金融のフィデューシャリーを目指す働き方改革

金融のフィデューシャリーを目指す働き方改革

森本紀行
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フィデューシャリーは、英米法の専門家だけが知る特殊な言葉だったのですが、三年前に金融庁の施策を表現するものとして採用されたことから、今では金融界で知らぬもののない流行語になりました。これは専らに顧客の利益のために働く人を意味していて、弁護士や医師を思い浮かべればいいのですが、それだけに、金融機関に働く人をフィデューシャリーと呼ぶことの違和感は強烈です。強烈な違和感をもって有名となったフィデューシャリー、さて、金融行政の狙いは何か。
 
 フィデューシャリーは、専らに顧客の利益のために働く人ではありますが、まずは、顧客から特別な信頼を得ていることが前提になっています。特別な信頼を得ているからこそ、業務の委任を受けるわけで、ひとたび受任した以上は、その信頼を決して裏切ることはできないので、自己の能力の全てを用いて最善を尽くし、専らに顧客の利益のために働く高度な義務を負うのです。この義務がフィデューシャリー・デューティーです。
 弁護士や医師を例にして、フィデューシャリーの義務を考えれば、いとも簡単に理解できるはずですが、さて、資産運用関連業務においては、このフィデューシャリー・デューティーを金融機関も負うのだと金融庁がいったとき、どれほどの驚きと当惑を金融界に与えたかは想像に難くないでしょう。あまりにも違和感が大きかったのです。
 
かといって、金融界として、自分はフィデューシャリーではないと開き直ることもできませんね。
 
 英米法の国においても、金融においてフィデューシャリー・デューティーが問題となるのは資産運用関連業務ですが、そこでは法律上の義務なのです。ところが、法体系の異なる日本では法律上の問題ではあり得ませんから、金融庁がいうフィデューシャリー・デューティーが理念的なものであることは最初から自明であったのです。
 理念の次元でとらえると、実は、フィデューシャリー・デューティーを否定することなど誰にもできないのです。顧客からの信頼を得て資産管理を受任した金融機関は、専らに顧客の利益のために最善を尽くして業務を遂行しなければならない、これは法律の問題を超えて、商業道徳の問題として、絶対に揺るがし得ないことだからです。なにしろ、最近の金融庁は、フィデューシャリー・デューティーを、日本古来の商業の理念である近江商人の「三方よし」に喩えているほどです。
 そこで、当初の違和感は直ちに解消され、フィデューシャリー・デューティーは、専らに顧客の利益のために最善を尽くす一般的な義務として、定着していきます。登場から三年を経た現在では、顧客本位の名のもとに、資産運用を超えた領域に拡大し、金融機関のビジネスモデルを支える指導理念になっています。具体的には、各金融機関が自律的な行動原則を策定し、その徹底を図るという方式において、日本に移植されたわけです。
 
そこに、ひとつ残された問題は、フィデューシャリーは自然人であって、法人ではないということですね。
 
 フィデューシャリーは、個別具体的な個人なのです。この点も、弁護士や医師を考えれば簡単に理解できます。弁護士や医師は、弁護士事務所や病院に属していても、個人としての資格において職務を遂行しているのであって、弁護士事務所や病院が法人としてフィデューシャリーになることはできません。米国の年金基金についてみても、フィデューシャリーは、資産運用を担当する個人や担当理事なのであって、法人としての年金基金ではないのです。
 しかし、日本では、金融機関の行動原則として定着したので、法人としての金融機関がフィデューシャリー・デューティーを負うという理解が一般的なようです。実際、金融庁がフィデューシャリー・デューティーを具現化したものとして公表している「顧客本位の業務運営に関する原則」も、金融機関が自律的に行動原則を定めることを前提にしています。
 しかし、顧客本位を実践するのは、金融機関に働く個々の人です。金融庁の原則も、要諦は「従業員に対する適切な動機づけ」にあるのです。金融機関に働く人がフィデューシャリーとして主体的に行動するとき、金融機関としてフィデューシャリー・デューティーが履行されたことになるのであって、フィデューシャリーとしての金融機関が先にあって、各人にフィデューシャリー・デューティーを履行せしめるわけではないのです。
 
金融機関に働く人の主体性が重要だということでしょうか。
 
 金融だけの問題ではなくて、おそらくは、社会構造の全体が大きな転換期を迎えているのです。政府の雇用改革に関する施策の名前は働き方改革となっていて、働く人の主体性を前提にしています。働き方改革が成長戦略の要であるガバナンス改革の延長だとしたら、上からの組織改革には限界のあることが認識され、本質的な改革は下からの個人改革の集積でなければならないとする発想の転換があったと思われるのです。
 例えば、ありとあらゆるところで、コンプライアンス、即ち法令遵守の重要性が叫ばれるのですが、組織が自律的な個人からなり、そこに相互牽制が働くならば、組織の不祥事は起き得ないわけです。実際、後を絶たない企業の不正事案をみるたびに、そこで不正を承知で従属的に働いている人のことを考えると暗澹たる気分になるでしょう。
 なぜ個人として不正な業務指示を拒絶できないのか、そこに被用者としての従属性のあることは当然ですが、人間としての尊厳や独立性はないのか、また、上級者は、なぜ不正な指示を行い得るのか、こうしたことを考え抜いていく先に、真の組織改革のあり方がみえてくるはずです。
 
