東京大学基金

森本紀行
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私の学歴は、1981年東京大学文学部哲学科卒業ということになっています。

「ということになっている」というのも、1976年に入学して、1年余計に在籍し、しかも大学のすぐ近所に住んでいたにもかかわらず、授業にでた記憶はあまりない、いや、ほとんどないからです。
 当時の文学部は、卒業式などというものはなく、学科ごとに研究室へ卒業証書をとりにいく形になっていました。いまも、そうかもしれません。研究室へ出向いたのは、それが最初で最後です。しかも、教授と親しくお話ししたのも、その日が最初で最後でした。哲学科出身というのは、かなり差別化されているな(要は変人ということでしょうけど)、ちょっとカッコイイかな、少なくとも希少性はあるな、ということで気に入っている学歴なのですが、実態はそんなものです。
 私が、正式に卒業していることを確認できるのは、この卒業証書を取りに行った日の記憶と、最初の就職先に提出した卒業証明書と、自宅に送られてくる「赤門学友会報」という卒業生を対象にした会報誌の存在です。そして、最近、東京大学渉外本部というところから会社宛にきた、東京大学基金の紹介です。これ、卒業生に対する東京大学基金への寄付の勧誘です。
 2007年の東京大学創立130周年に合わせて、130億円の寄付金を募るという「東大130(ワン・サーティー)」というものがあることは、漠然と知っていましたが、その詳細を知ったのは、この渉外本部から頂いた手紙によってです。

東大130では、2008年3月までに、目標を上回る138億円を集めています。

東京大学基金の特色は、建造物等の建設費調達などの特定目的をもった従来型の「募金」ではなく、「寄付を基金として積み立て、その基金を運用し、その運用益で様々な事業に積極的に取り組んでいくもの」(東京大学基金のウェブサイトより)とされています。ただし、今回の138億円の中には、従来型の募金も多く、東京大学基金のコアとして運用されていく基金は、37億円に留まっています。
 今後の展望として、この37億円を、短期目標として500億円へ、長期目標としては、2020年までに2000億円に増やす計画とのことです。目標額が大きいので、渉外本部を設置して、積極的に卒業生や産業界に協力要請しているというのが現状のようです。
 さて、資産運用ビジネスの立場から、私の関心を強く引いたのは、東京大学が想定している運用収益の額です。2000億円の規模で、「年間の運用収益のうちから100億円程度を教育・研究活動やキャンパス環境整備などに積極的に投資していきたい」(同ウェブサイト)とのことです。ということは、少なくとも年率5%の運用収益率を期待しているということになるのです。現在、長期国債(10年もの)の利回りは、1.3%程度です。その環境の中で、5%というのは、いかにも高くはないか。

我が国の代表的な機関投資家である企業年金基金の場合、目標収益率5%というのは、最も高い部類に属すると思います。

公的年金資産を管理運用している年金積立金管理運用独立行政法人の場合は、基本ポートフォリオにおける目標収益率は3.37%とされております。企業年金基金では、退職給付会計上の割引率(多くの場合、長期国債に連動させている)を基本にして管理することが多いので、目標収益率が2%台になることも珍しくはありません。
 「教育・研究活動やキャンパス環境整備などに積極的に投資」という使途からすると、100億円の現金が必要ということだと理解されます。しかも、これらの事業支出は、継続的に行われなければならないとも思われます。つまり、運用収益が不足したからといって、中止するわけにはいかないような気がするのです。5%の運用収益を現金で、毎年安定的に生み出すのは、至難の業のように思えるのですが、いかがでしょう。
 もしかすると、10年の平均で5%を達成するということは、あり得るかもしれません(可能性は、それほど大きくないでしょうが)。しかし、毎年の収益の触れ幅は、相当に大きくなると覚悟すべきです。10年のうち数回は、マイナスにもなるでしょう。マイナスの年でも、100億円は支出するということであれば、元本を取り崩すということにもなるでしょう。この元本を崩すというのが問題なのです。
 2000億円の資産が、マイナス5%になったとして、時価は1900億円になります。そこから100億円取り崩すと、1800億円になる。翌年15%上昇すれば、2年間の平均収益率は5%になることはなるのですが、実金額ベースで見ると、1800億円が2070億円になるので、さらにそこから、100億円を払うと、1970億円になって、2000億円は回復できない。つまり、理屈上、定期的に資金を流出させるような基金運営の場合は、マイナスの収益率はあってはならないことになります。もしも、マイナスを回避するならば、期待収益率は、市中金利を大きく上回ることはできない。現状では、1%台(しかも下の方)の期待収益率が妥当ということになります。
 このような大学財団の資産運用にかかわる基本的な問題点は、有名な米国の大学財団モデル(4月16日の特集レポート「徹底的に投資を科学する」で紹介しておきました)でも同じことです。いわゆる「支出政策(Spending Policy)」(毎年の事業支出額の目標)について、米国大学財団では、概ね資産の5%程度に設定するのが普通のようです。東京大学基金も、おそらくは、ここに、5%の根拠を置いているのではないかと思います(ただし、今の米国の10年国債の利回りは3.5%なのですから、米国の5%を、そのまま日本へ持ってくるのには、無理があるのですが)。この支出政策と資産運用内容をバランスさせるのは、当然の要請なわけです。

一方で、米国の大学財団は、大胆な運用戦略によって、高い運用収益を挙げてきたことでも有名です。

このような運用のあり方と、5%の支出政策との矛盾は、なぜ起きなかったのか。おそらくは、二つの要因があるのです。一つは、簡単なことで、投資環境がよかったのです。2008年6月期までは、好調です。2009年6月期は、注目されるところなのですが、マイナスかもしれません。少なくとも、2008年12月の上期は、大幅なマイナスです。米国財団モデルが試されるのは、これからです。
 もう一つの理由は、多額な寄付金の安定的な流入でしょう。新しく入ってきた潤沢な寄付金から支出するのであれば、多少運用収益が振れても、財政上の問題はきたさないでしょう。ただし、寄付金によって資産額が大きくなれば、その5%も大きくなって、事業支出計画も大きくなるので、やはり、安定的運用収益の確保の問題に、いつかは突き当たるはずです。
 ということで、東京大学基金にも、寄付金集めには、ぜひ頑張っていただかないといけないですね。2000億円で止まることはできない。毎年100億円が必要ならば、2000億円の5%ではなくて、1兆円の1%にしたほうが、少なくとも、資産運用としては現実味がある。もっとも、寄付金集めとしては、2000億円には現実味はあるが、1兆円はいかがなものか、ということかもしれませんが。
 では、お前は寄付するのか、という問題ですが、私は資産運用を本職にするものなので、寄付するには条件があります。一体、どのような体制で、どのような手法で、5%を目指す資産運用を行うのか、明らかにしていただかないと、困るわけです。少なくとも、東京大学基金のウェブサイトや、頂いた資料からは、資産運用のあり方について、なんら説明はありませんでした。イェール大学や、ハーバード大学の資産運用部門のウェブサイトをご覧ください。それなりの説明があります。やはり、そういうものでしょう。

以上

次回更新は7/23(木)となります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。