会社がなくなる日のために

会社がなくなる日のために

森本紀行
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企業という言葉は会社と同義に使われますが、本来は、読んで字のごとく、業、即ち事業を企てることであって、その企てに参画する人が事業主体として作るのが会社なのです。故に会社の主役は事業を企てる人だったはずなのに、いつか会社が先にあって、そこに人が従属するようになってしまいました。さて、真の働き方改革において、働く人の主体性が回復され、企業が事業を企てることに戻ったとき、会社はどこに行くのか。

 何らかの事業を企てるとき、一人の人間の能力には限界がありますから、複数の人が寄り集います。そして、一つの事業主体を設立します。事業主体が必要なのは、計画的な事業遂行には、事業参画者のなかに統制、即ち意思決定の仕組みと指揮命令系統が必要だからであり、また、資金を調達し、事業遂行に必要な資源を集積するためには、調達と所有の主体が必要だからです。
 事業主体は、多くの場合、会社、しかも株式会社という形態をとっています。それは、様々な側面において、会社が使い勝手のよい便利な道具だからです。しかし、先人の工夫が優れていたとはいえ、会社は極めて古い制度であって、これほどまでに情報処理と金融の技術環境が高度化した現在でも、なお使われ続けていることは不思議です。
 そこで、現在の技術環境に照らして会社の利便性を再検討したときには、より効率的に課題を解決できる方法、会社にできなかったことを可能にする方法、会社の欠陥や弊害を是正できる方法が見出せるのではないか、更に極論するとき、事業遂行さえ可能であれば、会社どころか事業主体自体を不要にできるのではないかとも考えられるのです。

まず統制について、会社ではない別の解があり得るでしょうか。

 複数の人が集って何か一つのことをするときに統制が必要なのは間違いありませんが、その統制の組織が会社である必要など全くないことも間違いありません。むしろ、会社という統制組織に欠陥の多いことは、企業統治論として常に問題にされています。ところが、企業統治論というのは、事業を企てるという意味の企業を会社と同一視するもので、事業よりも先に会社の存在を自明視する倒錯に陥っています。
 真の企業統治論は、ある事業の遂行において、その事業特性に応じた最適な統制組織を考えるものでなければならないでしょう。実際、事業に踏み込まずして、事業遂行の枠組みだけを独立して議論することは、中身を無視して容器を議論することです。
 会社法の権威の大先生の名言に、会社法をよくしても会社はよくならないというのがあるそうですが、会社がよくなるとは事業がよくなることですから、名言の真意は、会社法をよくしても事業はよくならないという当然至極のことに帰着します。企業統治論の目的は、会社をよくすることではなくて事業をよくすることですから、会社の枠を超えて、事業をよくするための統治の仕組みが検討されなくてはならないのです。

働き方改革のなかで、会社の枠を超える方向性が示されていますね。

 会社ができてしまうと、会社は強力な実在性をもちます。その代表例は、職場という物理空間です。確かに情報技術が未熟な時代には、物理空間としての会社は情報交換の場として必須だったでしょうが、現在の高度化した技術を用いれば、会社を情報空間上に展開できます。そうすることで、働く人の生産性と生活の利便性を大幅に向上できるでしょう。
 また、会社の実在性は、人が集って会社を構成しているという本質を倒錯させて、会社に人が従属している事態を生みます。これを本来の姿に戻し、様々に異なる専門性をもった人々に様々に異なる立場で事業参画してもらう形態にするとしたら、それらの人々は特定の会社に帰属する必要もなく、複数の会社で働いたり、完全に独立した立場で働いたりできます。会社が情報空間上にある限り、どのような働き方も可能であり、そこに会社よりも優れた統制も工夫できるはずなのです。
 こうした働き方改革の徹底は、会社の実在性を揺るがし、会社を抽象化させて、会社の背後に隠れていた事業の本質を前面に浮き出させてきて、いずれは、会社に替わるものを生み出していくことでしょう。

会社が資金調達の仕組みとして必須の要件だったことについては、どのような代替的方法があり得るでしょうか。

 会社の最大の利便性は、資金調達が容易になることです。なかでも、資本調達、即ち株式の発行による調達は、弁済計画が不要であるため、事業に必ず付随する大きな不確実性を考えるとき、非常に便利な方法になっています。故に、株式会社という制度が圧倒的に優勢となっているわけです。また、負債調達、即ち社債の発行や融資を受けることによる調達は、厳格な弁済計画が付されているにもかかわらず、事業の不確実性を資本の厚みで吸収する前提で可能になっています。
 こうして、株式会社という制度は、資本と負債を適切に組み合わせることで、事業の特性に適合した資金調達を可能にする非常に優れたものなのです。優れたものだからこそ、古いものであるにもかかわらず、今日まで長く使われ続けているのです。しかし、欠点もあります。それは、株式による調達が調達側に有利だということは、資金供給側の出資者には不利だということです。故に、不利な出資者の立場を保護する目的で、企業統治論が喧しく論じられるわけです。

