企業年金に企業の品位品格が現れる

企業年金に企業の品位品格が現れる

森本紀行
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2018年6月1日に改正施行された「コーポレートガバナンス・コード」では、初めて企業年金への言及がなされましたが、その主旨からして、企業年金が企業価値の向上に貢献すべきことを前提にしたうえで、経営者に対して、より優れた取り組みを促すものと考えられます。しかし、企業側の目立った反応がないということは、企業価値の向上における企業年金の機能が充分に理解されていないからでしょう。さて、なぜ企業年金が重要なのか。

 新たに改正施行された「コーポレートガバナンス・コード」では、「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」と題される第二章に、六番目の原則として、以下が追加されています。
 「上場会社は、企業年金の積立金の運用が、従業員の安定的な資産形成に加えて自らの財政状態にも影響を与えることを踏まえ、企業年金が運用(運用機関に対するモニタリングなどのスチュワードシップ活動を含む)の専門性を高めてアセットオーナーとして期待される機能を発揮できるよう、運用に当たる適切な資質を持った人材の計画的な登用・配置などの人事面や運営面における取組みを行うとともに、そうした取組みの内容を開示すべきである。その際、上場会社は、企業年金の受益者と会社との間に生じ得る利益相反が適切に管理されるようにすべきである。」

企業年金が主役というよりも、企業年金を借りて、金融庁のいう資産運用の高度化を促しているようですが。

 金融庁のいう資産運用の高度化には多くの要素を含みますが、「コーポレートガバナンス・コード」との関連でいえば、株式市場において株主が適正な行動をとることによって、投資先企業のガバナンス改革を促し、もって産業の発展を通じた経済の持続的成長を実現することが重要な課題であるわけです。そこで、その株主の有力なものの一つとして、上場企業自身の企業年金がとりあげられたということです。
 もっとも、厳密にいえば、企業年金自身ではなく、その資産運用を受託している運用機関が株主として行動するのですから、企業年金による運用機関への働きかけという意味で、「運用(運用機関に対するモニタリングなどのスチュワードシップ活動を含む)」という表現が採用されているのです。なお、念のためですが、「スチュワードシップ活動」というのがガバナンス改革を促す株主の機能のことです。
 従って、企業年金の「アセットオーナーとして期待される機能」を、「スチュワードシップ活動」を通じたガバナンス改革という側面だけに限定すれば、企業年金は単なる道具にすぎず、その保有資産のなかで運用機関を通じた株式投資がなされているという事実だけに意味があることになります。実際、そのように企業側は理解しているのかもしれません。

「企業年金の積立金の運用が、従業員の安定的な資産形成に加えて自らの財政状態にも影響を与えることを踏まえ」とありますが、これは付け足しの枕詞にすぎないということですか。

 「踏まえ」ということの意味は必ずしも明らかでありませんが、「スチュワードシップ活動を含む」の「含む」という表現と併せて考えると、この原則の中核は、「スチュワードシップ活動」にあるわけではなく、それを重要な要素として含みつつ、企業年金の資産運用が「従業員の安定的な資産形成」と「自らの財政状態にも影響を与えること」に対して、経営者の意識改革を求めたものと理解すべきでしょう。
 逆に、企業経営者が企業年金の資産運用の重要性を認識し、その管理の適正化と高度化に努めれば、自然な流れとして「スチュワードシップ活動」の活性化が期待されるのです。なぜなら、「スチュワードシップ活動」の究極の目的は、投資先企業の価値の向上なのであって、それが企業年金の資産運用における中長期的な投資収益の向上につながるはずだからです。
 そして、企業年金の資産運用が企業経営にとって重要であるからこそ、「コーポレートガバナンス・コード」は、具体的な行動として、そこに経営資源、即ち専門的能力を有する人材を投入すべきであるとしているわけです。いうまでもなく、ここには、経営資源を投じることで企業価値が上がる、即ち、その費用よりも創造される付加価値のほうが大きいという前提があります。

要は、運用で儲けろということですか。

 儲けろということではなくて、企業年金の資産運用の本質からして、専門的知見のもとで適正な資産運用を行う限り、適正な投資収益を合理的に期待できるということでしょう。それが「自らの財政状態にも影響を与えること」の積極的側面だと考えられます。
 しかし、多くの企業経営者にとっては、「自らの財政状態にも影響を与えること」の否定的側面、即ち資産運用による損失発生の可能性や、実質的な損失にはならないまでも一時的な資産時価の下落が企業経営に与え得る影響に対する懸念のほうが大きいのかもしれません。おそらくは、故に、この問題に対する企業経営者の関心が低いのだろうと想像されます。

