情報量の増大で消費者が得るのは利便性か苦痛か

情報量の増大で消費者が得るのは利便性か苦痛か

森本紀行
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過剰情報の混乱と、情報操作の危険のなかで、本質的に脆弱な消費者の利益を守るために、新たな消費者法は、どのような社会共同体の関与を構想するのか。
 
 消費者は、無数の多種多様な商品が巷に氾濫するなかで、自分の需要に最適なものを探し出すためには、調査研究に多大な労力を投入しなければなりませんし、ある商店で、自分の真に欲しいものが発見できたとしても、そこでの提供価格の妥当性を確認するためには、更なる調査の時間を要するわけで、消費者として、自分の利益を自分の力で守ろうとすれば、それだけの苦役を耐え忍ばなければならないのです。
 
人によっては、苦役というよりも、快楽ではないでしょうか。
 
 欲望の充足が消費者の幸福ですが、幸福感には非常に大きな個人差があるわけで、欲望の充足そのものよりも、欲望の対象の調査研究から始まって、様々な充足方法を構想する長い時間の過程のうちに、より大きな幸福を感じる人も少なくないでしょうが、逆に、より早く、より簡単に欲望が充足されることで、大きな幸福を感じる人もいるでしょう。
 また、調査研究が苦痛であるか喜びであるかは、欲望の対象が生活に必需なものか、趣味嗜好に属するものかによっても異なるでしょう。趣味嗜好の対象の場合、それを入手することも大事ですが、入手するまでに苦労すればするほど、入手できたときの喜びが一段と大きくなるわけです。しかし、生活に欠くことのできないものは、誰にとっても、必要なときに、必要な量だけ、より安く、より速やかに、より簡単に入手できることが重要なのです。
 
消費の幸福が多様であってみれば、消費者像を一般論で語ることは困難ではありませんか。
 
 現在、内閣府の消費者委員会の「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」で、消費者法の抜本的改正が検討されていますが、その議論の方向を規定しているのは、2023年7月の「消費者法の現状を検証し将来の在り方を考える有識者懇談会における議論の整理」です。
 パラダイムシフトと呼ばれるほどの抜本的な法改正が検討されるに至ったのは、この「議論の整理」が消費者像の本質的な転換を提言したからです。当然のことながら、消費者は多種多様で、千差万別ですから、一般論として消費者像を語ることはできないわけで、ここでいう消費者像は、あくまでも、消費者行政が対象とすべき消費者の類型です。
 例えば、趣味嗜好の対象の選択について、長い時間をかけて、念入りに調査研究する人は、二つの意味において、消費者行政の対象ではあり得ないのです。第一に、趣味嗜好をもつ人は、その領域においては、事業者と対等の情報と知識経験を有するのであって、特別に法律によって保護される必要はなく、第二に、いかに調査研究に時間をかけようとも、そのこと自体が喜びであるのならば、法律が関与して、手間を減じるには及ばないからです。
 
では、どのような消費者が保護されるべきなのでしょうか。
 
 「議論の整理」によれば、現在の消費者法が想定している消費者、即ち、消費者行政の対象として法律が保護すべき消費者は、十分な情報が与えられれば、合理的判断を形成でき、自分で自分の利益を守ることのできる人であって、故に、消費者法は、事業者との情報格差を是正し、消費者を強くすることを目的にしているわけです。
 それに対して、「議論の整理」の掲げる新しい消費者像は、本質的な脆弱性をもつ人です。脆弱性とは、十分な情報のもとでも、それを利用して合理的判断を形成できないことであって、それが本質的なのは、いかに制度的に消費者を強くしても、なお残り続ける脆弱性だということです。おそらくは、この脆弱性を解釈するに、第一に、合理的な情報処理能力の限界であり、第二に、そもそも合理的たり得ない人間の心理的、あるいは情動的側面なのでしょう。
 
