自由で気儘な消費者の非合理を優しく合理化する事業者の責任

自由で気儘な消費者の非合理を優しく合理化する事業者の責任

森本紀行
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誰しも信頼できる商店や金融機関を選ぶのだから、その消費者の事業者に対する素朴な信頼は、法律上も、手厚く保護されるべきではないか。
 
 誰しも、自分の利害に重大な影響を与える事案を抱えたとき、その処理について他人に相談するとしたら、自分が信頼している人を相手に選ぶでしょうし、ましてや、処理を一任するとしたら、慎重に検討したうえで、最高度に信頼している人を選任するはずです。つまり、一般に、他人に何かを委任するときは、常に信頼関係が先にあるのです。
 このことは、人が消費者として購買するときや、金融機能を利用するときにも、原理的には同じことで、人は信頼している商店や金融機関を選んで取引するのであって、常に一定の信頼関係が先行するのです。故に、消費者法にしても、金融関連諸法にしても、法規制は、本来は、この信頼を保護するために存在するのだと考えられるわけです。
 
現実には、信頼がないからこそ、規制があると考えるべきではないでしょうか。
 
 原則論からすれば、全ては取引当事者間の合意に基づく自治に委ねられているので、そもそも、そこに法規制が関与する余地はないのです。しかし、消費者や金融機能を利用する個人は、事業者に対して、情報や知識経験等の面において、大きく劣後することは否めず、その格差を是正するために、消費者法や金融関連諸法が存在しています。
 つまり、制度の基本は、市場経済原理に基づく当事者間の自治なのであって、人は、自己責任原則のもとで、自分の利益を自分自身の能力で守るべきものとされていて、法規制は、事業者に情報提供義務や説明義務等を課すことによって、個人の立場を事業者と対等になるように強化し、各自が合理的に判断できるようにすれば、取引の公正性が実現し、誰しも自己の利益を自分で守ることができると想定しているわけです。
 従って、確かに、現在の法規制においては、人は自分を信じ、自分の理性を働かせて、合理的に行動すべきだとの思想が基底にあって、他人を信頼し、他人を信じて行動することについて、その信頼を保護しようとする発想は、少なくとも明示的には、前面に出ていないのです。しかし、個人の自己責任と自律を前提にする法規制のもとでも、一定の信頼のもとで事業者が選択されていること自体は否定され得ないはずです。
 
では、信頼を保護する方向に、法規制が変わろうとしているのでしょうか。
 
 現在、内閣府の消費者委員会の「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」において、その名もパラダイムシフトと呼ばれるほどの抜本的な消費者法の改正が検討されていますが、この専門調査会が立ち上がるに先立って、2023年7月に、同委員会の「消費者法の現状を検証し将来の在り方を考える有識者懇談会」から「議論の整理」が公表されていて、これを見れば、パラダイムシフトの概要を理解することができます。
 「議論の整理」の画期的な指摘は、消費者の本質的な脆弱性です。脆弱性とは、現在の消費者法の基本想定に反して、消費者は合理的判断を形成するのに十分な情報が与えられているときにも、なお非合理的な行動をとり得るというものです。当然のことながら、個人の主観においては、誰しも合理的に行動しているつもりなのですが、それを客観的に公正に評価したときには、非合理的であり得るという意味です。
 ここで重要なのは、客観的な評価、即ち、他者の視点が導入されたことであり、しかも、その客観的な評価が公正であり得るためには、その他者は、中立で信頼されるべき人、あるいは人々であるはずです。「議論の整理」は、それを「消費者が生活する社会共同体」と呼んで、「本人の自由・自律的な選択を支え促進する、あるいはそれを補うものとして位置付け」ています。
 
では、消費者が社会共同体からの助言等を信頼して行動するとき、その信頼を保護するのが消費者法の目的となるのでしょうか。
 
 「議論の整理」は、消費者法の目的を消費者の幸福の実現とし、更には、その幸福の定義として、「自由で自律的に選択できるという主観的価値」の実現としての幸福ではなく、「客観的に公正で合理的な状態」にある幸福を掲げていて、消費者は、自分の消費空間である社会共同体への信頼のもとで、この新たに定義された幸福を実現すると想定されているのですから、その信頼を保護することは、当然に、新しい消費者法の目的になるはずです。
 
