君は自分が買いたくないものを顧客に売るのか

君は自分が買いたくないものを顧客に売るのか

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
真の顧客本位を実践するためには、商人は、顧客の立場に身をおく思考の訓練を通じて、顧客の視線で自分を見つめる反省能力を体得しなければなりませんが、それは、商人と顧客との関係を、人と人との関係にすることではないでしょうか。
 
 西洋の近世において、普遍的な理念としての人が発見されるまで、人は、端的に人である以前に、生まれながらに何らかの身分に属するものとして拘束されていました。それから近代市民社会が成立し、長い時間をかけて、人を律する規範は、身分の秩序に従うことから、対等な人と人との関係において、普遍理性に従うことへと昇華してきました。
 現在の日本では、伝統的身分制秩序は完全に消滅し、わずかの痕跡を家族制度に留めるのみとなり、その家族関係すら、一種の契約関係に接近しつつあります。しかし、人は、選択の自由のない身分から解放されれば、逆に、対等な人同士の関係を自由に重層的に構築し、そこに所属して生きます。そして、何らかの社会関係に属すれば、そこに固有の規範に拘束されるのです。
 
人が自由に社会関係を構築するというのは仮構にすぎず、社会関係は常に先にあって、それに人は拘束されているのではないでしょうか。
 
 確かに、人は、被用者の立場に身をおけば、自分の自由にならない勤務先の諸規則に服することになり、昔の身分に属するのと大差ない状態になるようですが、そもそも、勤務先は自由に選択されたのであって、しかも、その選択は、いつでも自由に変更され得るのですから、そこに本質的な差があります。
 
現代社会における最大の欺瞞的仮構は、勤務先の選択の自由ではないでしょうか。
 
 確かに、勤務先の選択の自由は欺瞞にすぎないともいえます。実際、日本の現状においては、人が勤務先に隷属するなかで、人的資源配置が著しく非効率となり、勤労意欲も減退し、結果として、生産性が低くなっていると考えられます。しかし、そうした状況については、とうに政府の認識するところであって、故に、重要な政策課題として、働き方改革が推進されているのです。
 ここで重要なことは、現代の勤め人の身分と昔の身分との間には、もう一つの本質的な差があることです。つまり、昔は、人は一つの決められた身分に属したのですが、現代では、人は多様な社会関係に重層的に帰属しているのです。そこで、働き方改革においては、この点が着目され、勤務先の所属員としての立場を相対化し、別の社会関係への帰属を重視した働き方、あるいは生き方が提唱されているのです。
 具体的には、育児や介護等において、家族の一員としての立場を企業等の所属員としての立場よりも優先させることが認められ、特定領域における専門職層に属する人には、勤務先以外での副業が認められ、多様な活動を行う多様な集団に属する人には、勤務先での仕事を継続しながら、それぞれの分野への参画が認められるなどです。
 
働き方改革は会社員という職業をなくすことですか。
 
 医師が大病院に勤務するのは、そこには、経験豊富な先輩医師がいて助言を求めることができ、高度な医療機器があり、診療を補助してくれる看護師がいて、なによりも、患者が先にいるからです。弁護士が大きな事務所に所属するのは、そこには、経験豊富な先輩弁護士がいて助言を求めることができ、業務を助けてくれる事務員がいて、なによりも、顧客が先にいるからです。
 つまり、病院や法律事務所は、医師や弁護士にとって、便利な職場、即ち、自分に都合よく働ける場所にすぎないのです。働く人が先にあって、働く場所を提供する組織があり、組織は働く人の利便性を高めることに努める、この構造は、医師や弁護士が個人の資格で職務を遂行するものである以上、当然のことです。
 同様に、働き方改革は、雇う側を主語にした雇い方改革ではなく、働く側を主語にした改革ですから、働く人が先にあって、働く場所を提供する企業があるという構造への転換を意味するはずです。故に、人は、程度の差こそあれ、何らかの自分に固有の専門性をもち、独立して働く人になることで、会社員という職業を捨て、企業は、雇うという優越的地位を捨て、働く人の利便性を高めるべく、職場の環境を整えることに努めるようになるのです。
 