調達側の利便性もさることながら、供給側にも利便性があるからこそ、株式会社の優位が揺るがないのではないでしょうか。

 資金の供給、即ち金融の基本は企業金融になっていますが、この企業とは会社のことですから、金融の対象は会社であることが自明の前提にされてきたのであって、そこに、事業遂行に際して会社の設立が自明視されてきた背景があると考えられます。つまり、事業遂行に会社が不可欠だから会社に対する金融が定着しており、会社に対する金融が定着しているから事業遂行に会社が不可欠だとされているのであって、この相互規定関係が会社を長く存続させているわけです。

そうしますと、事業を見ずして会社に金融をつけるという別の倒錯が生じるわけですね。

 ある会社において、かつて優れていた事業の成果によって大きな内部留保が形成されていて、それらが優良な不動産等の資産に化体しているとき、もはや事業が競争力を失いつつあるときにも、会社は優良な融資対象であり得ますし、逆に、大きな潜在的成長力をもっている事業でも、それを運営する会社の財務基盤が脆弱であれば、融資対象たり得ない場合があります。
 つまり、会社と事業は同じものではなく、よい事業が必ずしもよい会社ではないわけですが、会社への金融が原則になっているときは、金融側の投融資判断において、事業の評価よりも会社の評価が重視される傾向が不可避となります。しかし、いうまでもなく、重要なのは事業であって、会社は事業を入れる器にすぎないのですから、立派な器に盛られた貧しい事業に金融がつき、貧しい器に盛られた立派な事業に金融がつかないというのは不合理です。
 そこで、金融庁は、この不合理に着目して、銀行等の融資姿勢に再考を求めました。そのときに金融庁が使った用語は、事業性評価に基づく融資というのです。この用語が初めて登場したときに当惑が広がったことをみてもわかるように、会社への金融という固定観念は、金融界に抜き去り難いものとして極めて強く染み着いているのです。
 しかし、このような金融構造のもとでは、よい事業は育たず、よくない事業は、よい会社のなかに存続することにより、産業の構造改革は進みようがないのです。故に、金融庁は、産業構造改革の前提として、金融構造改革が不可欠だと考えるに至ったわけです。

改革の方向性は、企業金融、即ち会社金融から、事業金融へということでしょうか。

 現在の金融の技術をもってすれば、一つの会社の複数の事業について事業ごとに、一つの事業の複数の案件について案件ごとに個別に金融をつけることができます。更には、例えば、一つの大規模な開発事案について事案の進捗段階ごとに金融の構造を変えることもできます。
 しかし、一つの会社に金融をつけることの容易さに比して、事業ごと、案件ごと、進捗段階ごとの金融は極めて面倒で難易度が高いものです。故に、会社への金融の優位が揺るがないのですが、逆に、金融界として、安直な道を選択して金融の高度化を怠ることで、付加価値創造の能力を低下させ、事業基盤を自ら崩壊させてきた側面を否定できません。金融庁が事業性評価に基づく融資といったとき、この怠慢に対する猛省を求めたものと考えられます。

事業金融を突き詰めると、多数の会社が同一事業を営む産業基盤に金融をつけるところまでいかないでしょうか。

 そうした産業金融の仕組みは、既に例えば、空運産業では実現しています。空運産業の発展は、いうまでもなく、規制緩和によって無数のLLCの参入を認めたことに起因していますが、この規制緩和は、競争による空運産業の発展をもたらす一方で、激烈な競争環境は個々の空運会社の破綻確率を著しく高めました。こうして、空運会社への金融が困難になったことは航空機リースを急拡大させたのです。
 今や、金融界は、航空機を所有し、空運会社には、資金ではなく航空機を貸しています。つまり、個々の空運会社への金融から、航空機という産業基盤への金融に転換することで、空運産業全体への金融へと構造改革がなされたのです。そして、その金融の構造改革が空運産業の構造改革を可能にし、また、産業の構造改革が金融の構造改革を促すという相互規定関係が働いているわけです。

他の産業でも、産業基盤への金融が拡大していけば、究極は働く人への金融が実現できますね。

 空運産業には安全管理の高度な規制があって、空運会社の設立は簡単ではありませんが、航空機リースによって金融面では新規参入が容易になりました。他の様々な産業においても、産業基盤の共有化を可能にする産業金融の仕組みができれば、その基盤のうえで新規創業を飛躍的に活性化できます。
 そのとき、伝統的な企業金融、即ち会社への金融は二極に解体することでしょう。一方は、産業の共通基盤への金融であり、他方は、その基盤のうえで起業、即ち真に業を企てるという意味での企業をする人への金融です。会社への金融が滅ぶときに会社は滅び、会社が滅ぶときに会社への金融は滅ぶ、金融構造と産業構造は常に相互規定関係にあるのです。



以上


次回更新は、6月6日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/03/16掲載「東芝は消滅、東芝の事業は不滅
2016/12/15掲載「スルメ金融からイカ金融へ
2014/07/17掲載「オブジェクトへの金融
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。