農地の投資対象化を検討することで見えてくる農業の実態

農地の投資対象化を検討することで見えてくる農業の実態

森本紀行
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<毎週木曜日 11:30更新>

農地の投資対象化の検討のなかで、農業の実態が明らかになります。例えば、農地の賃料から価格を推定すると、1000平方メートルで100万円にもならないというように。
 
 農地は投資対象になり得るのか、これは非常に高度な難問です。しかし、理論的な可能性としては、農業が経済合理的な事業活動として現金を創造しているのならば、事業の中核的構成要素である農地は、現金を創造するものとして、投資対象になり得るのです。なぜなら、事業活動とは、経費をかけて、事業用資産を稼働させて、現金を創造することなので、事業活動が現金を創造するとは、より具体的には、事業用資産が現金を創造することだからです。
 
そもそも、農地を投資対象にすべきでしょうか。
 
 農地が投資対象になり得るとすれば、その前提として、農業事業者は、農地を投資家、即ち、農地の所有者から賃借して、農業を営むことになります。つまり、農業経営から、農地の所有を分離することで、農地は投資対象になるわけで、逆に、農業経営から農地の所有を分離しない限り、農地は投資対象になり得ないのです。
 しかし、この事態は、投資家を地主、農業事業者を小作と呼び換えれば、戦前の農業の姿、即ち、戦後の農地改革によって完全に否定された不公正な旧態勢の復活のようでもあります。そもそも、歴史は、農業における土地所有のあり方の歴史なのであって、土地所有のあり方は、政治体制、よりあからさまには、権力による支配体制を規定するものとして、歴史を動かしてきたわけですから、農地の所有と農業経営の分離には、様々に異なる見解があり得るのでしょう。
 
生産手段の所有には、何か特別な意味があるでしょうか。
 
 1960年、藤島桓夫の歌った「月の法善寺横町」が大ヒットになったのですが、その冒頭には、「包丁一本、晒にまいて」という歌詞がありました。これは、板前が修業の旅に出るときに、自分の包丁を晒にくるんでもって行くという意味です。つまり、板前は、修業中の雇われの身であっても、包丁を自分で買って、所有していたのです。
 この背景には、包丁は、板前にとって決定的に重要な道具であり、故に、板前の身体の一部なのだという思想があると考えられます。そして、こうした思想は、おそらくは、昔も今も、板前に限らず、様々な分野の職人にあるはずです。また、職人には、道具さえあれば、いつでも、どこでも、立派な仕事ができるとの独立心と誇りがあって、その気概の象徴として、道具の所有があるともいえます。
 同様に、職人としての農業事業者にとって、農地は道具ではないにしても、農地の耕作には、そこに自分の心血を注いで豊饒な土地にしていくこととして、特別な意味があって、故に、その所有は必須のことに感じられるのかもしれません。また、おそらくは、独立した自営業者としての誇りのもとで、農地が所有されているのでしょう。
 
実際には、既に、廃業した農家の土地は、他の農業事業者によって、耕作されているのではありませんか。
 
 実は、「農地中間管理事業の推進に関する法律」というものがあって、これにより、都道府県等が出資する公的機関として、農地バンク、正式名称では、農地中間管理機構が各都道府県に一つだけ設立されています。この農地バンクは、廃業した農業事業者から農地を賃借し、それを他の農業事業者に賃貸することで、農地を集約して、農業経営を大規模化し、効率化することを目的としているのです。背景には、農地の賃貸借契約による集約について、当事者間の相対の交渉では十分に進まないので、農地バンクに一元化することによって、加速させようという政策があるわけです。
 
農地バンクは、所有者を変えないで、農地の集約を進める方法なのでしょうか。
 
 農地バンクを通じた賃貸借によって農地が集約されても、所有権は移転しないので、戦後に、ある段階で確定した農地の所有構造は、基本的には、維持されるはずです。しかし、集約が進んでいくと、農地の所有者の多くは、廃業した人と、その相続人になっていくわけで、こうした人は、農業を営むことなく、単に農地を所有して、農業事業者に賃貸しているだけですから、まさしく、構造的には、農地の投資家なのです。つまり、農地バンクは、農地を投資対象にする仕組みとして、機能しているのです。
 ここで生じる疑問は、こうした農地の投資家は、事実として、農業を営んでいないのですから、なぜ、他の一般の人は投資家になれないのか、投資家になり得る人の範囲を歴史的な理由によって限定することには、もはや合理的な理由はないのではないかという点です。例えば、いわゆるJ-REIT、即ち、不動産投資法人による農地取得を解禁すれば、不動産投資法人が農地を取得して、農地バンクに賃貸することで、国民の誰もが農地に投資できるわけです。
 
