5月16日に、「下請代金支払遅延等防止法」(下請法)の改正法として、「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(中小受託取引適正化法)が成立しました。
下請法の第一条は、「この法律は、下請代金の支払遅延等を防止することによつて、親事業者の下請事業者に対する取引を公正ならしめるとともに、下請事業者の利益を保護し、もつて国民経済の健全な発達に寄与することを目的とする」となっていましたが、改正法は、「下請代金の支払遅延等」を「製造委託等に関し、中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等」に、「親事業者」を「委託事業者」に、「下請事業者」を「中小受託事業者」に、「公正ならしめる」を「公正にする」に改めています。
改正の要点の一つは、下請という言葉の廃止にあるわけですか。
下請制は、上層に、少数の大企業があって、完成品市場を支配し、中層に、多数の中堅企業があって、部品等の供給を行い、下層に、中小企業や零細業者が犇めいていて、加工等を請け負うという多層構造のなかで、主として、下層における業務受託契約を意味します。こうした多層構造は、歴史的経緯のもとで古くに成立したのでしょうが、多くの産業分野において、依然として強固に存続しているわけです。
下請制の問題点は、対等な事業者同士の発注と受注の関係ではなく、発注者は、親事業者として、受注者である下請事業者に対して、優越した地位に立つことです。そこで、下請法は、従属的地位にある下請事業者を保護するために、特に、下請代金が円滑に支払われることに主眼をおいて、制定されたのです。
改正法では、下請という言葉が廃止されましたが、これは単なる用語の問題ではないでしょう。従来の下請法では、親事業者と下請事業者との関係において、親事業者の優越を前提にしていたのに対して、改正法では、親事業者の優越を不公正なものとし、両者間の公正な対等性を目指すべき方向として、用語のうえでも、地位に優劣のない委託事業者と受託事業者との関係に変更したのだと考えるべきです。
法律では、下請代金の支払遅延を禁じているのでしょうか。
下請法は、第二条のニにおいて、「下請代金の支払期日は、親事業者が下請事業者の給付の内容について検査をするかどうかを問わず、親事業者が下請事業者の給付を受領した日から起算して、六十日の期間内において、かつ、できる限り短い期間内において、定められなければならない」と定めています。この規定自体は、改正法でも、「下請代金」を「製造委託等代金」に改める等の用語の変更がなされただけで、変更されていません。
しかし、下請法の第四条第一項は、「親事業者は、下請事業者に対し製造委託等をした場合は、次の各号に掲げる行為をしてはならない」としたうえで、第二号において、「下請代金をその支払期日の経過後なお支払わないこと」を掲げていたところ、改正法は、用語を変更するとともに、ここに「当該製造委託等代金の支払について、手形を交付すること並びに金銭及び手形以外の支払手段であつて当該製造委託等代金の支払期日までに当該製造委託等代金の額に相当する額の金銭と引き換えることが困難であるものを使用することを含む」という長い括弧書きを付加したのです。
つまり、従来の規定では、委託事業者は、支払期日において手形等を交付することができたので、中小受託事業者は、現金の受領に更に長い日数を要していて、その間の資金繰りの調達費用を負担していたのに対し、改正法のもとでは、委託事業者は期日に現金で支払うこととなり、中小受託事業者の資金繰り負担が軽減されることになるわけです。
現状、手形等のサイトは長いのでしょうか。
今回の法改正には前段があります。2021年3月31日に、中小企業庁と公正取引委員会は、連名で、「下請代金の支払手段について」という文書を発出し、親事業者に対して、「下請代金の支払は、できる限り現金によるものとすること」、「手形等により下請代金を支払う場合には、当該手形等の現金化にかかる割引料等のコストについて、下請事業者の負担とすることのないよう、これを勘案した下請代金の額を親事業者と下請事業者で十分協議して決定すること」、「下請代金の支払に係る手形等のサイトについては、60日以内とすること」等を要請しています。
