ルール遵守で馬鹿になった金融機関

ルール遵守で馬鹿になった金融機関

森本紀行
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ルールからプリンシプルへ、金融庁の姿勢は、大きく変わりました。背景にあるのは、金融界における表層的なルール遵守の徹底が、かえって、ルールが守ろうとしている社会規範そのものへの顧慮を欠落させ、原理に遡って考える習慣を失わせ、金融の社会的機能を低下させているのではないか、という危惧です。さて、金融界、形骸化したルール墨守を脱し、プリンシプルで自己を律して、社会に貢献できるように変身できるか。
 
 金融は非常に広い。そこで、投資信託の販売という具体的な事例から始めましょう。
 金融庁は、2012年2月15日付で、「金融商品取引業者等向けの総合的な監督指針」を改正しています。そのなかで、新たに設けられた項目として、以下があります。
 「投資信託は、専門知識や経験等が十分ではない一般顧客を含めて幅広い顧客層に対して勧誘・販売が行われる商品であることから、顧客の知識、経験、投資意向に応じて適切な勧誘を行うことが重要であり、特に以下のような点に留意して監督するものとする。
 (1) 投資信託の分配金に関して、分配金の一部又は全てが元本の一部払戻しに相当する場合があることを、顧客に分かり易く説明しているか。
 (2) 通貨選択型ファンドについては、投資対象資産の価格変動リスクに加えて複雑な為替変動リスクを伴うことから、通貨選択型ファンドへの投資経験が無い顧客との契約締結時において、顧客から、商品特性・リスク特性を理解した旨の確認書を受け入れ、これを保存するなどの措置をとっているか。」
 監督指針は、ルールではないのですが、監督される金融機関としては、指針に沿った行動をとる方向へ意識付けられますから、事実上、ルールとして機能します。
 

直近のルールとしては、日本証券業協会の新しい自主規制の施行がありますね。
 
 この12月1日に施行されたばかりです。これは、上の監督指針の(1)に関連したもので、「トータルリターン」を、定期的(年一回以上)に、投資家に通知する制度です。なお、この自主規制の導入自体は、2013年6月28日のことです。
 「トータルリターン」というのは、「投資期間全体の累積分配金を含む累積損益」のことです。分配金のなかに元本の払い戻しを含んでいれば、元本の上に発生している実質的な損益は、投資家自身が面倒な計算をしなければ把握できません。その投資家の手間を省くための制度です。
 

新たなるルールが作られた背景は何でしょうか。
 
 それについては、2012年12月7日に金融庁が公表した金融審議会の「投資信託及び投資法人法制の見直しに関するワーキング・グループ」の最終報告書を引用するのが一番いいでしょう。そこには、以下のように書かれています。
 「海外資産への投資割合が上昇する一方、商品の複雑化・リスクの複合化が進行している。これらに伴い、投資信託に係る手数料率が上昇傾向にある。また、元本の払戻しを伴う多頻度の分配を行う商品の普及により、全体的な得失の把握が難しくなってきている。」
 つまり、「分配金の一部又は全てが元本の一部払戻しに相当する場合」や、「複雑な為替変動リスクを伴う」投資信託について、「手数料率が上昇傾向にある」ことや、「全体的な得失の把握が難しくなってきている」実態があり、それが、顧客の利益に反する可能性のあることについて、金融規制当局は、懸念をもっているということです。これが、ルールのできた背景です。
 

ルールは、遵守されているのでしょうか。
 
 完全に遵守されているようです。現在では、「複雑な為替変動リスクを伴う」投資信託については、特別な説明資料が用意され、また、分配金の仕組みについても、説明資料の拡充が行われました。
 しかし、問題は、ルールが遵守されているからといって、ルールが導入された背景の問題について、改善がなされたとは限らないことです。
 現在、売れ筋の投資信託というのは、毎月の分配金があるもの、即ち、「元本の払戻しを伴う多頻度の分配を行う商品」ばかりであり、そのなかには、「複雑な為替変動リスクを伴う」ものが、依然として、多数含まれています。ルール策定の背景にあった投資信託の販売の実態は、何も変わっていないのです。
 

ルールに従った十分な説明がなされたうえでもなお、売れ筋の投資信託が変わらないのならば、それは、顧客の合理的な選択結果なのであって、何ら問題はないのではないでしょうか。
 