しかし、脆弱性も、消費者の自由の一部ではないでしょうか。
 
 趣味嗜好の世界に耽ることは、合理的に説明できなくて、まさしく情動の赴くままのものである以上は、脆弱性に含まれるわけですが、この場合には、消費者は脆弱性を自覚しているばかりか、脆弱性に流されること自体に喜びを見出しています。つまり、脆弱性とはいっても、自由で自律的な脆弱性、いわば強い脆弱性ですから、消費者法の埒外にあるわけです。
 「議論の整理」が問題にしている脆弱性には、おそらくは、二種類あります。第一は、消費者が自覚していない脆弱性であって、本人の主観のもとでは合理的でも、客観的に評価すれば、不合理な行動をとっている場合であり、第二は、消費者は脆弱性を自覚しつつも、過剰な欲望に支配されて、あるいは過剰な情報に惑乱されて、客観的に見れば非合理に転落している場合です。
 なお、第一の類型の脆弱な消費者としては、当然のことながら、認知能力の低下した高齢者が主として想定されますが、「議論の整理」の画期的な点は、脆弱性について、高齢者に特有なのではなくて、どの消費者にも、程度の差こそあれ、一般的にあるとし、脆弱性は消費者に本質的だとしたことです。
 
新たな消費者法が保護しようとするのは、脆弱性のために、客観的に評価したときには、危険な状態にある消費者なのですか。
 
 「議論の整理」は、消費者は、「客観的に公正で合理的な状態」にあるとき、真に幸福であるとしていて、現在の消費者法は、事業者との情報格差の是正等の施策により、消費者は強くなり、自由と自律のもとで、その幸福に到達できると想定しているのに対し、それは非現実的であって、幸福に到達できるためには、何らかの社会共同体の関与が必要だとしているわけです。故に、現在の進行中の専門調査会の主題は、この社会共同体のあり方にあるのでしょう。
 さて、ここで重要なのは、この幸福、即ち、「客観的に公正で合理的な状態」は、「消費者にとって苦痛がなく利便性を享受できている「安全」な状態」とされていることです。この苦痛の意味は、おそらくは、情報収集と調査研究の努力のことであって、消費者は、徹底的な情報収集を行い、緻密に論理的に情報分析をすれば、自力で幸福に至るわけですが、そのような努力の苦痛に普通の消費者は耐え得ないという点に、新しい消費者法の存在意義があるということです。
 
利便性とは、どういうことでしょうか。
 
 利用可能な情報が増大することによって、消費者の利便性は高まる、これが現在の消費者法の想定でしょうが、「議論の整理」は、この点に疑義を呈しているのだと考えられます。確かに、情報の増大は、情報処理能力が高く、手間を厭わない人にとっては、利便性の向上になりますが、それは、いわば苦痛のもとで利便性が享受される状態にすぎないわけです。
 「議論の整理」が対象とする消費者は、そうした苦痛を苦痛とも思わない強い消費者なのではなくて、苦痛に耐え得ない脆弱な消費者です。脆弱な消費者にとっては、過剰情報は、消費者の適切な選択を困難にすることで、利便性を低下させるばかりか、事業者側の営業戦略によって、整理編集されることで、消費者を真の幸福に反した方向へ誘導する危険性をもち得るのです。
 そこで、新しい消費者法は、こうした脆弱な消費者を保護するために、苦痛を伴う情報処理努力のない利便性の提供と、情報操作によって不利益へ誘導される危険のない完全な環境の整備とを目的に掲げて、更に、その目的を実現するには、消費者を見守る他人の公正中立な視点が不可欠だとして、それを消費者の消費空間としての社会共同体に求めたのだと考えられます。
 
どのような社会共同体の関与になるのでしょうか。
 
 過剰情報と情報操作等の問題は、明らかに、インターネット上で様々な巧妙な技術のもとに展開される広告宣伝等や、詐欺的なものも含めた勧誘技法に関係して生起しているわけで、その対策としては、新たな安全なインターネット上の社会共同体の構築か、信頼関係を基礎に置いた人と人の直接的な対面の社会共同体の再興か、両者の融合による全く新たな社会共同体の展開か、要は、そうしたことでしょう。
  ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
内閣府の消費者委員会が消費者の幸福に括弧を付けるわけ (2024.2.22掲載)
本コラムを理解するうえで重要であり、また消費者が生活する社会共同体についても論じています。

人は金融機関に嘘をつき医師に真実を語る(2021.11.4掲載)
金融における、消費者の安全または信頼が保証された社会共同体について論じています。

投資信託に満足している人は騙されているのか(2015.1.28掲載)
投資信託売買の際、事業者側の営業戦略によって、脆弱性を有した消費者が真の幸福に反した方向に誘導され得ることについて論じています。
(文責:坂口)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。