大胆予測、2020ニッポン国際金融センター

大胆予測、2020ニッポン国際金融センター

森本紀行
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政府は、2020年の東京オリンピック開催までに、日本をアジア最大の国際金融センターにするという構想を掲げています。日本の金融の実情を知り抜いている専門家ほど、それは現実味のない妄論だ、と一蹴してしまうのでしょうが、実は、いけるのではないか、常識を超えたことが起こり得るのではないか、そのような大胆な予測、というよりも熱い期待を展開してみましょう。
 
 2020年までに、ということは、今から僅かに6年しかないわけです。日本の現状から考えて、その短い時間のなかで、日本を国際金融センターという呼称に相応しいものにすることなど、常識論としては、不可能であるといわざるを得ません。
 実際、政府も、国際金融センターへの「挑戦」といういい方をしています。政策課題に挑戦という言葉を用いることは極めて異例のことです。なにしろ、挑戦とは、不可能と思える難事を想定したものだからです。
 

まさに、ミッション・インポシブルですね。
 
 そうなのですが、映画の「ミッション・インポシブル」では、インポシブルと思えたミッションは達成されてしまうのです、それは、最初から、普通の方法ではインポシブルであるとの前提のなかで、普通ではない方法が採用されるからです。ならば、国際金融センターへの挑戦というミッション・インポシブルも、普通の方法ではインポシブルであるとの前提をもってかかれば、実は、達成されてしまうのではないか、そうとも思えるのです。
 ということで、国際金融センターへの挑戦の鍵は、普通ではない方法の採用ということになる、普通ではない方法というよりも、常識的な思考では考えもつかない方法、非常識の極みの方法というほうが適当かもしれません。
 

では、早速に、非常識の極みを展開しましょう。どうせ、非常識ですから、何をいっても構わないので、これは自由で楽しいですね。まずは、何からいきますか。
 
 当然に、英語でしょう。英語といっても、言葉だけの問題ではなく、法文化の次元において、徹底的に英米法化を推進するということです。
 なぜ英米法かというと、金融取引とは、キャッシュフローの交換に関する契約関係のことにほかならず、そこにおいては、関係当事者の権利義務関係を明確にすることが必須の要件ですが、国際金融センターというからには、その権利義務関係が国際的に通用する法制度のもとに統制される必要があり、その国際的に通用する法制度としては、英米法の事実上の圧倒的優位が確立しているからです。
 金融取引が実物を介しないこと、要は、単なるキャッシュフローの交換取引であることは、当然のこととして、契約という紙切れのもつ意味を極めて大きなものにするわけですが、それのみならず、権利の行使に際して、効果の予測可能性、即ち、契約を支える法制度の高度な安定性がなければ、活発な金融取引は行われ得ない。その面では、明治以来の先達の努力によって、日本は、高度に発達した法制度を完備させているわけですから、国内金融取引においては、何らの問題もないわけです。
 ところが、国際金融センターといったときには、残念ながら、そのような日本の法秩序で押し通すことはできないでしょう。それは、制度の質や、制度を支えている人材の質とは、何の関係もないことです。単に、事実の問題として、歴史的現実の問題として、日本法の日本以外での通用性はないのです。ならば、国際金融センターとしての日本において、それが真に国際的に開かれたものならば、そこでの日本法の通用は、事実上、諦めざるを得ないでしょう。
 

日本法を英語に翻訳するということでは十分ではないのですね。
 
 翻訳というのは、役に立たないというよりも、むしろ、混乱のもとではないでしょうか。例えば、信託をtrustと訳すことは、英米法におけるtrustが、日本の信託とは大きく異なることを考えれば、誤解のもとではないでしょうか。むしろ、違いを明らかにするために、信託はsintakuとするほうがよいとすら思います。翻訳よりもよい方法は、信託を英米法のtrustにしてしまうことです。
 

しかし、日本の法体系の全体を変えるわけにはいかないですから、そこには技術的な工夫が要りますね。
 
 国家戦略特区というのは、そういう工夫のためにあるのではないでしょうか。英領ケイマンなど、いわゆるオフショアというのも、資産管理に特化した国際金融センターですけれども、それは、物理的にも、本国から切り離された特区です。そこを、物理空間的に特区とするのでなくて、法律空間的に特区とするのが国家戦略特区の機能だと思うのです。
 国際金融法務だけでなく、租税の扱いをはじめ、土地利用や雇用など、様々な法分野に特例を認めることで、国内法のなかに特別な法律空間を作る、それを国家戦略特区の設定というのだと思います。
 

ところで、英米法的な金融法制を導入するとしたら、法律の効果の実現手段としての裁判も英米法化する必要がありますね。

 
 例えば、海難審判のように、特殊で専門性の高い分野では、特別な司法制度が行われています。金融取引の高度な専門性を考えれば、その全てとはいわないまでも、国境を超える取引などの特別な分野に限り、独立した専門裁判所を設けることは、検討されるべきではないでしょうか。法律は、法律の効果が実現してこそ、法律として機能するわけですから、裁判制度の整備は不可欠の要素です。
 