 それが、金融機関側の見解でしょう。しかし、異なる見方も可能です。つまり、ルール遵守の徹底によって、投資信託の販売の実態が正当化されたにすぎないとも思えるのです。
 説明資料が充実されたことは、そのまま、顧客の理解が充実したことになるでしょうか。ルールが求めたことは、形式的には、説明資料の充実ですが、本質的には、顧客の理解の充実こそが、ルールの背景にある理念です。
 もしも、単に説明資料が充実されただけで、顧客の理解のほうが変わらないのならば、ルールの遵守は、金融機関側の免責事由として、機能するだけではないでしょうか。つまり、何が起きても、そのような危険性については、ちゃんと説明してありますよね、ということができれば、金融機関には、全く、責任はないのです。
 さて、どちらでしょうか。ルール遵守によって、顧客の理解が進み、投資信託の現状は、「顧客ニーズ」を適切にとらえたものとして、本質的に正当化されたのでしょうか。それとも、ルール遵守によって、顧客の理解を擬制することで、真の「顧客ニーズ」に反した現状が、形式的に正当化されただけなのでしょうか。
 

金融庁が、新しい「モニタリング基本方針」のなかで、改めて、重点施策の第一位に、「顧客ニーズに応える経営」を掲げていることは、依然として、現状には問題が多いとの見解を示すものですね。
 
 「顧客ニーズに応える経営」というのは、全ての金融機関の全ての金融機能についていわれていることです。しかし、そのなかでも、投資信託の販売の問題が強く意識されていることは、間違いありません。金融庁の問題意識の前提としては、次のような基本認識があります。
 「一般に金融商品・サービスの提供に当たっては、供給者(金融機関)と需要者(顧客)との間に情報量の格差があること等から、短期的な収益の確保・拡大のため、顧客の利益にそぐわない営業が行われうる。」
 そのうえで、投資信託の販売を念頭に置きながら、「手数料や系列関係にとらわれることなく顧客のニーズや利益に真に適う金融商品・サービスが提供されているか」について、「検証を行っていく」としているのです。
 そして、さらに、重点施策の第三に、「資産運用の高度化」を掲げて、再び、投資信託の販売も念頭に置きつつ、次のように述べられるのです。
 「家計や年金、機関投資家が運用する多額の資産が、それぞれの資金の性格や資産保有者のニーズに即して適切に運用されることが重要である。
 このため、商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる。」
 こうした金融庁の方針は、極めて明瞭に、「顧客の利益にそぐわない営業が行われうる」現実について、重大な懸念をもつがゆえに、策定されているものです。しかも、重要なことは、ここでは、もはや、新たなるルールの策定は考えられておらず、替わって、「検証」、あるいは「建設的な対話」という手法が採用されていることです。
 

それが、ルールからプリンシプルへ、ということの意味ですね。
 
 プリンシプルは、原理・原則であり、行動規範です。投資信託等の投資運用業においては、プリシプルは、「フィデューシャリー・デューティー」という理念へ、集約されています。これは、投資運用業者等が顧客から信認を受けた者(フィデューシャリー)として負う責任(デューティー)のことです。
 「フィデューシャリー・デューティー」は、英米法の概念であって、法体系の異なる日本では、当然のごとく、法規範としては、即ち、ルールとしては、機能し得ないものです。日本では、英米法の本旨が、プリンシプルとして、理念として、あるいは、金融界の商業道徳として、機能するのです。
 

「フィデューシャリー・デューティー」の本旨とは、何でしょうか。
 
 一言で表現して、「専らに顧客のために」ということに尽きます。専らに、は、字義通り、専らに、であって、第一義的にとか、主として、ということではないのです。故に、正確にいって、顧客第一主義でもないのです。敢えていえば、顧客至上主義です。
 優れた投資信託を顧客に提供し、その対価として、適切な手数料等を受けることは、「フィデューシャリー・デューティー」の本旨に適うことです。しかし、より多くの手数料を稼ぐ目的で、売り易く、手数料を取りやすい投資信託を開発して販売することは、明らかに、「フィデューシャリー・デューティー」の本旨に反します。
 

