規制業としての金融の解体と高度化

規制業としての金融の解体と高度化

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
金融は規制業の代表ですが、社会構造の大きな変動は、既に規制の目的を失わせてはいないか、新たな金融機能の役割に対応した本質的な改革は、金融規制の枠を超えて、むしろ規制業としての金融の解体をもたらすのではないか。
 
 規制業とは、国民生活に決して欠くことのできないものを供給する事業のなかで、事業者の自由な競争に委ねておいたのでは、必要量が確保できない、国民に遍く提供され得ない、価格の公正公平性が保てない、品質の維持ができないなどの供給側の問題が生じるために、行政の介入による競争制限が正当化される事業のことです。つまり、規制によって価格が統制され、競争が制限されれば、事業者は、盤石な収益基盤のもとで、供給能力の安定化、供給体制の整備、品質の維持に専念できるというわけです。
 例えば、電気事業は、戦後長らく、総括原価方式や地域独占などにより、最高度に規制されていたわけですが、それは、経済成長の起動には電力が必要であり、経済が成長するにつれて電力需要が更に増大し、構造的かつ慢性的に電力が不足する状況のもとで、国策として、全国の隅々にまで同一価格での安定供給体制を構築するためでした。そして、安定供給とは、量の確保だけではなく、停電しないという質の維持も意味したのです。
 
経済成長にとって、資金も電力と同じように必要だったわけですね。
 
 電気事業と全く同じ理由で、金融も規制業の代表格になったのです。戦後復興と経済成長の起動には資金が必要であり、経済が成長するにつれて資金需要が更に増大し、構造的かつ慢性的に資金が不足する状況のもとで、国策として、金融機関を手厚く保護し、そこに国民貯蓄を集積させ、そこから産業界に資金を投融資として還流させる仕組みが構築されたのです。
 その仕組みの代表が預金取扱業務であって、零細な国民貯蓄を預金として銀行や信用金庫等に集積させ、その資金を信用創造によって大幅に増幅させて、産業界に融資として還流させたわけです。信用創造とは、銀行等が預金を原資にして融資をすれば、それと同じ金額だけ債務者の預金を増加させますから、その増加分も銀行等は次の融資の原資にできるという仕組みであって、経済成長期においては、資金不足を補うのに極めて有効に機能したのです。
 
規制とは、保護の別名でしょうか。
 
 規制とは、資本主義経済の原則である自由競争を制限し、特別な法律のもとで参入障壁を設けて、認可された事業者にのみ営業を許すものです。故に、規制は、第一に、認可されていない事業者の営業を禁止することによって、認可された事業者を保護することですが、第二に、いうまでもなく、その保護の対価として、認可事業者に安定供給義務を課すことであり、第三に、その義務に付随して行為規制を課すことです。
 ここで注意すべきは、規制業の本質は競争制限と供給義務にあって、行為規制は、自由競争を原則とする産業においても、程度の差こそあれ、必ずあることです。故に、規制改革によって、ある事業の認可制度が廃止され、自由競争の原則に移行したとしても、最低限の行為規制は必要なのであって、例えば、その実効性を保証するために、事業者の登録制度が残ることもあるのです。
 
日本では、とうの昔に資金不足が解消しているので、預金取扱業務こそ、規制改革の対象となるべきではないでしょうか。
 
 経済が成長するにつれて、個人貯蓄が積み上がってきて資金の供給能力は増大し、逆に、資金需要は限界成長率の低下に伴って相対的に縮小するので、必然的に資金不足は解消に向かい、いずれは逆転して資金過剰に転じます。
 日本の場合、おそらくは40年ほど前に逆転が生じ、過剰に転じた資金は、不動産への投機的流入となって、バブルが生じたのだと考えられます。そして、今となっては、預金取扱金融機関の預金総額は、融資総額を大きく上回っていて、その極端に過剰となった預金は、いわば売れる見込みの全くない在庫として、経営の圧迫要因になっています。もはや、信用創造は、不要というよりも、極めて有害なのです。
 故に、早急なる規制改革が必要なことは明瞭で、現に金融行政は、その方向に動いていますが、預金取扱業務を規制業の対象から外すことはできないと考えられます。なぜなら、預金には信用創造機能のほかに、通貨の存在形態としての決定的に重要な機能があり、テクノロジーの高度化で決済手段が多様化しても、最終的な勘定尻は預金で合わせる必要がある以上、預金には公共的側面が強くあって、その絶対的な必需性と供給保証の必要性は揺るがないからです。
 
