金融規制の強化による顧客本位の徹底

金融規制の強化による顧客本位の徹底

森本紀行
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ここ数年来、金融庁は、最重点施策として、金融機関に顧客本位の業務運営を徹底させるべく努めてきていて、それなりの成果を生んでいるわけですが、依然として顧客の利益に反した問題事象も少なくないとみられ、金融界の根本的な構造改革には至っていません。さて、これまで規制による強制を意識的に避けてきた金融庁なのですが、やはり、規制が必要なのではないか、規制するとしたら、どこに的を絞るべきか。
 
 現在の金融庁の行政手法は、金融監督庁として発足した当時とは、原理的に全く異なるものになっていますが、その変化を最もよく表現するのは、ルールからプリンシプルへという標語です。
 ルールは、法令その他の文書において明示的に記述された規則で、規制側の金融庁のもつ履行強制力によって、金融機関が他律的に遵守するものですが、プリンシプルは、被規制側の金融機関自身が定める行動原則であって、金融機関が自律的に遵守するものですから、仮に、そこから全く同じ金融機関の行動が導かれたとしても、原理的には全く異なるものなのです。
 
ルールの主旨に則ってプリンシプルが定められている限り、そして、ルールがルールの主旨に沿って遵守されている限り、ルールとプリンシプルは実質的に同じものになるのではないでしょうか。
 
 金融行政におけるルールからプリンシプルへの転換とは、金融機関に対して、ルールの形式的な他律的遵守を求めることから、ルールの主旨の実質的な解釈に基づく自律的行動原則の確立を求めることへの転換であって、具体的には次の二つのことを意味するわけです。
 即ち、第一に、金融機関が形式的なルール遵守を徹底するなかで、ルールの主旨に反した結果を生まないようにすることであり、第二に、金融機関自身によって、ルールの主旨に沿って、ルールより高度な自主規範の制定と実践が行われるようにすることです。
 金融庁は、この二つのことを別の形でも表現しています。第一に、金融機関が形式的なルール遵守を徹底することは、ミニマムスタンダード、即ち最低限のことにすぎず、それによってはルールの主旨は貫徹せず、故に、第二に、金融機関はルールの主旨を貫徹するためにベストプラクティスを追求する、即ち最善の努力をしなければならないということです。
 
小学校の道徳の授業のようではありませんか。
 
 学校は、先生を主語にして先生が学生を教えるところとして規定されるべきではなく、学生を主語にして学生が先生の指導のもとで学習するところとして規定されるべきです。同様に、現在の金融庁の行政は、金融庁を主語にして金融庁が金融機関を監督するものとしてではなく、金融機関を主語にして金融機関が金融庁との対話を通じて自分自身の努力により金融機能の高度化を図るものとして規定されているのです。
 もしも、先生による教育から学生による学習への転換が原理的な転換ならば、金融庁によるルールに基づいた監督から金融機関によるプリンシプルに基づいた努力への転換も、全く同じ意義において、原理的な転換だといっていいはずです。
 
そして、そのプリンシプルの中核に顧客本位の業務運営があるわけですね。
 
 顧客本位の業務運営というのは、最初は、フィデューシャリー・デューティーの徹底という表現のもとで、2014年度の金融庁の行政方針に登場したものです。その後、フィデューシャリー・デューティーという言葉が英米法の専門用語として固有の意味をもっていることや、主として資産運用関連業務において使用されるものであることなどから、より一般的な顧客本位の業務運営という表現に変えられたのです。
 その意味するところは、金融行政の専門用語としてではなく、日常語として、その字義通りに解されて全く問題ありません。そして、字義通りに解するときには、あまりにも常識的な商業道徳の基本になってしまうわけで、実際、金融庁自身が近江商人の「三方よし」を喩えに使って、主旨説明しているほどです。
 つまり、顧客本位の業務運営とは、金融規制の目的であり、金融規制における全てのルールの体系の根源的主旨なのですから、金融庁が金融機関に対して顧客本位の業務運営を求めるということは、要は、端的にルールの主旨の貫徹を求めるのと同じであって、これぞルールからプリンシプルへの転換の極限形であるわけです。
 
顧客本位の業務運営は、金融機関のプリンシプルとして、有効に機能しているのでしょうか。
 
 顧客本位の業務運営は金融機関自身のプリンシプルですから、各金融機関が自分自身の言葉で行動原則を策定し、それを対外的に公表することで、外部監視による一定の履行強制力の働きが期待されているものです。
 特に金融庁が重視するのは「見える化」であって、これは、プリンシプルの履行状況を開示させれば、顧客の金融機関選択行動に影響が出て、既存顧客を失うまいとし、新規顧客を得ようとする金融機関の努力が促されて、結果的に履行強制力が生じるという理屈に基づく施策です。なお、念のためですが、開示させるといい、施策といいましたが、「見える化」も金融機関自身のプリンシプルによることであって、金融庁が強制するものではありません。
 さて、プリンシプルによる顧客本位の業務運営の徹底の効果ですが、一定の成果を生んでいることは間違いないとしても、残念ながら、金融庁が期待していたほどの効果は生んでいません。実際、現在の金融界において、形式的なルール遵守の徹底のもとで、実質的に顧客の利益に反する行為は後を絶たず、ましてや、顧客の利益の増進のための最善の努力に至っては、その気配すら感じられない状況です。
 