そして、中小企業庁は、7月26日より「下請事業者との取引に関する調査」を実施し、2022年2月16日に、中小企業庁と公正取引委員会は、その調査結果に基づき、「サイトが60日を超える手形等により下請代金を支払っているとした親事業者約5,000者」に対して、再度、連名で、「手形等のサイトの短縮について」という文書を送付し、「可能な限り速やかに手形等のサイトを60日以内に短縮することを求める要請」を行ったわけです。
法律の主旨に従えば、製造委託等代金は即時に現金で支払われるべきなのでしょうか。
法律は、「六十日の期間内において、かつ、できる限り短い期間内において」といっていますから、その主旨に最も適うのは、現金による即時の支払いです。しかし、現実には、手形等のサイトを60日以内とする要請すら完全には守られていないなかで、現金化までに120日以上を要する事例も存在しているわけです。そこで、政府は、法律の主旨に従って、120日以内の現金化を求める要請を経て、今回、法律によって60日以内の現金化を定めたのです。この調子でいけば、将来的には、この60日は更に短縮されていくのではないでしょうか。
委託事業者が現金による即時の支払いをしないのは、不公正なのでしょうか。
委託事業者は、支払いを繰り延べることで、中小受託事業者から無利子で運転資金を調達していて、その分、中小受託事業者は、現金の支払いを受けるまで、運転資金を調達することになっています。つまり、相対的に財務体力の強い委託事業者は、財務体力の弱い中小受託事業者から無利子で資金調達し、その弱い立場の中小受託事業者は、外部の金融機関から、有利子で資金調達しているわけです。
常識的に考えて、この事態は、不合理であり、不公正です。公正なのは、委託事業者が外部の金融機関から運転資金を調達し、中小受託事業者に即時の現金払いをすることです。法律の主旨は、明らかに、この公正な状態の実現を目指すものであって、政府も、法律の主旨が貫徹するように、法律改正を進めているわけです。
金融機関にとっては、委託事業者に低い金利で貸すよりも、中小受託事業者に高い金利で貸すほうが高収益ではありませんか。
金融の公正なあるべき姿としては、委託事業者は、金融機関から運転資金を調達して、中小受託事業に即時に現金で支払うべきです。つまり、金融機関は、中小受託事業者ではなくて、委託事業者に融資すべきなのですが、現実には、ここに大きな問題があるのです。
第一は、融資先として委託事業者と中小受託事業者とを比較したとき、一般論として、より事業基盤の弱い中小受託事業者のほうに、より高い金利が設定されることです。しかし、委託事業者が最終的には現金で支払うことを前提にして、中小受託事業者に融資されるのですから、実質的な与信先は委託事業者です。つまり、金融機関にとっては、委託事業者を実質的な与信先として、中小受託事業者に高い金利で融資するので、収益性の高い融資になるわけです。要は、法律の主旨に反する方向に、金融機関の利益誘因があるということです。
第二は、金融の階層構造ですか。
産業界の三層構造は、金融にも、対応した階層構造をもたらしている可能性があります。つまり、顧客基盤を図式化すれば、主要銀行は上層に、地方銀行は中層に、信用金庫等は下層に強い事業基盤をもつと考えられるのです。そこで、信用金庫等にとっては、法改正の影響は極めて大きくなると予想されるのです。なぜなら、法改正が目的通りの効果を発揮するとしたら、運転資金需要は、下層において縮小し、その分、中層において増加するはずですが、多くの場合、信用金庫等は、中層に基盤をもたないからです。
・雨が降ったら傘を差し出す金融へ(2015.12.10掲載)
企業が業績の悪化などにより資金が必要になった際、信用状況が悪化した分条件を厳しくすることは、企業の状況をさらに悪化させるという問題について論じています。
・金融は下請制を温存させるのか解体させるのか(2022.3.10掲載)
当コラムは下請法の主旨である公正性について論じています。今回のコラムのベースとなる議論がなされています。
・地域金融機関の地域への貢献とは何か(2020.7.30掲載)
コラムで指摘されているような下請事業者の資金需要低下が起きるとすれば、地域金融機関のビジネスモデルの再構築は必須となるでしょう。
(文責:岸野)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。