英語で裁判するのでしょうか。
 
 弁護士はともかく、裁判官が英語をしゃべる姿は、現状では、想像し難いですね。しかし、訴訟当事者が外国人である場合を想定し、真の国際金融センターを目指すのであれば、英語の裁判になるのでしょう。
 どちらにしても、契約における裁判管轄の取決めの問題は深刻です。今の日本の現状では、海外からの取引参加者は、裁判管轄を日本とすることに難色を示すことが予想されます。そこを日本側が妥協して、海外の裁判管轄を認めれば、日本に著しく不利になります。やはり、日本で訴訟するのと、海外で訴訟するのと、条件を同じにしなくてはいけないとしたら、日本の裁判実務を変える必要があるのではないでしょうか。
 

金融取引業者の社内体制の完全英語化は、これはもう、当然の前提ですね。
 
 いうまでもないことです。社内に大勢の外国人がいて、社内では英語が標準語となっている、これが当然の姿です。
 そうなりますと、社内の文書も英語になる。そこで問題となるのが、規制当局との関係です。さて、臨店検査に際して、検査官は英語しかしゃべらない人に対応できるのか、検査対象の資料がすべて英語のままでも構わないのか、当局への報告なども、英語でいいのか、果ては、登録等の申請も英語でいいのか。
 

当然に、規制も英語ですね。
 
 当然に、そうでなくてはなりません。実に、面白いことになりましたね、なにしろ、金融庁の一角において、公用語が英語という世界が生まれるのですから。
 

ところで、英語からはじめたので、肝心な点が後になりましたが、日本という国際金融センター、一体、誰のために、何の目的で、利用されることを想定しているのでしょうか。
 
 その肝心の論点は、実は、まだ明確でないようですね。ただし、アジアという地域が重視されていることは間違いないので、アジア域内の国や企業等に対して、日本で資金調達をする場を提供するということが、一つの柱として想定されているのではないでしょうか。
 資金循環のマクロな構図として、相対的に資金の供給能力過剰の日本が、相対的に資金の需要が優越するアジア地区の政府や企業等へ資金を供給していく、そのような日本の役割が想定されているのだと思うのですが。
 

さて、その場合、円という通貨の利用については、どう考えるべきでしょうか。
 
 国際金融センター構想というのは、単なる金融政策の問題ではなく、総合的な経済政策の一環なのだとしたら、当然に想定されていることは、日本の資本財等の輸出拡大に資することでしょう。そうであれば、アジア地区の政府や企業等が円で資金を調達し、その資金を円で支出するというような日本に有利な好循環を目論むのが自然だと思います。
 一方で、ドルの資本市場を日本に作るというのは、東京をロンドンにするということですから、これは、もう、確定的に不可能のようにみえます。鍵は、日本企業をはじめ、アジア地区の企業や国が行うドルの資金調達を、どれだけ日本に取り込めるかです。
 特に、日本企業の巨大な存在感が決め手になるのでしょう。ということは、日本企業の国際戦略におけるドル調達需要の拡大が見込めるかにかかるわけで、当然に、そういう方向にいかないといけないのでしょうね。
 アジア通貨の利用については、具体的に、人民元の決済機能の問題があがっているのですが、国際金融センターというからには、資金調達市場としての機能がないと、経済効果はしれています。そうしますと、鍵は、世界中の企業や政府が、アジア通貨による資金調達市場として、日本を利用するかどうかになるのだと思うのですが、さて、そのような需要はあるのでしょうか。これは、難しい問題ですね。
 

競争相手はホンコンとシンガポールでしょうが、勝てますかね。
 
 先に述べた英語と法律の問題を解決すれば、家賃、治安、住環境、人件費など、物理的条件としては、十分に勝てると思います。後は、外国人が滞在しやすいように、医療、教育、入国管理、税金等について、きめ細かい対策を講じればいいのでしょう。
 国際金融センターの一つの副産物として、日本が世界の金融機関のアジア地区本部の所在地になることが予定されているのだと思います。そうなれば、さらに、その副産物として、非金融部門についても、世界中の企業が日本にアジア地区本部を置くことになるでしょう。そこまでいけば、膨大な数の国際会議が日本で開催される、その人の移動の経済効果だけでも、計り知れません。
 

2020年にこだわる理由は、オリンピックを一時的な経済効果に終らせることができないからですね。
 
 オリンピックに向けて、例えば、ホテル等の供給能力を強化することは、その後の需要の反動減を考えれば、危険極まりなく、だれも投資しないでしょう。それでは、オリンピックの経済効果自体がなくなってしまいます。オリンピック後を睨んだ経済政策として、国際金融センター構想があることは、間違いないのでしょう。
 
以上

 次回更新は4月24日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託
2013/01/24掲載「官民ファンドの機能―安倍政権の緊急経済対策の検討
2013/01/31掲載「政府による「リスクマネー供給」の可否―安倍政権の緊急経済対策の検討


≪ アーカイブから今週のお奨めは「GPIF」≫
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。