決定的な問題は、ルールの完全な遵守のもとでも、「フィデューシャリー・デューティー」の本旨に反したことは、行われ得るということですね。
 
 何が悲しく、情けないかというと、「フィデューシャリー・デューティー」の本旨に反したことが、ルール遵守のもとで、ルールに準拠しているという理由で堂々と正当化されることです。なぜ、そうなるのか。それは、誰も、ルールの背後にある理念を考えないからです。
 

考えないこと、それが、表題の「馬鹿」の意味ですね。
 
 この表題については、躊躇もありました。しかし、今の投資信託の事業に携わっている金融機関の人々は、現状にどっぷりと浸かるなかで、社会的視点を喪失し、いわば、一時的に馬鹿になっているのだと考えざるを得ないのです。なぜなら、そう考えない限り、犯罪者にも近い悪意を想定せざるを得ないからです。
 私の最近の投資信託に関する論考のいくつかは、非常に多くの一般の方の読者を得て、故に、多くのコメントが書き込まれています。さっと目を通す限り、金融機関の行為について、犯罪的であるとするものが圧倒的に多いようでした。しかし、私は、もちろん、そのような意図で書いているのではありませんし、そのようにも思っていません。
 そうではなくて、私は、この投資信託という社会的に重要な業務に携わる人々に、強くいいたいのです、考えろと、国民の安定的な資産形成に寄与するものとしての、フィデューシャリーとしての、誇りをもてと。
 

金融庁も、ルール遵守ではなくて、考えること、創意工夫を強く求めていますね。
 
 「モニタリング基本方針」の哲学を集約したところを引用しましょう。
 「金融機関は法令等で規定した基準(ミニマムスタンダード)を満たしていることに満足することなく、より優れた業務運営(ベストプラクティス)に向けた経営改善を図っていくことが重要である。多くの金融機関がより質の高い業務運営と金融商品・サービスの提供を行うことが日本の金融力の強化にもつながる。
 その際、目指すべきベストプラクティスは、画一的なものではなく、各金融機関が自主的に創意工夫を凝らしながら目指していくものである。金融庁としては、様々な場における金融機関との建設的な対話を通じ、金融機関が横並びの意識を排し、顧客へのサービスの質の改善に向け健全な競争が行われることを促していく。」
 ルール遵守というミニマムでは、改善も、進歩も、発展も、成長もないのです。資産運用に携わる者が自主的に創意工夫を凝らして、ベストを目指す努力をすることで、始めて、改善も、進歩も、発展も、成長も起きるのです。そのためには、創造的に、考えなくてはなりません。ベストは、常に未知だからです。
 そのような創意工夫の努力を支えるものは、プロフェッショナルとしての、フィデューシャリーとしての、誇りです。
 

形式的なルール遵守のもとで、考えなくなっている状況は、投資信託だけでなく、金融全体の問題ですね。
 
 銀行等の融資の現場にも、同様の深刻な問題があるのです。それは、金融庁の重点施策の二番目に掲げられた「事業性評価に基づく融資等」に集約されています。そこには、次のようにあります。
 「金融機関は、財務データや担保・保証に必要以上に依存することなく、借り手企業の事業の内容や成長可能性などを適切に評価し(「事業性評価」)、融資や助言を行い、企業や産業の成長を支援していくことが求められる。」
 これは、いうまでもなく、形式的に過去の財務データ等から融資判断をする傾向、まさにルール準拠の傾向が融資力を低下させている現状に対する批判です。ここで求められていることは、当たり前の融資の王道であり、社会的使命の自覚のもとで、顧客のために考える銀行員の姿です。
 
以上

 
 本年は、これが最後となります。次回更新は新年1月8日(木)にいたします。今年一年、ありがとうございました。来年も、よろしく、お願いいたします。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/12/18掲載「投資信託の分配金は顧客のためか
2014/12/11掲載「日本株をブラジルレアル建てにしてしまう投資信託の病理
2014/12/04掲載「激変、三井住友銀行の投資信託
2014/11/20掲載「野村證券の投資信託はもっとすごい
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か
2014/10/16掲載「三井住友銀行で一番売れている投資信託
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義
2014/07/03掲載「受託者としての資産運用の担い手
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること


≪ アーカイブから今週のお奨めは「日本郵政」≫
2014/11/27掲載「日本郵政の内部取引の透明性
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。