金融における「動的な監督」とリスクアペタイトフレームワーク

金融における「動的な監督」とリスクアペタイトフレームワーク

森本紀行
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不確実な未来へ賭けること、つまり、リスクをとることは、全ての事業の本質ですが、特に、金融においては、その社会的機能の重要性と、故に厳格に規制されている現実を反映して、最高度に発達したリスク管理態勢がとられてきました。では、技術的に高度なリスク管理は、リスクをとる能力の高度化をもたらしたのか、逆ではないのか、ならば、金融における真のリスク管理とは何か。
 
 金融規制のあり方については、間違いなく、今、大きな転機を迎えつつあるのでしょう。規制の高度化は、金融機関のリスク管理の高度化をもたらしたのですが、さて、そのことによって、本来、規制が実現しようとしたことが達成されたのかどうかには、疑問の余地もあるわけで、そこに、当然のごとく、反省の機運が生じてきているからです。
 問題は、規制の技術的高度化は、一方で、細部の精緻化と洗練化を実現したとしても、他方で、それら多数の規制の一つ一つに厳格に準拠した金融機関の行動は、相互に連関しつつ、全体として、個々の規制が意図したのとは全く異なる帰結を生んでいる可能性が高いことです。つまり、静的な秩序として精巧にできている規制体系は、現実の社会経済の動態において、予定したようには、機能し得ていないのです。
 実際、ある規制が実現しようとしたことは、他の規制によって打ち消されたり、別のある規制が抑制しようとしたことは、別の他の規制と共振することで、逆に増大したり、また、金融機関の規制の存在を前提とした行動は、規制の「裏読み」として規制効果を削ぎ、果ては、規制潜脱行為まで誘発する、というように、要は、想定外の事態の連続になってしまうわけです。
 リスク管理の規制による高度化にも、同様の弊害が生じている可能性は否定できません。規制は、本来の目的として、金融といえども事業活動であるが故に、金融機関がリスクをとることを前提にして、単に、リスクのとり方を規制しようとしたのですが、現実には、リスクをとること自体を規制したかのような帰結を招いていると思えます。結果として、リスクをとるという事業の本質が見失われつつあるのです。
 
では、改めて、リスクをとることを規制の目的にするということでしょうか。
 
 規制によって、金融機関に対して、リスクをとれと強制することは、できません。同時に、個々の規制について、その細部における合理性がある限り、廃止することもできません。故に、金融規制当局においては、規制の枠を超えて、新しい取り組みを工夫しなければならなくなっているのです。
 この面で、わが金融庁は、森長官のもと、世界に先駆けて、画期的な行政手法の転換を図っています。森長官は、ある講演において、新しい手法を「動的な監督」と名付け、その骨子を、「銀行と顧客がどのような共通価値を創造できるのか、銀行との対話を進めていきたい」とまとめています。もちろん、この「銀行」というところは、銀行以外の全ての業態を含む「金融機関」に置き換えることができるはずです。
 金融機関は、価値の創造を目指す限り、自明のこととして、積極的にリスクをとり、かつ、その価値が顧客との共通価値である以上、そのリスクは、顧客と共有されるはずです。自己の価値創造のためにリスクをとることを前提として、更に、それを超えて、顧客とリスクを共有すること、そのような方向へと、金融機関の経営行動を動かすものは、規制ではなくて、対話なのです。
 
そうしますと、金融庁として、金融機関との対話の第一歩は、顧客との間で、どのような価値創造を目指すかという事業目的の確認になりますね。
 
 金融機関もまた、固有の事業目的をもった事業会社である、この馬鹿馬鹿しいほどに基本的なことは、実は、金融は特殊であるという通念や、複雑な規制の壁に阻まれて、見えにくくなっていたのです。故に、規制改革の骨子は、事業の原点への回帰になるのだと思われます。
 実際、金融機関は、事業会社として、どこに、事業目的、社会的存在意義、付加価値創造の舞台を見出すのか、言葉を換えれば、どこに自己固有の顧客を見出すのか、この商業の原点の問いは、例えば、ある地方に君臨する有力銀行において、絶えて、問われることなく、今日に至っているのです。
 今、金融機関においては、改めて、事業の原点に立ち返り、顧客の再定義を行い、事業目的として、その顧客とともに、どのような共通価値を創造していくかを定めて、その目的実行のためには、いかなるリスクをとらなくてはならないのかを明らかにし、そして、とったリスクを、いかにして管理していくのかについて、経営諸資源の再配置を含む経営態勢の再構築を図る、そのような改革が求められるということです。
 
