投資信託を売る君よ、文句があるなら独立しろ

投資信託を売る君よ、文句があるなら独立しろ

森本紀行
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投資信託の販売手数料が正当な役務の対価だとしたら、その役務は顧客の真の利益の視点にたった投資相談等のコンサルティングでなければなりません。そして、そのコンサルティングは、顧客が価値を認めて対価を支払っているのなら、販売業務から独立した商業として成立するはずであって、ならば、その業務に従事する人は、販売会社である金融機関を辞めて、独立開業できるはずではないでしょうか。

 投資信託の販売手数料とは何の対価なのか、何らかの役務の正当な対価なら、どのような役務が顧客に提供されているのか、役務の価値に対して手数料の金額は妥当なのか、これらの重要な問いについて、金融庁フィデューシャリー・デューティーの徹底を求めるまで、金融界の誰も真剣に考えたことがなかったとは、実に驚くべきことです。
 さて、金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは、投資信託の販売において、金融機関は専らに顧客の利益のために働かなくてはならないという当然の義務を意味するわけですが、金融機関が専らに顧客の利益のために働く限り、その働きに対する正当な報酬を得ていいことも当然です。
 故に、金融庁がフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めるや、販売手数料を廃止する動きが金融界に広まったことは、実に奇怪なことではないでしょうか。金融機関は、販売手数料の廃止を妥当だと認めるのならば、販売手数料は何の対価でもなく、何ら価値のある役務を提供することなく、単に顧客の無知に付け込んで徴収してきたのだと自白しているようにみえないでしょうか。

販売手数料とは、金融機関の営業経費の転嫁にすぎなかったということでしょうか。

 何を売るにしても、販売会社の担当者は、顧客に対して、商品の説明をしたり、様々な他の商品の選択肢を提示したりします。そうした顧客応対には当然に人件費等の経費がかかるわけですが、その経費が営業経費として販売会社の負担になることについては、全くもって疑う余地がありません。つまり、商品の販売時における顧客応対は、対価を発生させる独立した役務とはみなされないのです。
 さて、この一般論は投資信託の販売についても当て嵌まらないでしょうか。投資信託の販売についてだけは、顧客応対に関する特別の手数料を課してもいいのでしょうか。社会通念上、販売時における顧客応対については対価が発生しないと考えられるのならば、投資信託の販売手数料は何の対価なのでしょうか。何の対価でもないのならば、販売手数料の課金は、本来は販売会社の負担となるべき営業経費を不当に顧客に転嫁することではないでしょうか。

通常の営業経費の場合、販売価格に上乗せして顧客に転嫁されているとも考えられますが、投資信託の場合には、それができないという側面もあるのではないでしょうか。

 投資信託の信託報酬には三つの構成要素があって、第一は投資判断を行っている投資運用業者の報酬、第二は投資にかかわる事務管理等の業務を行っている信託会社の報酬ですが、第三に運用報告等の顧客対応に関する業務を行う販売会社の報酬があるのです。
 この販売会社の報酬は投資信託の販売業務にかかわる正規の売上げだと考えられますから、販売行為自体は、その売上げをあげるための営業行為として説明できて、販売手数料は役務対価としての根拠を失うわけです。実際、投資信託の販売会社が販売手数料を廃止するということは、こうした販売手数料の性格を正面から認めることだと考えられるのです。
 つまり、金融庁がフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めたことによって、営業経費の顧客への不当な転嫁にすぎなかった販売手数料の実態が明らかにされ、その事実を認めた販売会社は販売手数料を廃止したということでしょう。

しかし、金融庁は、金融機関に対して、販売手数料を廃止しろとはいっておらず、報酬等を受け取るときは、その根拠について合理的な説明をしろといっているようですが。

 フィデューシャリー・デューティーは専らに顧客のために働く義務ですから、それを極限まで突き詰めてしまうと、金融機関は何らの報酬も受領できなくなります。なぜなら、報酬を受領することを目的にして働くことは、明らかに金融機関自身の利益を追求することだからです。実際、フィデューシャリー・デューティーの歴史的淵源をたどれば、それは、特別に信頼された者の負う最高度の義務として、信頼した人の利益を守るために無償で働くことを意味していたのです。
 いうまでもなく、現在ではフィデューシャリー・デューティーの実践は無償の行為だとは考えられていません。しかし、無償性は報酬の合理性に転換されることにより、その理念は不変不動のものとして生き続けています。つまり、役務の提供には経費がかかるわけですが、報酬の合理性とは、報酬額は原価をもとにして適正な利潤を加えたものとして算定されなければならないということなのです。
 この報酬の合理性の考え方は、フィデューシャリー・デューティーが法律として機能している英国や米国においては徹底されているわけですが、金融機関が自己を律する経営原則としてフィデューシャリー・デューティーを採択する制度になっている日本においても、全く同じように徹底されなくてはならないのです。

