投資におけるインパクトとは何か

投資におけるインパクトとは何か

森本紀行
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資本主義経済は、資本の自律的な運動のみによっては、持続的な成長と富の公正な分配を実現できません。そこで、国家の積極的な介入による軌道修正が必要とされるのですが、それとても、日本の現実に象徴されるように、機能の限界に達しつつある感を否めません。そこで、新たに求められてくるのが社会的インパクト投資です。さて、インパクトとは何か。
 
 少なくとも先進経済圏においては、資本主義経済は政府の積極的な機能なしではなりたち得ないものになっています。しかも、その政府による資源の再配置と所得の再配分も必ずしも有効には働かなくなってきたようです。
 日本は非常にわかりやすい例ですが、財政支出の拡大が少しも税金の増収につながらずに巨額な財政赤字を一方的に累積していき、政府主導の産業構造改革による資源再配置にも大きな効果がなく、金融政策も中央銀行の資産膨張になるだけで機能しないということは、資本主義経済としての自律的成長力自体に疑念を抱かせるものです。
 
むしろ、逆に、政府の介入を排除することで、資本主義経済の真の姿が現れてきて、自律的な成長力を回復するのではないでしょうか。
 
 確かに、一部には、資本主義の原理論というか、政府の介入を最小化して経済の自律に委ねれば、市場機能によって、資源と所得の最適かつ公正な配置と配分が実現するはずであって、政府の介入こそ、市場機能を歪めて、経済の非効率を招くものだという考え方もあり得るでしょう。
 しかしながら、政府の介入に替えて民間機能の活用を図るべきだという意見は正当だとしても、資本主義経済の完全な自律性だけでは社会の健全な発展があり得ないことについて、もはや、異論を差し挟む余地はないと思われます。
 資本主義経済は、資本の自律的運動に委ねる限り、市場原理を通じた自分自身の調整作用だけでは、ときに自分が作り出す非効率や不均衡を是正することができなくなり、停滞に陥ったり、バブル的状況と、その崩壊を招いたりするのです。だからこそ、市場の自律作用を補完し、補強し、補正する市場外部的な機能は不可欠なのです。ただし、その機能の主体は必ずしも政府である必要はないというだけのことです。
 
日本経済の現状は特殊なのではなくて、程度において超先進的症状を呈しているにすぎない面もありますね。
 
 先進経済圏全体として、日本的な傾向にあることは、間違いありません。地球経済全体としても、絶対的な成長率の低下は不可避でしょう。物質の充足には、おそらくは、どこかに満足の限界があるのです。他方、精神の充足には限界がないとしても、その経済効果は大きくはないのです。
 確かに、エマージング諸国には経済の自律的成長力の逞しさがあるかもしれませんが、それとても、先進経済圏との間で、経済の自律性を超えた政治的連携のなかで、資源の再配置と所得の再配分が行われていることに依存する側面は否定できないのです。そして、なによりも、次なるエマージングとしてのフロンティアは、遠くない将来に消滅してしまいます。
 技術は無限に進化するかもしれませんし、様々な分野で革新をもたらす人間の英知にも限界はないのかもしれませんが、効率化、小型化、省力化、軽量化、高速化は、必ずしも経済の成長につながらないかもしれません。例えば、シェアリングが最高度に達すれば、物の生産額は最小化するのですし、情報だけが移動して事が済めば、物と人の移動は不要になるのですから。
 また、所詮、地球も人間も有限です。いずれ、人類は宇宙に展開することで、あるいは生命の神秘を解明することで、全く別の仕組みのもとでの経済成長軌道を見出すのかもしれませんが、それまでは、今の資本主義経済の構造のなかで、創意工夫をしていくほかないのです。
 
そこで、インパクトが登場するのですね。
 
 資本主義経済が作り出す代表的不均衡は、所得格差の一方的な拡大です。もちろん、所得格差が生じることは当然であり、悪平等こそ非効率なのですから、公平ですらあり得るでしょう。しかし、一定限度を超えた所得格差は、不公正となり得るばかりでなく、低所得層の需要減退を招く可能性もあることから、福祉国家政策として、累進税率や補助等を通じた所得の再配分が行われているのです。
 問題は再配分の方法論です。伝統的な政府機能を通じた手法は、ガバナンスの欠如に基づく無駄の横行等の非効率を生み出し易いものですし、国境を越えた地球規模の所得格差には対応できません。そこで工夫されるのが民間資本の活用により社会的インパクトを創出する仕組みです。
 
インパクトとは何でしょうか。
 
 引き続き所得格差の是正に例をとりましょう。所得再配分政策が有効である限り、必ず社会的付加価値を創出しているわけですが、それは、例えば国民総生産の純増額のように、経済価値として測定可能なはずです。しかし、他方で、純粋な再配分で政府の財政負担がないとしても、膨大な行政機構を使う以上、大きな費用も発生しています。そこで、創出された経済価値から費用を差し引くと、純経済価値が計算されます。
 さて、政府の費用支出は一種の投資であり、その投資の結果得られた効果が創出された純経済価値ですから、二つの比として投資利潤率が計算されます。もしも、この投資利潤率が理論的に十分に高いと推計されるのならば、民間の投資としても経済的に構成し得ることになります。そこで、民間の投資として再構成するとき、政府支出に相当するものが社会的インパクト投資と呼ばれるのです。
 