「従業員の安定的な資産形成」というのは、どういう意味でしょうか。企業年金の給付額は資産運用の成果と無関係ではないでしょうか。

 そもそも、企業年金が確定給付企業年金だけを指すのならば、その運用成果は給付額と無関係ですから、「従業員の安定的な資産形成」の意味が不明になりますが、そこに確定拠出企業年金を含むということならば、従業員に対する適切な投資教育や投資対象の選定において、企業の果たすべき責任が重大であることをいっているのだと考えられるでしょう。
 また、確定給付企業年金についても、その制度があるということ自体において、「従業員の安定的な資産形成」に大きな役割を演じているわけですから、制度の持続可能性を高める意味で、資産運用において適正な収益をあげるべく努めることは、企業の重大なる責務だと考えられます。
 なお、いうまでもなく、企業年金資産の運用収益は、給付額の改善に充当されることはありませんが、企業が制度を維持する費用には充当されるわけですから、間接的に給付の安定性と確実性を高める効果をもつわけです。
 しかし、このことは、全く逆に、資産運用収益が低迷すること、あるいは投資損失の発生することは、企業の制度維持費用を増加させる可能性をも意味し、企業にとって、確定給付企業年金の資産運用は、意図しない費用の増加という不確実性の原因にもなるということです。

そうしますと、「コーポレートガバナンス・コード」の別の主旨からしますと、企業経営として、資産運用上の不確実性を受け入れることの合理性が問題にもされ得ますね。

 そもそも、根源的な問題として、「コーポレートガバナンス・コード」をもちだすまでもなく、中長期的な利益をもたらさないこと、即ち企業価値の安定的な向上につながらないことには、企業は経費を支出できないわけですから、経営者として、確定給付にしろ、確定拠出にしろ、企業年金が企業価値の向上につながる経路を明らかにしておく必要があります。
 企業年金が企業価値の向上に貢献しているのならば、その制度維持に関する費用が小さくなく、また大きな不確実性を伴うとしても、費用を上回る価値の創造がある限り、少しも問題ではないわけです。逆に、企業価値の向上に貢献しないということならば、資産運用の問題以前に、制度自体の存続を見直すことこそが経営者に求められます。

では、根源的な問いですが、企業年金は企業価値の向上に役立つのでしょうか。

 そのような一般的な問いに答えることはできません。企業固有の事情によって、企業年金が人事処遇制度として有効に機能することもあれば、そうでないこともあります。また、制度設計と維持管理のやり方によって、企業年金の機能を十全に引き出すことも、逆に、企業年金に本来ある機能を破壊することもあるでしょう。要は、企業年金を人事処遇制度として活かすことができるかどうかは、経営能力の問題なのです。
 そこで、まずは、企業年金のもつ人事処遇戦略上の機能の理論的側面を明らかにし、そのうえで、その機能が有効に働く場面を検討する必要があります。しかし、論点は極めて単純かつ明瞭です。要は、企業として、従業員とは付加価値を創造する資産なのだと考えるかどうかに帰着するのです。
 企業にとって、人的資源が資産ではなく単年度の確定費用として使い切られるものならば、企業年金は不要です。逆に、人的資源が長期的に価値を創造する資産であると考え、しかも時間の経過とともに熟練によって資産価値が増すと考えるのならば、企業年金は不可欠といっていいほどに重要なものになるでしょう。
 もちろん、産業構造によって人の熟練のもつ意味は大きく異なるわけですから、企業経営にとっての企業年金の意義も様々です。しかし、普遍的にいえるのは、人間の価値創造の能力こそ産業の基盤であり、その能力の開発に企業の競争力の本質があるということです。その視点から企業年金のもつ意義が再認識されたとき、その限りにおいて企業年金は存立し得るのです。
 また、企業年金には、処遇としての純経済価値を超えた非経済な価値があります。年金の現価総額を前払いと称して月例報酬に上乗せすれば、等価交換の経済取引にすぎませんが、年金には特別な意味が付加されているわけです。つまり、企業年金は、理念として、人と企業との間の退職後も続く特別な関係を前提に、そこに企業は人を大切にする思いを籠め、その対価として勤勉や精励を得るものなのです。

「上場会社は、企業年金の受益者と会社との間に生じ得る利益相反が適切に管理されるようにすべきである」という個所については、どう考えるべきでしょうか。

 その点については、既に2017年4月の講演において、当時の金融庁長官であった森信親氏が「アセットオーナーは、自らの資金を委託するのに最もふさわしい能力を持った運用会社を見極める必要がありますが、仮に企業年金が、運用のマンデートを運用会社グループとのリレーションで与えているとすれば、それはフィデューシャリー・デューティーの観点に照らして問題があります」と述べたことにつきています。
 ここで、「マンデート」というのは運用委託契約のことであり、「フィデューシャリー・デューティー」というのは、専らに企業年金の受益者である従業員と年金受給者の利益のためにのみ、企業年金を管理運営しなければならないという経営者の負う義務のことであり、「運用会社グループとのリレーション」とは、企業と債権者の銀行や大株主の保険会社との関係のことですから、森氏の発言の主旨は解説不要でしょう。

まさに、企業年金に企業の品位品格が現れるわけですね。

 人間を単なる費用としか考えない企業、企業年金資産を取引先金融機関との関係維持のために利用する企業に、誰が勤めたいと思うのか。人材市場で競争力を失ったとき、企業は競争力そのものを失うのです。「コーポレートガバナンス・コード」に新たに加えられた企業年金に関する原則は、そのことに注意を喚起しただけです。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/07/06掲載「年金基金の資産運用にコンサルタントは必要なのか
2017/04/20掲載「ついに金融庁が動くか、年金基金の実態暴露と抜本改革
2015/09/03掲載「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。