そうしますと、販売手数料もさることながら、信託報酬についても合理性の観点から再検討が必要ですね。

 念のためですが、合理性の貫徹を求めることは、必ずしも報酬を下げることにはなりません。実際、報酬額に合わせて役務の質を考えるのは本末転倒であって、その結果、質の悪い役務が提供されるようでは顧客の真の利益に反するのです。そうではなく、顧客の利益のために最善を尽くすことが金融機関の義務なのであって、その義務の履行に要する原価を基準にして、報酬額は適正に合理的に定められる必要があるのです。
 そこで、フィデューシャリー・デューティーの徹底のためには、合理性の観点から現在の信託報酬は再精査されなければならないのですが、なかでも、とりわけ重要なのは総報酬に占める販売会社の取り分でしょう。はたして、販売会社が提供している役務に対して報酬額は適正なのでしょうか。

仮に総報酬額が適正だとしても、投資運用業者、信託会社、販売会社の分配において、販売会社の取り分が大きすぎるということでしょうか。

 投資信託の価値は投資運用業者が最善を尽くして運用することにより創造されるのであって、投資運用業者の報酬が適正であることは決定的に重要です。適正という意味は、様々に異なる投資対象と投資手法があり、投資運用に要する経費も様々に異なり、創造される価値も様々に異なるわけですから、それらの差異に応じて、報酬も異なるべきだということです。
 そして、販売会社の報酬も、信託会社の報酬も、全く同様に、提供される役務の内容に即した原価に基づいて適正に算定されなくてはならず、信託報酬の総額は、単に、それらの個別報酬の合計値として算出されるべきなのです。
 しかし、現状においては、そうした報酬の合理性は全く実現できていないと思われます。実態は理想にほど遠く、業界の暗黙の了解として信託報酬の平均的水準が決まっていて、その総額を投資運用業者、信託会社、販売会社の力関係で分配しているだけでしょう。
 このとき、販売会社の報酬水準については特別に徹底した検証が必要です。というのも、これまでの投資信託事業は、投資運用業者の運用能力よりも販売会社の販売能力で維持されてきた面が強く、故に、販売会社の優位が報酬にも反映しているのではないかとの疑念があるからです。
 今後、投資信託が健全なる発展を遂げるためには、投資運用業者の運用能力の向上が必須であり、その向上のためには運用能力だけによる競争が必須であるわけですが、そうした環境を実現するためには投資運用業者の報酬の合理化が必要であり、そのためには販売会社の報酬の合理化が必要なのです。

販売手数料に戻りますが、正当な報酬として合理性のある販売手数料というのもあり得るのではないでしょうか。

 投資信託を選ぶのは簡単なことではなく、それ以前に、個人の総合的な資産管理のなかに投資信託を組み込むこと自体が簡単ではなく、更に、それ以前に、家計管理のなかから中長期的な投資信託による資産形成の原資を作り出すことも簡単なことではありません。顧客の真の利益のために投資信託を販売するというのならば、こうした家計の原点にまで遡るコンサルティングの視点は不可欠です。
 さて、投資信託の販売時において、このようなコンサルティングがなされるのならば、それは立派な独立した役務であって、その対価を顧客に請求し得ることは明らかです。しかし、このコンサルティングは、個別の投資信託の販売とは直接に結びつかないでしょうから、その対価を販売手数料と呼ぶわけにも、また課金方式を販売額の定率にするわけにもいかず、全く別の報酬体系になるのでしょう。

独立した役務になるのなら、金融機関の業務にする必要もないですね。

 コンサルティングが独立した役務になるのなら、それに従事する人は、金融機関に属する必要はなく、顧客に属すればいい、即ち独立して開業すればいいのです。
 そして、顧客の利益の視点で独立したからには、専らに顧客の利益のために働けば働くほど、所得も増えるはずです。なぜなら、顧客の認める価値を創出し、それに応じた合理的な報酬を顧客から受け取るのならば、顧客の利益が増えるほど、自分の所得も増えなくてはならず、逆に、自分の所得を増やすためには、専らに顧客の利益のために働き、顧客に自分の仕事の価値を認めさせなくてはならないからです。
 同じことは、投資運用業に従事する人についてもいえて、真に顧客の利益のために運用して付加価値を創造しているのなら、金融機関に属する必要など全くなく、販売会社に頼んで売ってもらう必要もなく、運用の質だけで事業が成立するはずです。

それが真の働き方改革ですね。

 金融庁は、金融機関の経営者に対して改革を要求しているわけですが、そこには、組織があって人があるという発想の倒錯があるように思えます。顧客があり、顧客のために働く人があり、それらの人が顧客のための組織を作るとき、金融機関自身のための古い組織は淘汰される、それが真の金融改革であり、真の働き方改革であるはずです。

以上


次回更新は、7月4日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/10/26掲載「金融のフィデューシャリーを目指す働き方改革
2017/10/19掲載「金融のプロフェッショナルを目指す働き方改革
2017/10/12掲載「金融における顧客本位な働き方改革
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。