送電の究極の効率化は送電しないことです。故に、巨大な電気の消費装置であるデータセンターについて、それを発電所に隣接して建設する案が浮上するのです。
今後、人口減少によって、様々な問題が生じてくるのでしょうが、その一つは、ありとあらゆる種類の建造物が過剰になることです。もう既に、日本のいたるところで、廃校となった小中学校の校舎が放棄され、人の住まない廃屋が朽ち果て、閉鎖された店舗が商店街に立ち並び、あまり車の通らない道路の脇に雑草が茂っています。
人口が増加していたときは、同時に、経済が成長していたときであり、様々な種類の新たな建造物が必要とされ、必要とされていたからこそ、それらは高度に利用され、故に、建設に要した費用は容易に回収され得たのです。そして、こうした好循環のもとで、安易な建設計画が推進されて、大量の建造物ができてしまったわけです。
経済が成熟し、成長率が低位で安定したときは、同時に、社会が成熟し、人口が減少に転じたときであり、そこに過剰な建造物の巨大な山が残されました。建造物は老朽化していき、老朽化は維持費用を増加させますが、逆に、稼働率は低下するので、廃棄を促進して、維持費用を低下させて、稼働率を上昇させる必要を生じます。しかし、廃棄は何一つ新たな価値を創造しないので、廃棄費用の調達は不可能です。故に、使用されなくなった建造物は、最低限の安全対策のもとで、放置されるほかないのです。
廃棄後の跡地の再開発が新たな価値を創造すれば、廃棄費用の回収は可能ではありませんか。
世界に二枚しかない貴重な古切手があるとき、一枚を燃やして廃棄することで、残り一枚の稀少性が一段と増して、その価格が二倍以上に騰貴すれば、廃棄は新たな価値を創造します。実際、東京では、膨大な数の古い建物を解体することで、広大な空き地を創出して、そこに高品位の巨大な建物を建造することで、廃棄された建物の価値を大きく凌駕する新たな価値を創造しています。逆に、再開発で新たな価値を創造できるからこそ、古い建物の解体が可能になっているわけです。
ここで重要なことは、世界に二枚ある古切手と、世界に一枚しかない古切手との間には、数の差ではなくて、本質の相違があることです。つまり、例えば、ある土地に道路が縦横に走り、細かく分かれた小区画に小さな建物が密集しているとき、全ての建物を除去し、全ての道路を廃止して、大きな一区画の土地にして、そこに巨大な高層ビルを建設すれば、土地の価値に本質的な差が生じるのであって、本質的な差を生じるからこそ、新たな価値が創造されるのです。
建造物の集約は、同時に、人口の集約となるのでしょうか。
建造物のなかでも、とりわけ、上下水道、道路、橋梁等の公共インフラストラクチャーについては、政策的に、統合と集約による利用効率の改善、および維持費の削減が急務となっていますが、公共インフラストラクチャーの集約には、不可避のこととして、人口の集約が伴わざるを得ないわけです。しかし、歴史的に定住している人の生活圏を大きく変え得るはずもなく、過剰な分散が適度に集約されることで、いわゆるコンパクトシティ、即ち、小規模の人口集積地が数多くできて、それらが広く全国に分散するほかないのです。
公共インフラストラクチャーの集約が人口集約の引き金となれば、その結果として、住宅、商業施設、医療施設、学校等の公共施設など全ての建造物の集約が起きます。そのことで更なる人口集約を招くという好循環が実現すれば、コンパクトシティにおいては、公共インフラストラクチャーだけではなく、全ての建造物の利用効率が改善し、そこに創造される価値を原資として、その周辺の建造物の廃棄が進むはずです。
コンパクトシティのなかで、人流が復活するわけですか。
どの街においても、商店街が廃墟のようになってしまったのは、街の外に広い道路が建設されて、それに沿って、大企業の経営する大型店舗が建ち並んだからです。こうして、大企業が零細商店を駆逐したのは、道路の整備によって、人が歩かなくなって、車で移動するようになったからであり、車の利用を軸とした生活様式の定着は、人の居住地も街の外へ拡散させて、更に街を空洞化させて、公共交通網を崩壊させてしまったのです。
コンパクトシティ化とは、空洞化した街を再開発し、街のなかに諸施設を集積し、諸施設の集積によって人流を新たに創出し、人流の創出によって公共交通機関を復興させることです。こうして、街を活性化された生活圏にすることで、そこに新たな価値が創造されるわけで、逆に、新たな価値を創造できるように計画的に街を再開発するのでなければ、経済的な面において、再開発は不可能なのです。