電気事業における送配電のようなものですか。
 
 資金不足が解消したのと同じように、電力不足も解消した現在、電気事業の規制改革が急速に進行していて、かつては電気事業の全体が規制業であったわけですが、もはや発電部門と小売部門は自由化されていて規制業ではありません。しかし、発電部門と小売部門をつないでいる送配電部門は、依然として規制業であり、将来的にも規制業であり続けると考えられます。
 なぜなら、電力系統は日本全体を覆うように送電線でつながっていて、この全国基幹連系系統は公共財として機能しているからです。逆にいえば、規制業としての送配電部門があるからこそ、発電部門と小売部門を規制業から外し、自由競争によって、消費者の利便性を高めることが可能になったのです。
 
では、金融においても、預金取扱業務以外は、規制業ではなくなるのでしょうか。
 
 基本的な方向性としては、電気事業の規制改革と同じで、公共的色彩の濃い預金取扱業務は、送配電部門と同じように、規制業であり続ける一方で、金融機能の創出に関する業務は、発電部門と同じように、自由化されて規制業ではなくなり、金融機能を顧客に届けることに関する業務も、小売部門と同じように、自由化されて規制業ではなくなるのだと考えられます。
 ただし、自由化された発電部門においても、原子力発電事業という最高度に規制された特殊領域が残ることに注意が必要です。つまり、原子力発電が規制されているのは、電力安定供給体制の構築において重要な電源構成としての存在意義が認定されたからですが、その規制目的が環境変化によって失われたとしても、事業の危険性に鑑みて、著しく厳格で膨大かつ詳細な行為規制は変えようがなく、その遵守の徹底は極端に高い参入障壁となって、競争制限であり続けるのです。
 同様の理由で、金融においても、預金取扱業務だけではなく、規制業であり続ける分野があると思われます。例えば、保険業は、保険数理という高度に技術的な要素を含み、また、保険給付の履行を確かなものにするためには、責任準備金に対応する資産の管理等が適正になされる必要がありますから、規制業であり続けるでしょうし、他にも、似たような事情にある分野はあるでしょう。
 
自由競争を原則とする資本市場において、規制の役割は何でしょうか。
 
 金融構造改革の要諦は、信用創造の抑制にあります。そのためには、産業界の資金調達の主舞台を資本市場に移転させる、即ち、銀行等からの融資への依存度を低下させ、替わりに資本市場を通じて社債や株式等を発行し、それらを個人が直接に、あるいは投資信託を通じて取得する構造に改める必要があるわけです。
 資本市場は競争原理の支配する場です。そこでは、優れた企業は有利な条件で資金調達ができ、それを武器に積極的な業容の拡大を図れるのに対して、業績不振の企業は資金調達が困難となり、買収等により淘汰されていく、この弱肉強食の戦いによって産業構造の革新を実現することこそ、資本市場の機能であって、これは信用創造の抑制以上に重要なことです。
 そして、ここでの規制の役割は、社債や株式等を引き受け、その売買を行い、それを投資家に仲介し、投資家の一任を受けて、それに投資する金融機関、即ち、資本市場において金融機能を創出する金融機関に対し、公正な競争による相互研鑽を通じて、資本市場が適正に機能するように、必要にして最小の行為規制を課すことです。
 
金融機能を顧客に届けることについても、規制改革がなされましたね。
 
 昨年、「金融商品の販売等に関する法律」が改正されて、「金融サービスの提供に関する法律」になりましたが、改正の意義は名前に表れています。この新法により、金融の製販分離が可能になる、即ち、資本市場で金融機能を創出することと、それを顧客に届けることとを分離し、それぞれに独自の競争原理を導入できることになります。こうして、金融は解体して、規制業は預金取扱業務を中心にして縮小し、その両端に、非規制業の金融が発展していくのです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫

法律の強制によって銀行を解体するしかない (2020.8.27掲載)
規制業としての銀行の改革について、ノンバンクと非金融の結合の観点で新たな価値を生み出す方法を提言しています。
預金に勝てる投資信託はあるのか (2018.4.26掲載)
間接金融から直接金融への転換、すなわち個人貯蓄と資金調達の構造転換について、英米との比較を交えて提言しています。
ポピュリズムを克服した東京電力の成長戦略 (2017.2.16掲載)
同じ規制業の東京電力は、原子力事故債務の履行を確実にするため、成長企業に変貌していく必要があると提言しています。
(文責:神山)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。