組織が先にあって個人が従属するのではなく、個人が先にあって、その集合が組織を形成するということですね。
 
 現場で顧客本位に働く個人、即ちフィデューシャリーの集合として金融機関が構成されるとき、はじめて顧客本位な金融機関が生まれるわけで、経営者の掛け声で顧客本位を実現することはできません。
 金融庁の森信親長官は、ある講演で、「顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境を作っていくことが、我々の責務」と述べていますが、「顧客本位を口で言うだけ」であることは、顧客の目に明らかになる以前に、組織内部で明らかであるはずであって、そこに既に内部的な改革の機会がなくてはならないのです。その改革の機会を逃すと、外部的に淘汰に追い込まれると森長官は警告しているわけです。
 
そうしますと、金融機関で働く人が真の顧客本位を貫徹しようとするとき、フィデューシャリーであろうとするとき、「顧客本位を口で言うだけ」の経営と対立することもあり得るのでしょうか。
 
 そうした対立を乗り越えることで、「顧客本位を口で言うだけ」の金融機関を内部的に変革していくことこそ、金融における働き方改革の真の狙いではないでしょうか。顧客本位は、顧客との接点でしか実現し得ないものです。その現場の知見をとりあげ、活かして、金融機関全体に広げていくことが顧客本位の経営なのです。
 顧客本位とは、金融機関に働く人が顧客の利益を代弁することで、顧客が真に求めるものを提供していくことですから、その現場の声が確実に経営に活かされることは、必須の要件です。金融機関のなかに、「顧客本位を口で言うだけ」の管理職等が「淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境」を作ること、それが経営者に課せられた使命なのです。
 
そうはいっても、金融機関に働く人は、理念では顧客の利益を代弁するにしても、現実には金融機関の利益を代弁せざるを得ないのではないでしょうか。それが金融機関で働くということの意味ではないでしょうか。
 
 その矛盾は、顧客本位の徹底や働き方改革が進むにつれて、どこかで露呈してくるのでしょう。いかに個人として顧客本位を徹底しても、最後は自分が勤める金融機関の商品やサービスの提供にならざるを得ない以上、真の顧客本位にはなり得ないはずです。例えば、他社の商品が優れていると思っても、まさか、それを紹介するわけにはいかないでしょう。
 しかし、今の段階で、予想されるべき矛盾の露呈を論じる意味はありません。金融機関としての顧客本位を徹底しない限り、矛盾は自覚されてこないのですから、まずは、矛盾が露呈してくるほどに、顧客本位を徹底すべきです。
 
矛盾が露呈したとき、真のフィデューシャリーであろうとすれば、金融機関に勤めることはできなくなるのでしょうか。
 
 見通しを述べれば、おそらくは、顧客本位の徹底は、金融制度の根本的な構造改革に帰結するほかないのだと思われます。つまり、製販分離というか、金融機能を組成し供給する組織と、それを顧客に提供する接点の組織とは、分離するほかないと思われるのです。論理的にいって、金融機関に所属していては、真の顧客本位にはなれないことは明らかだからです。
 これは、特に新しい発想ではなくて、いわゆる購買代理の考え方です。金融機関に所属して、そこの商品やサービスを顧客に提供することは、金融機関の販売代理をするのと同じですが、金融機関に所属しないで、独立事業者として顧客の利益の視点で様々な金融機関の商品やサービスのなかから選択して提案することは、顧客を代理することとして購買代理になります。
 これは、現に、保険の販売などで実践されていることですが、理論的には、全ての金融の分野に適用可能な方法ですから、顧客本位が徹底されていけば、方向としては、購買代理型の独立事業者が成長していくのではないでしょうか。
 
どこで働くか、どのような立場で働くか、その選択を自律的に行うことこそ、働き方改革の本質ですね。
 
 金融機関のなかで努めてフィデューシャリー的であろうとすることも、真のフィデューシャリーを目指して金融機関を辞めることも、人生の選択として、自主自律的に決めればいいことです。そうした覚悟を皆がもち、金融機関に所属していても独立した気概をもって働く限り、金融機関は顧客本位であり得るのです。働き方改革は、なによりも生き方改革です。
 
以上

 
 次回更新は、11月2日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/05/11掲載「お金の貯め方改革と生き方改革
2017/03/23掲載「その投資信託を売る君よ、自分でも買いたいと思うか
2015/12/24掲載「投資運用業の君よ、悲しくはないか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。