大規模化によって、農業の性格は変化するのでしょうか。
 
 職人としての板前は、自分の包丁を所有するでしょうが、外食産業の大手企業に勤務して調理を担当する人は、企業が提供する包丁を使用するでしょう。個人の農業事業者にとって、農地の所有は重要な意味をもつでしょうが、大規模な農業法人で働く人にとっては、農地の所有者が誰であるかについて、関心をもつ必要もないわけです。
 事業の企業化においては、企業の所有者、即ち、株主と企業の経営者との間に分断が生じ、株主による監視と経営技術の専門性のもとで、経営の高度化が生じると期待されているわけですが、農業の法人化においては、おそらくは、農地の所有と農業経営との間に分断の生じることで、古き伝統産業である農業について、革新への道筋が見えてくるのでしょう。
 
改革の端緒を開くものは、賃料の合理的設定でしょうか。
 
 農地の基本単位は1反とされていますが、1反は約10アール、即ち、約1000平方メートルです。農地の1反当たりの年間賃料は、現状、用途や地域によって大きな幅があるにしても、3万円を超えることは稀のようです。仮に、年間賃料3万円とし、現在の金利水準のもとで要求される最低限の利回りとして、3%をおくと、1反の農地の価格は、僅か100万円と推定されることになります。これが農業の実態なのです。
 
この驚くほどに安い賃料に経済合理性があるのでしょうか。
 
 ここでの議論の目的は、農地を投資対象にすることではなくて、農地の投資対象化の検討によって、農業の実態について、様々な論点を明らかにすることです。さて、農業の主要生産手段である農地について、その価格が極端に安いということは、農業による土地の利用は、著しく生産性が低いということではないでしょうか。ならば、経済合理的な選択は、農地の他の用途への転換、それが不可能なときは、耕作放棄になるほかないわけです。
 故に、農地バンクが有効に機能するためには、必須の要件として、大規模な農業事業者が借り手になることで農地を集約し、生産性を大幅に改善しなければならないわけです。しかし、現時点で、どの程度の適地が残されているのでしょうか。集約化が可能なのは、平地の耕作条件のよい農地だけですが、そのような適地においては、常識的に考えて、既に集約化が進んでいるのではないでしょうか。
 
問題の中核は、中山間地域にあるということですか。
 
 農地の約4割は、耕作条件の悪い中山間地域にありますが、ここでは、地形上の制約から、農地の集約による大規模経営が不可能なので、耕作放棄が進むのです。ところが、国策として食料自給率を引き上げようとすれば、中山間地域における小規模経営の復興が必須の要件になりますが、経済的に成立し得る見込みはないわけです。おそらくは、農業問題の核心は、この矛盾にあるのです。
 
所得補償ですか。
 
 採算の合わない農業を国策として維持するためには、農業事業者に対する政府による所得補償、即ち、直接支払交付金が絶対に必要です。ここで、第一の論点は、所得補償額の算定には、合理的な基準として、平地における大規模農業の適正な収益性を定める必要があり、そのためには、農作物の適正価格を定める必要があることです。第二は、所得補償についての国民の理解を得るためには、食料安全保障のほか、中山間地農地の洪水防止や土砂崩壊防止といった多面的機能について、理解を深める必要があることです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
TPPに打克つ日本農業の底力(2012.9.20掲載)
日本の農業界に成長の可能性があるとの信念と、その信念に賭けていく成長志向性が日本の農業において重要であり、その結果としてTPPに打克つことができることを論じています。

農業の法人化と産業化(2012.10.11掲載)
日本農業の未来のためには質と量のバランス、社会的価値、外部環境の変化など、産業化と法人化に適した柔軟な変革が必要だと論じています。

投資対象になる資産は事業活動が創造する現金の流出経路だ(2025.9.4掲載)
資産運用の世界での資産とは将来の現金創造に結びつくものであり、事業活動から創造される現金を受け取る権利のことです。本稿では、不動産や動産、株式を例に事業活動に関わる投資対象およびその価値成長について説明します。
(文責:翁)

次回更新は、11月13日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。