コンパクトシティのなかの交通網に加えて、コンパクトシティを相互に結ぶ交通網ができるわけですね。
道路は、縦横に張り巡らされた細密な網として整備されて、今や、その総延長は、想像もつかないほどに、長くなってしまったのです。しかし、日本の地形において、このような道路網を作れば、急な傾斜地を無理に切り崩し、無数の橋を架け、大量のトンネルを掘ることになりますから、その維持管理費用は巨額になって、必然的に、整理再編が不可避となるわけです。そして、再編の方法論は、おそらくは、いわゆるハブ・アンド・スポーク(hub and spoke)なのでしょう。
5個の地点を全て相互に結べば、10本の道路が必要で、この10本が道路網となるのです。しかし、5個のうちの1点をハブ、即ち、中心点として、ハブと残りの4点を結べば、4本の道路で足ります。この4本の道路は、ハブを車輪の軸とすれば、スポークに該当し、ハブはスポークの結節点となるわけです。つまり、コンパクトシティ群のなかに、ハブとなるものを選定すれば、複雑な道路網は、ハブからの単純なスポークとして、整理され得るということです。
こうして、地域がハブを中心としたコンパクトシティ群となれば、その一つ上の次元で、地域群のなかに、ハブとなる地域ができ、そこを中心として、各地域へスポークが伸びて、大きな地方が形成されるでしょう。そして、こうした重層構造においては、道路網は、大きな地方の中心都市を結ぶ基幹道路網としてのみ存続し、同様の方向で、鉄道網の再編もなされ得るわけです。そもそも、高速道路や新幹線は、本来の構想では、そうした基幹交通網として、整備されてきたのではないでしょうか。
送電網についても、同様の再編がなされるのでしょうか。
巨大な発電所を作り、広域の送電網を縦横に張り巡らして、消費地に電気を届けることは、技術発展の過去の段階においては、最も効率的であったのでしょうが、現在の新たな段階においては、最も非効率なのかもしれません。おそらくは、多数の小さな発電所を分散して立地させ、各発電所を中心とした狭域の送電網を整備すれば、まさに、送電のハブ・アンド・スポークになるわけで、効率化が図られるのでしょう。
更にいえば、送電における究極の効率化は、送電しないことです。つまり、発電装置と電気の消費装置を合体させれば、別のいい方をすれば、電気の消費装置に発電機能を内包させれば、送電不要となるわけです。故に、巨大な電気の消費装置であるデータセンターについて、それを発電所に隣接して建設する案が浮上してくるのです。
コンパクトシティは、当然に、多様な発電装置を内包するばかりか、いわゆるコジェネレーション(cogeneration)、例えば、ガスを燃焼させて発電し、電気と熱を同時に供給することなど、様々な創意工夫の可能性を秘めています。そして、コンパクトシティを前提にすることで、上下水道についても、抜本的に費用効率を改善させるように、電気と同様の方向で、本質的な構造変改が起き得るのでしょう。
究極的には、所有の意味の再考が必要になるのではないでしょうか。
膨大な数の空き家が放置されているのは、全てに異なる所有者がいるからであって、住宅の合理化のためには、所有と利用の分離が不可欠です。上下水道は、自治体によって所有され、かつ運営されていますが、法律上、運営権は譲渡され得るのであって、改革には、民間企業による運営が必要になるのでしょう。
・危険なコンクリート構造物は高速道路だけではない(2012.12.13掲載)
不要になった不動産、インフラだけでなく、現に使用しており更新が必要ですが、それができていないものも問題となっています。改革には民営化だけでなく、単年度という極めて短い時間しか管理できない公会計についても検討すべきと指摘しています。
・公共ファイナンスの視座(2014.6.26掲載)
公共部門において経営効率に課題があるとされる事業の改革には、利潤をはじめとした適切な誘因設計が有効ではないかと論じています。
・なぜ現にある地方を新たに創生するのだ(2015.1.22掲載)
当コラムでは、地方における経済圏と文化の関係、新たな経済圏の構築による発展について解説しています。
(文責:岸野)
次回更新は、10月9日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。