安っぽいSDGsとESGで儲けようとする君たちへ

安っぽいSDGsとESGで儲けようとする君たちへ

森本紀行
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人類に共通する基本的な課題を解くことについて、企業活動の影響力と実行力に大きな期待がかけられていて、金融機関は、その企業活動を支援するように要請されていますが、高邁な理念には誰も反対できず、しかも、その実現が容易でないなかでは、高邁な理念の安直化、偽装、悪用は避け難く起こります。さて、そこの君よ、この機会に簡単に儲けようとしていないか。
 
 国連のSDGsSustainable Development Goals)、即ち、持続可能な開発目標は、国家の枠を超えた普遍的なものとされていて、各国政府の主体的関与は当然のこととして、企業の積極的な関与も期待されています。そして、実際に多くの企業が主体的関与を表明していますが、それは、企業の論理として、そのほうが利益になるからであって、SDGsは企業の利益誘因に基づく合理的経営行動を予定したものだと考えられます。
 つまり、SDGsは、人道的なものというよりも、福祉国家政策と同じことで、所得の再配分によって極端な格差を是正し、武力紛争をなくして経済活動を活性化させ、生存環境を安定させて事業の予測可能性を高めることにより、世界経済全体の均衡のとれた安定的で持続可能性の高い成長を実現するものとして、企業の長期的な利益に貢献するのです。
 
企業の利益追求のための合理的行動が集積されるとき、世界に新しい秩序が形成されるということでしょうか。
 
 政治が国家に分断されている限り、そして各国家が自己の経済的利害を主張する限り、また、宗教や固有の歴史に基づく民族意識、国民感情等の多様で非合理的なものが政治を動かす限り、国家間の協調には限界があり、事実として、政治は人類に共通する基本的な課題を解くことができずにきました。故に、国連のSDGsがあるのですが、SDGsは、それを実現するための政治の強制力を伴うわけではなく、あくまでも各国政府の努力目標になるだけなのです。
 それに対して、企業の場合、無数の企業があるにしても、全ての企業の行動は合理的な方法による利益追求という単一の普遍的な行動原理に律せられていて、いわば利益追求という企業の存在目的に内包された強制力のもとで自然に協調されていますから、SDGsのような人類に普遍的な課題解決においては、企業行動の集積は政治よりも有効に機能する可能性があるのです。
 
資本主義の経済原理の適用ですか。
 
 企業の利益追求は欲望の領域にあることで、それ自体が合理的とはいい難いのですが、利益を追求する方法は目的に対して合理的ですから、個々の企業が短期的には常に非合理な誤りを犯すとしても、総体としての企業の行動の集積は長期的に合理的な帰結を生む、即ち利益を生むのです。
 このことは、より厳密にいいかえれば、企業の合理的な利益追求の競争によって、ある企業の淘汰と別の企業の成長を通じて、資源の適正配置と富の公正な配分が実現していく過程において、総体としての企業の利益が創造されることを意味します。
 そして、企業が利益を生むということは、社会的価値が創造されているのですから、国民の経済厚生は総体として必ず増大している、これが資本主義の経済原理です。しかし、歴史的な経験として、この原理を適切に機能させるための様々な修正の必要性が知られていて、その修正こそ経済政策等の政治の機能になっているのです。
 この資本主義の原理を国民経済の枠を超えて世界市民社会の次元において適用し、人類全体の経済厚生の増大を図るために、国民経済を代表する国家の連合である国連によって、一種の国際政治の発動として策定されたのがSDGsであって、それは、企業の利益追求と自由競争を前提としつつも、資本主義の経済原理を修正するものとして、機能するのだと考えられます。
 
SDGsには結果と目的の倒錯がありませんか。
 
 資本主義の原理では、先に企業の利益追求があり、そこに政治による修正が加えられて、結果として国民の経済厚生の増大をもたらす構造になっています。つまり、企業の利益追求という経済の原因があって、政治の目的は経済の結果として実現するのです。
 それに対し、SDGsにおいては、先に政治が人類全体の経済厚生の増大を目的として掲げることによって、その目的の実現のなかに企業が利益誘因を見出すと期待され、故に企業の利益追求の行動が促され、その企業の行動の集積が結果として人類の経済厚生を増大させる、そういう論理になっていますから、そこでは、政治の目的のなかに先に経済の結果が含まれている、あるいは経済の結果が政治の原因になっています。
 
そもそも、政治の領域にあるSDGsが経済を主導するのはおかしくないですか。
 
 政治において、経済政策の巧拙を論じることはできますが、主役は経済であって、経済に内在する力が国民の経済厚生の増大をもたらすのであって、その経路において、政治が脇役として機能するにすぎないのです。しかし、政治は常に欺瞞に満ちていて、さも主役であるかのように、国民の経済厚生の増大を政策目的に掲げたことにより、それが政治の力で実現したと主張するのが通例です。
 ところが、SDGsの場合は、政治の領域にあって最初から主役の地位を主張しているにもかかわらず、主役を装って欺瞞の主張をする特定の国家があるわけではなく、どこまでも政治的理念にとどまって、政治的欺瞞にはなり得ません。むしろ、欺瞞は企業の側に生じるのです。

