株式会社に出資することは贈与みたいなものだから

株式会社に出資することは贈与みたいなものだから

森本紀行
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株式会社という制度は、あまりにも慣れ親しまれたことで、資本の特異な性格は意識されなくなりましたが、その贈与と債権の中間的性格は、常に、再検討されなくてはなりません。
 
 株式会社は、あまりにも自明な存在となっていて、今さら改めて、株式とは何かと問われることはありませんが、現政権において、新しい資本主義の実現がいわれるなかでは、新しい資本のあり方が検討され、資本の現実的な存在形態である株式の意味が再考されて、果ては、株式会社に替わる事業経営のあり方すら、工夫されるのかもしれません。
 
資本主義の資本と、株式会社の資本とは、どのような関係にあるのでしょうか。
 
 生産手段の所有と、その使用が分離し、生産手段を自らは所有しないで使用するだけの労働者と、生産手段を所有していても自らは使用しない資本家が生まれて、資本主義が成立したのですが、そこでは、資本家は、株式会社を設立して出資し、株式会社が出資金によって生産手段を取得することによって、間接的に生産手段を所有しているのですから、株式会社こそ、資本主義の現実的な動力なのです。
 
今日、株主の多くは、実質的に労働者ではありませんか。
 
 現在では、日本などの先進諸国においては、主要企業の多くは上場されていて、巨大な集団としての労働者は、企業年金と公的年金の受益者として、また、豊かな生活のための自助努力としての資産形成を通じて、大株主になっています。こうした事態の進行は、福祉国家的な政策と相まって、かなり前から、資本家と労働者の境界を曖昧にさせて、資本主義を大きく変質させてきています。
 なかでも、株主の権利の変質が決定的に重要です。つまり、原初的な資本主義においては、資本家は、創業者個人として、あるいは同族や財閥を通じて、議決権を完全に支配し、会社を所有するものとして、自ら経営し、あるいは経営者を使役していたのですから、株主の権利は問題になり得なかったのですが、株式が多数の株主によって分散所有されるようになると、個々の株主には能動的に行使できる権利の全くないことが問題として浮上してきたわけです。
 
故に、コーポレートガバナンスの登場ですか。
 
 資本家が株式会社の株式を独占的に所有し、自らの利益のために自ら経営するという資本主義の原理は、株主が多数に分散し、株式会社の所有と経営が分離するとき、機能しなくなり、替わって、株式会社は、専門の経営者によって、株主の利益を守るという責任のもとで、経営されることになります。コーポレートガバナンスは、分散によって希薄化した株主の権利を擁護するための仕組みを意味していて、今や、修正された資本主義の新しい動力になっているのです。
 
資金調達の手段としての株式の再定義ですか。
 
 事業経営に資金は不可欠ですが、社債を発行する、あるいは金融機関等から融資を受ける方法、即ち、負債による調達では、定期的に利息を支払う義務があり、必ず弁済期日が到来しますが、株式を発行する方法、即ち、資本による調達では、配当支払いは経営裁量に委ねられた任意のものであり、弁済の必要もありません。
 つまり、資本による調達は、贈与を受けることに限りなく近いわけですが、出資者の立場からして、それが贈与にならないのは、株式は、三つの権利、即ち、配当を受ける権利、会社清算時に残余財産の分配を受ける権利、株主総会における議決権が付与されているために、財産としての価値を有していて、譲渡による換価が可能だからです。
 そして、株主にとって、配当は、負債における金利に該当し、また、取得時よりも高い株価で株式を売却できる機会は、負債の償還と同じ意味をもつわけですから、経営者の株主に対する責任とは、即ち、コーポレートガバナンスの目的とは、配当を通じて、あるいは株価を上げて、株式の財産価値を高めることに帰着するのです。
 また、逆に、経営者の立場からすれば、株式の価値を上昇させれば、有利な資金調達が可能になり、経営の自由度と展開力が高まるわけですから、経営者と株主は対立するものではなく、協働するものであるというのがコーポレートガバナンスの基本なのです。
 