社会的インパクト投資によって経済的価値が創出されるにしても、それを金融的収益に還元することは、理論的にはともかくも、実務的には困難ではないでしょうか。
 
 その通りでしょう。以上の議論は、あくまでも理論的枠組みです。そもそも、特定の政策に帰属する経済効果を純粋に分離して測定すること自体、純理論的な話で、実務的には、精度の低い推計くらいしかできないはずです。
 しかし、政策に要する費用のほうは、より高い精度で計測できます。そこで、政策実行に要する費用よりも少ないインパクト投資額で同等の経済効果を得ることができると推計されるときは、その差額をインパクト投資の経済効果と看做して、収益化できるはずです。
 
例えば、どのような手法があり得るでしょうか。
 
 低所得者層向けの住宅を考えてみましょう。政策手法としては、公営住宅を建設して安い家賃で貸し出す、あるいは一定の要件を充足した人に住宅補助手当を支給するなど、様々な方法があるに違いありません。他方、インパクト投資として構成するならば、例えば、民間事業者が投資目的で所有する集合住宅に補助金をつけることができます。
 民間事業者としては、補助金を利用して市場実勢よりも低い水準に賃料設定を行うことで、本来は賃料が高すぎて入居できない人でも入居させることができます。こうすれば、高い稼働率を維持できて、かつ賃料収入は補助金を合わせれば市場実勢水準になっているので、優良な投資不動産物件に仕上げることができるわけです。
 要は、インパクトによる方法が正当化されるためには、政府が直接に行う手法に比較して、同じ政策効果を実現するために政府が負担する費用が少なくて済むという要件を充足しさえすればいいのです。では、なぜ、費用が少なくなるかといえば、民間経営のもとで、ガバナンスの改善、専門的知見と経験の導入等により、効率化が図られるからです。
 
では、政府の事業のうち、インパクトに構成できるものは少なくないのでしょうか。
 
 考え方の基本構造を説明するために、インパクトに構成できる事例として、政府の数多ある事業のうちから所得の再配分をとりあげ、更に、それを住宅補助事業に絞って考えてみました。しかし、政府の事業には、いかに工夫しても民間投資としての最低限の収益性を期待できないものもあるはずです。だからこそ、政府にしかできず、そこにこそ政府の真の役割があるともいえるので、それはそれで、いいわけです。
 しかし、インパクトに構成できるかどうかを検討することは、政府の事業のガバナンス改革や費用削減にとって、非常に有益だろうと思われます。全くインパクト投資としての採算に合わない事業は、非経済的な事業目的を明確化せざるを得なくなるでしょうし、インパクト投資に構成できるものは、どんどん民間移転することで、国民経済全体の効率を改善することができるからです。
 
逆に、政府の事業としては難しくても、インパクトには構成できるという分野もあるでしょうね。
 
 むしろ、インパクトにしかできない分野こそ、インパクトの活躍の場なのでしょう。例えば、政府の事業として行うには様々な制約が伴い実現が困難な領域、民間の自由な発想でなくては取り組めないような革新的で創造的な分野、政府の制度整備を行うには小さすぎたり多様すぎたりする分野、政府の領域外である海外での事業などが考えられます。
 そもそも、政府の領域と民間の領域とを分けて考える必要など最初からなく、環境問題や所得格差など資本主義が生み出す構造的矛盾を補正しなければならない領域、資本の論理だけでは事業化できない領域、そもそも最初から経済分野ではない文化的領域など、多種多様な領域で、自由な創意工夫のもと、社会的インパクト投資が試みられればいいのでしょう。
 
それにしても、なぜインパクトと呼ばれるのでしょうか。
 
 それは経済にインパクトを与えて、経済厚生の純増加を図る試みだからでしょう。投資の結果として社会的価値が創出されるからこそ、社会的インパクト投資として経済的に構成されるのであって、当然至極のことながら、インパクト自体よりも結果として生まれる経済価値が重要なのです。経済価値を生まない事業でも、社会的意義をもつものもあるでしょうし、ある種の社会的な影響力としてのインパクトもあるでしょうが、それは少なくとも投資でないことは明らかです。
 
だとすると、民間企業が行う普通の投資も、悉くインパクトではないでしょうか。
 
 そういうことです。企業として、インパクト、即ち付加価値の創造を目的としない投資など、あり得ないのです。そして、そのインパクトが社会的なインパクトであることも自明です。ただし、この場合、インパクトの効果は、企業の利益として、あるいは企業価値の上昇として、明確に測定できるので、特に、とりたてて社会的インパクト投資などという必要もないわけです。
 しかし、企業の行うインパクト投資は、社会的インパクト投資とは、本質的な点で異なります。方や、金融的な資本の論理により資本の矛盾を生み、方や、その資本の矛盾を社会的な資本で補正することで、社会全体の経済厚生の持続的成長を可能にするものなのです。
 
以上

 
 次回更新は、8月24日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/05/12掲載「学資ローンの条件を学業の成績で決めるフィンテック
2014/06/26掲載「公共ファイナンスの視座
2012/09/13掲載「とかち酒文化再現プロジェクト


森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。