金融関連諸法でも、同様な変化があるのでしょうか。
 
 2023年11月に改正法として成立した「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」は、金融行政の歴史に重要な節目を刻んだものです。ここで画期的なのは、第一に、全ての金融サービスを一元的に包括したこと、第二に、全ての金融サービス提供事業者に対して、網羅的かつ横断的に、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を課したことです。
 「顧客等の最善の利益を勘案」することの具体的意味は、これから次第に明らかになるわけですが、国会での審議過程では、顧客の最善の利益は、顧客の主観的なものではなく、客観的に評価され得るものだとされていますから、明らかに、「議論の整理」における「客観的に公正で合理的な状態」にある幸福に通じるものです。
 消費者法の議論では、「客観的に公正で合理的な状態」を実現するのは、極めて斬新なことに、消費者の生活空間を構成する社会共同体とされていますが、金融においては、より常識的に、顧客の最善の利益を勘案する義務を負うのは事業者になっています。つまり、顧客が一定の信頼のもとで事業者を選択することについて、改正法は、その信頼を保護することで、顧客の最善の利益を実現しようとしているわけです。
 なお、改正法は、その名に「利用環境の整備」が含まれているように、単に事業者に義務を課すだけではなく、金融経済教育推進機構の設立を通じて、社会全体の仕組みにおいて、金融サービスの利用者を保護しようとしていて、この点でも、社会共同体の機能に期待をかけている「議論の整理」の思想に通じるものがあります。
 
英米法では、他人からの高度な信頼のもとで職務を遂行する人に対して、特別な義務を課していますね。
 
 英米法においては、顧客等からの特別な信頼のもとで職務を遂行する人をフィデューシャリーといい、フィデューシャリーが顧客等に対して負う高度な義務をフィデューシャリー・デューティーと呼んでいます。この特別な信頼は保護されるべきだとする法理は、英米法に特有なもので、明治維新以降、フランスとドイツの法体系を学んで法律を整備した日本にとっては、異質なものです。
 故に、2014事務年度の行政方針において、金融庁が金融機関にフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めると宣言したとき、金融界は大いに驚いたものです。金融庁は、その後、2017年に、「顧客本位の業務運営に関する原則」を策定し、フィデューシャリー・デューティーを日本的に具現化したのですが、この原則には法律上の明確な根拠がないので、金融機関は、これを自主的に採択して、自己に対する規律として課すとされたために、実効性については、当初より疑義が呈されてきました。
 
改正法は、フィデューシャリー・デューティーの立法化だったのでしょうか。
 
 国会の審議過程において、金融担当大臣は、原則の実効性を高めるために、法律上の義務として、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との規定を置いたと答弁していますから、これは立法化された日本版フィデューシャリー・デューティーであるわけです。
 こうして、金融においては、一方では、金融経済教育推進機構の活動によって、金融サービス利用者の能力を強化して、自律的で合理的な行動を促し、他方では、顧客の事業者に対する信頼を保護することで、利用者の本質的脆弱性を守る制度が確立されたわけで、おそらくは、消費者法の抜本的改正も、構造的には、同様の仕組みとなるのでしょう。
  ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
内閣府の消費者委員会が消費者の幸福に括弧を付けるわけ (2024.2.22掲載)
今回コラムを理解するうえで重要な、消費者法のパラダイムシフトで提示されている消費者像について解説しています。

地味に成立した金商法等改正法の派手な破壊力(2023.11.30掲載)
投資運用業における法制度改革が進められていますが、信頼の保護という観点で消費者法のパラダイムシフトは一致しており、いずれも持続可能なビジネスを志向しています。

フィデューシャリー、あるいは信じて託すること(2014.1.16掲載)
そもそも他人に信じて託すことについて、大元となっている英米法を交えつつ法解釈の側面から深く解説しています。
(文責:岸野)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。