人を雇う側の経営課題が働く人を惹きつけることになるとしたら、働く利便性もさることながら、価値の共有、あるいは共感のほうが重要ではないでしょうか。
 
 衣料品を売る店では、店員は、必ず商品を見本として身に着けていますが、もしも、使用者が優越的地位を濫用して、店員に買わせて着用するように強制しているのだとしたら、論外の沙汰ですし、無償で供与して制服のように着てもらっているのだとしても、つまらない話です。なぜなら、どちらにしても、雇う側の論理のもとで、働く人の主体性が失われているからです。
 それに対して、店員は、その店の商品が大好きだから、そこで働いているのだとしたら、自発的に商品を買うでしょうし、ましてや、それが無償で供与される、あるいは割引で買えるのなら、それだけで、就労意識は高くなるはずです。こうして、雇う人と働く人との間で商品の価値が共有され、そこに共感があれば、働く人の主体的参画によって生産性が高まるだけではなく、職場は革新や創造の舞台となり得るのです。
 
共感は顧客との間にも生じるでしょうか。
 
 自分の売っている商品が大好きな店員にとって、顧客とは、同じ商品が大好きなもの同士の仲間になり、販売とは、仲間を増やすことになり、そこに、商人と顧客との関係はなくなって、共感を介した人と人との関係が生じるわけです。こうした境地こそ、商人にとっては理想的な商業のあり方であり、働く人にとっては理想的な働き方であり、顧客にとっては理想的な買い方であるはずです。
 
その境地が真の顧客本位ですか。
 
 顧客本位の徹底を金融機関に強く求めているのは、金融庁です。その背景としては、高齢者が著しく投機的な投資信託に投資していて、しかも、役務に見合わない割高な手数料が徴収されている事例など、明らかに顧客の利益に反した行為の横行があったのです。しかし、強く求めるとはいっても、金融庁は高圧的な指導を廃止しているので、顧客の利益に反した短期的利益追求には持続可能性がないことについて、経営者と粘り強い対話を重ねることで、自主自律的な是正を促しているわけです。
 ならば、金融庁は、対話の端緒として、金融機関の経営者に、自分の親に同じ投資信託を同じ手数料のもとで売ろうとする金融機関があるとしたら、どう思うか、また、自社が取り扱う投資信託について、自分のところの職員は優れたものだと評価し、自分でも購入しているのか、あるいは購入したいと思っているのか聞いてみればいいでしょう。
 
商業の基本中の基本として、自分が買いたくないものを顧客に勧めることはできませんね。
 
 投資信託の運用成果は保証されませんが、全く保証のないものを顧客に販売することはできないのですから、運用する投資運用業者は、専らに投資家の利益のために最善を尽くして運用していることを保証し、販売する金融機関は、投資運用業者の真摯な姿勢に対する共感のもとで、投資運用業者と一体となって、専らに顧客の利益のために働くことを保証しなければなりません。この保証こそ、金融庁のいう顧客本位の本質です。
 そして、真の顧客本位のもとでは、販売という行為は顧客との共感の輪を広げることになりますから、金融機関自身として、あるいは金融機関の職員として、顧客に販売する投資信託について、実際に自分で投資するかは措くとして、少なくとも、投資してみたいという共感をもつこと、共感をもてるほどに運用内容について熟知していることは、販売の最低限の要件だといわざるを得ません。
 
販売する人と顧客との関係は、共感のもとで、人と人との関係になるのですね。
 
 商業における顧客本位とは、商人が顧客の立場に身を置いて考える思考実験ですから、要は、商人と顧客との関係を端的に人と人との関係におき直すことです。
 さて、そこで問いたい、金融機関で投資信託を売る君よ、人が人に対してなす行為として、君の行いは人の道に反してはいないか、仮に、そこに法令違反の事実はなくとも、また仮に、それが人事考課をよくすることだとしても。金融機関を経営する君よ、働き方改革とは職員を人として扱うことなのに、職員に人の道に反することを命じてはいないか。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫

金融のプロフェッショナルを目指す働き方改革 (2017.10.19掲載)
働き方改革の本質をもとに、金融において顧客本位の徹底を実現するべく、顧客と顧客を担当する金融のプロフェッショナルとの間に共通価値を創造する必要があること、そのための具体的な組織構造について提言しています。
金融界よ、法令遵守の迷妄から目覚めよ (2017.8.3掲載)
法令遵守は最低限の要件であり、金融機関はその最低限の要件を満たした上で、顧客本位の徹底というベストプラクティスを通じ、共通価値の創造や新たな企業価値を生んでいく必要性があることを提言しています。
金融の営業では、お金を語るな、夢を語れ (2017.9.28掲載)
金融も商業である以上顧客との間で、商品への価値の共感が必要になります。正の価値は金融によって購入した商品の利用によって実現されますが、金融自体には負の価値が存在します。その負の価値を考慮したうえで、金融が夢の実現手段として語られる場面を具体的に提言しています。
(文責:長澤)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録 
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。