真にSDGsにそった行動なのか、単なる宣伝にすぎないのか区別がつかないということですか。
 
 SDGsには、政治的に非常に巧妙な側面があって、人類が遍く等しくもつ理性へ訴えかけた高邁なものがありますから、企業に対して、SDGsへの積極的な関与は企業価値を高める、そう信じさせることが巧まれているのです。実際、そう信じ、その信念にそって地球上の全ての企業が真剣に行動すれば、SDGsは本当に実現し、理性による社会革命として人類の歴史を画するでしょう。
 しかし、ここには多くの欺瞞が潜んでいます。現実に世界の企業のなかに急速に普及しているのは、SDGsへの積極的な関与というよりも、SDGsへの関与を積極的に公表することであり、世界の企業が競争しているのは、SDGsに基づく行動というよりも、SDGsへの関与を公表する際の文学的装飾や、SDGsの仮面を被った広報宣伝であるようにみえます。
 また、SDGsに基づく行動も、真にSDGsに貢献するものなのか、SDGsに貢献するかのように思わせるものなのか判別できません。SDGsへの関与が企業の利益になるとしても、企業の行動は複雑な連鎖を経て長期的な利益につながるのですから、SDGsに貢献するようにみえるものが実は長期的には貢献せずに、単なる短期的な企業の利益になり、逆にSDGsに反するようにみえるものが実は長期的にはSDGsに貢献することもあり得るのです。
 
ESGが欺瞞に拍車をかけてはいませんか。
 
 金融機関は、ESG(Environment、Social、Governance)の名のもとに、投融資実行の判断基準として、環境等の社会問題の視点による評価を重視するように求められています。つまり、ESGのもとで、金融機関は、環境等の社会問題についての規制が厳格化したり、世論の動向が変化したりする場合に投融資先の企業が受ける影響を考慮して、投融資判断を行うことになるのですが、これは当然にSDGsと強く親和します。
 さて、SDGs に結びついてESGが実践されると、負の影響を受けると想定される企業については、危険が高く評価されて資金調達費用が上昇し、逆に正の影響を受けると想定される企業については、同じ論理で資金調達費用が低下しますから、企業間の競争条件が大きく変動して、SDGsの実現していく方向に社会が動きます。
 こうして、SDGsはESGという強い味方を得て前進するわけですが、当然のこととしてSDGsの欺瞞も拡大していって、おそらくは、極めて深刻な事態を招来するのです。つまり、SDGsの欺瞞は、経済的費用として、集中的にESGに基づく投融資の成果に反映してしまうだろうということです。
 
ESGは不利だということでしょうか。
 
 第一に、ESGによって危険が高く評価されるとき、不可避な傾向として、危険は過大評価され、同様に、ESGによって優れた投融資先だと評価されるとき、危険は過小評価されます。つまり、割安なものを売って、割高なものを買うのと同じになります。
 第二に、ESGに反するとして、ある対象を投融資禁止にしてしまうと、当該対象は、極めて皮肉なことに、割安で魅力的なものになってしまいますが、その魅力あるものに投資しないことは、機会損失になります。
 第三に、ESGについても、SDGsの表層的な宣伝競争と同じことが起きざるを得ず、しかも、ESGにおいては、客観的な投融資基準を定めることの競争となるため、その基準策定のためだけの専門要員を内部に、もしくは外部の専門機関に確保しなければならなくなり、少なからざる費用が発生します。
 第四に、そのような基準を公開すれば、投融資先の企業に表層的に基準に適合することを可能にさせて、投融資判断の合理性を失わせるだけでなく、SDGsの欺瞞の拡散を金融面で支援することになります。
 第五に、何よりも懸念されるのは、極めて表層的なESGが流行現象として急拡大し、個人向け投資信託にまで適用されるに至ったことです。流行を利用して収益をあげるものがあれば、その収益はESGの費用であり、いずれ事態が冷静化したときに顕在化します。
 
ESGが不利でも、そのおかげでSDGsが前進すれば、それでいいのではないでしょうか。
 
 国連が世界中の金融機関を利用して、その費用負担においてSDGsを推進しようとしているのならば、極めて優れた政治手腕であって、敬意を表するほかなく、ESGに反対する理由はないのですが、金融機関としては、誰に対する責任において、誰の利益のためにESGを行うのか、そのことで本来の責任を負う相手に対して義務を履行できているのか、どうすればESGが有利なものになり得るのか、深く考えるべきです。

以上


 
次回更新は、3月26日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
 2019/02/28掲載「不正のなかに創造の芽がある
 2018/04/12掲載「リスクのテイクと管理を混同するなかれ
 2018/02/01掲載「悪魔の経済計算と計算不能な価値の多様性による成長戦略
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。