金融庁としては、何とかしないといけませんね。
 
 現在の金融庁は、極めて哲学的というか、原理に忠実であって、顧客本位の業務運営に限らず、全ての領域において、新たなルールの制定は原則として行っておらず、全てを金融機関自身のプリンシプルと「見える化」を通じた顧客の力に委ねているわけです。しかし、十分な効果が出ていないことは、深刻な問題だといわざるを得ず、何らかの積極的な施策が必要だろうとは思われます。
 しかし、かといって、完璧に近い水準のルール遵守が徹底している現状において、新たなルールを設けても、その形式的な遵守が徹底されるだけで、ルールの主旨の貫徹にならないことは容易に予想されますから、「見える化」と並んで、プリンシプルの次元における新しい施策を工夫するほかないはずです。
 
自主ルールの策定ですか。
 
 顧客本位の業務運営が徹底しないのは、金融機関が公表しているプリンシプルが著しく抽象的なもので、あからさまにいって、ほぼ無内容なものだからであり、故に、「見える化」したとしても、見せるべき実態がなく、ないものは顧客にも金融機関自身にも見えないからです。
 また、そもそも、プリンシプルは、金融機関自身が策定した内部規律、即ち自主ルールとして具現化されない限り、機能し得ないものですから、金融庁の当然の期待として、そのような自主ルールが策定されていることになっているはずですが、おそらくは、ほとんど全ての金融機関において、未整備なのです。
 そこで、新しい規制の方法として、金融機関に対して、必要要件を個別具体的に特定したうえで、自主ルールの整備を義務付けることができます。これは、新たなルールを設けることではなくて、金融機関のプリンシプルとして、金融機関自身が自主ルールを定め、その自主ルールに自律的に従うことですから、金融庁の原理に反しないはずです。
 
金融機関自身が定めた自主ルールには、履行強制力が伴わないのではないでしょうか。
 
 確かに、法令等のルールや、それに準じるものとして金融庁が定めたルールには、金融庁の監督権限による履行強制力が伴っていますが、金融機関自身の自主ルールには、それがありません。しかし、金融庁は、自主ルールの履行状況を金融機関の内部統制の問題として監督することができるのですから、自主ルールといえども、法令等のルールに準じた履行強制力を伴うはずですし、履行強制力が働くように、監督のあり方を工夫すればいいだけです。
 そして、その自主ルールの外部公開を義務付ければ、そこに「見える化」の力が働いて、金融機関間の相互研鑽が促され、ベストプラクティスの追求への道も開けてくるでしょう。なぜなら、個別具体的な自主ルールが見え、その自主ルールに従った行動が見えることで、「見える化」が機能するからです。
 
仮に、金融庁として、ここぞという一点に絞って、敢えて新しいルールを制定するとしたら、その一点はどこでしょうか。
 
 その一点の要件は、顧客本位の業務運営の根底にある最も基本的な原理に関係するものであること、故に、そこが改まれば全体が波及的に改まるものであることです。では、その基本原理は何かといえば、原点におけるフィデューシャリー・デューティーの神髄に帰着するのです。即ち、専らに顧客の利益のためにという理念です。
 
利益相反管理の強化ということですか。
 
 そもそも、金融庁として、新しくルールを定めないことにしたのなら、その原則を変えるべきではありませんから、利益相反管理の強化のための新ルールを作るのではなく、現にある利益相反管理の枠組みのもとで、利益相反の定義を新たに厳格化し、厳格化された利益相反の定義のもとで、金融機関自身のプリンシプルによって、その排除がなされるようにすればいいのです。
 
利益相反のおそれを、利益相反そのものと看做すということですか。
 
 利益相反は金融界に横行しています。より厳密にいえば、横行しているのは利益相反ではなくて、利益相反のおそれです。しかし、利益相反のおそれは、形式的に利益相反だと証明されないだけで、実質的には利益相反そのものだと考えられます。さて、これを是正するのは極めて簡単で、外貌が利益相反なら、利益相反であると定義し、そうでないことの証明責任を金融機関に課せばいいのです。
 
以上


 
次回更新は、11月21日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
 2019/03/20掲載「見かけが利益相反なら利益相反だ
 2017/06/01掲載「金融界に横行する利益相反を根絶するために
 2015/11/12掲載「金融におけるフィデューシャリー関係の成立
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。