経営者の責任とはいっても、法律上の責任ではないので、効力が弱いのではないでしょうか。
 
 株主の権利の希薄さを考えれば、株式の贈与的性格は否定しようもなく、負債における元利金の弁済が法律上の責務であることに対比すれば、株主への利益還元とはいっても、贈与への返礼という社会慣習に近いものだと考えられます。しかし、慣習には、違反者を社会から排除する力が内包されているのも事実です。
 要は、コーポレートガバナンスは、株式が発行され、売買される資本市場において、慣習的規律として機能し、違反者を市場から排除していく強制力が働いてこそ、実効性のあるものになるのだと考えられます。
 
贈与は弁済できないので、無限に返礼しなければなりませんね。
 
 事業には、危険、即ち、損失の可能性が伴います。資本とは、第一義的には、損失を吸収して、事業を継続できるようにするものですが、損失を吸収できるためには、株式の発行に際して、配当支払いと償還についての約定を排して、贈与的性格を付さなければならず、そこに資本の特異な性格が生じるのです。
 しかし、損失を吸収するだけでは、株式に財産価値は生じないので、株主の当然の期待は、短期的な損失を負担する対価として、中長期的な利益を得ることになりますから、資本は、第二義的には、資本利潤を生成する責務を内包するものとなります。しかも、償還されないので、その責務は永久的なのです。
 つまり、資本は、償還されないが故に、一時的な損失を吸収できる半面、永久的に、利潤を生成し、株主に返礼し続ける宿命のもとにおかれるのです。
 
贈与を受けることは、債務より重い責任を負うのでしょうか。
 
 契約は、約定された範囲においてのみ、人を拘束し、人は、契約を解消することによって、その拘束から自由になりますが、例えば、家族関係のように、契約によらない人間関係の多くは、曖昧に人を拘束し、人は、その関係から簡単には離脱できません。債務と弁済は契約関係であって、贈与と返礼は社会的な人間関係ですが、この違いは、責任の軽重という程度の差ではなく、本質の差です。
 現代においては、婚姻関係ですら、契約関係に引き付けて再解釈される方向にあるように、人間関係は徐々に希薄化していますが、経営者と株主の関係についても、契約的な再構成が進行していて、それが東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コード」に結実したということです。
 
「コーポレートガバナンス・コード」は、株主以外のステークホルダーとの協働も規定していますね。
 
 現政権の掲げる新しい資本主義の具体像は不明ですが、配分が強調されていることからすると、民間自治の資本主義の経済原理に、福祉国家的な所得再配分の考え方を適用するようにみえますから、株主以外のステークホルダー、とりわけ、働く人との関係が焦点の一つになると考えられます。
 雇用契約は、契約とはいっても、所得再配分的な思想のもとで、社会的な人間関係に引き付ける方向に規制されているわけですが、一方で、派遣等の新しい関係が普及したことにより、配分が影響を受けたことを否定できず、他方で、多方面で高度専門人材を育成し、多様な働き方を許容するためには、更なる雇用契約の弾力化は不可避ですから、現政権は、そこに重要な政策課題をみるのでしょう。
 しかし、「コーポレートガバナンス・コード」が経営者に働く人との適切な協働を求めるのは、それが株主の利益になる限りでのことであって、働く人への配分についても、株主の利益との間に因果関係が推定される限りにおいて、経営課題になるべきですが、その因果関係の証明は簡単ではありません。むしろ、コーポレートガバナンスの根底には、株主としての労働者の利益がおかれているので、そこに労働者としての労働者の利益を容れる余地はないと考えるべきではないでしょうか。
 
上場株式会社という枠の外で考えられるべき課題でしょうか。
 
 コーポレートガバナンスは、第一義的には、上場株式会社についての特殊な問題ですし、更にいえば、株式会社は事業の器の一例にすぎず、上場は資金調達の便法にすぎません。新しい資本主義というのなら、古い資本主義の道具建ての外で、例えば、税制改正によって贈与による配分を促すなど、新しい仕組みを創造的に考えるほうがいいでしょう。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
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(文責:加藤)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。