の営業政策に基づいて、商品企画を行い、運用商品を販売会社にもち込んでいるのです。
 故に、もしも、この投資信託の実態を認めるならば、真の実質的な意味において、販売会社の責任こそ、投資信託の受託者責任の中核に据えなければならないでしょう。しかし、それも、おかしなことで、やはり、本来あるべき投資信託の姿を確立し、現実を理想に近づけるほうが、素直でまともな考え方です。
 つまり、販売会社主導のあり方を廃し、運用会社は、自己の責任において、商品企画をし、投資家を募る手段として販売会社を統制して使う、そのような運用会社主導の構造にしなくてはなりません。また、信託会社は、全体の受託者責任の中枢として、運用会社が担っている業務のうち、運用以外のものについては、信託受託者の責任、もしくは事務受託会社の責任のもとで担われるように、責任の配賦の合理化に努めるべきです。
 金融庁が「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」と述べたとき、全体責任をフィデューシャリー・デューティーで括ったうえで、それが「それぞれに携わる金融機関」に合理的に配賦され、相互牽制のもとで、確実に履行されることを求めたものと、理解するほかないのです。
 
以上

 
 次回更新は7月2日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。