金融機関の現状については、過去の金融規制の影響は、極めて大きいですね。
 
 金融機関の現状においては、過去からの連続としての顧客基盤が先にあって、受動的にとってしまったリスクを、既定の諸ルールに厳格に準拠して精緻に計測し、自己資本等の諸制約条件のもとで、所与のリスク負担力と均衡させること、つまり、静的な規制の枠組みに静的な経営資源を均衡させること、それが経営の目的化しているのです。
 この現状を脱却し、今後は、積極的に再定義された顧客に対して、顧客の求めるものを提供して、共通価値を創造するために、とるべきリスクをとり、とったリスクを適切に管理するために、必要資本を含む経営資源の投入を行う、そのような動的な経営のあり方に転換することが求められています。
 つまり、金融機関に求められる改革は、静的な事業構造を前提にして、受動的にとってしまったリスクを、経営資源と静的に均衡させることから、顧客との共通価値創造という動的な事業目的を実現するために、積極的にリスクをとり、そのリスクを吸収できるように、経営諸資源の動的な投入を行い、投入資源に対して、適正なリターンを還元していくことへと転換していくことなのです。
 これまでの静的な金融規制のもとでは、受動的にとられたリスクと経営資源との均衡が強く求められた結果、成長、即ち、動的な拡大再均衡を実現できず、逆に、縮小再均衡を招いてきたのです。それに対して、新しい対話による「動的な監督」のもとでは、顧客とともに創造する価値、即ち、事業目的の確認から始めて、その実現のためのリスクのとり方や、とったリスクに見合う経営資源等の動的な投入のあり方などについて、建設的な議論がされていくのだと思われます。
 
静的なリスク受容から、動的なリスクテイクへ、ということですね。これは、いわゆるリスクアペタイトフレームワークというものですか。
 
 金融規制が内包する矛盾については、金融庁の森長官だけではなく、当然に、海外の規制当局によっても、気付かれています。そうしたなか、2013年11月に、金融安定理事会(Financial Stability Board)は、「実効的なリスクアペタイト枠組みに係る原則」(Principles for an Effective Risk Appetite Framework)を公表しています。
 これは、アペタイトいう言葉が用いられているように、事業目的の遂行のために、積極的にリスクを求めるアペタイト、即ち、食欲を感じる、食指を動かす、欲求するというリスク志向性を核としたリスク管理の枠組みのことですから、まさに、リスクテイクが全面にでているのです。
 金融庁は、実は、2015年9月に公表された「金融行政方針」のなかで、メガ銀行等に対しては、検証項目として、「リスクアペタイトフレームワークの構築を通じ、経営レベルでのリスクガバナンスの強化を図っているか(将来の経済や市場のストレスを勘案したきめ細かな収益管理や機動的な経営方針・資本政策の見直しを含む)」という点を挙げています。
 そして、リスクアペタイトフレームワークには、注を付して、「自社のビジネスモデルの個別性を踏まえたうえで、事業計画達成のために進んで受け入れるべきリスクの種類と総量を「リスクアペタイト」として表現し、これを資本配分や収益最大化を含むリスクテイク方針全般に関する社内の共通言語として用いる経営管理の枠組み」としています。
 こうしてみると、森長官の「動的な監督」というのは、リスクアペタイトフレームワークと同様な趣旨のものだと思われますが、対話という方法や、顧客との共通価値の創造という目的などにおいて、森長官ならではの高度化と洗練化が図られたものなのでしょう。
 また、リスクアペタイトフレームワークは、「実効的なリスクアペタイト枠組みに係る原則」においても、また、メガ銀行等の採用事例をみても、リスクの特定や測定、また、ガバナンスの組織的仕組みなど、形式的な側面(外側のフレームワークの確立)が強いのに対して、森長官の「動的な監督」は、おそらくは、顧客との共通価値の創造という実質面(フレームワークの中身の充実)に、より大きな比重が置かれるのではないでしょうか。
 
リスクの測定という面を強くすると、やはり、とるべきリスクが忘れられ、とれるリスクという発想への逆行を生じやすいですね。
 
 金融規制は、構造的難点として、金融機関において、規制上とれるリスクのなかでの事業遂行という方向へ、経営の意思を後退させる効果を生みやすいわけです。その難点を克服するものとして、リスクアペタイトフレームワークや「動的な監督」があるとしたら、それは、どこまで、事業目的遂行のためには、とるべきリスクをとる、という枠組みを外してはいけないはずです。
 とるべきリスクは、必ずとる、そうしたリスクテイクの積極的な姿勢は、顧客との共通価値の創造という事業目的に徹底的にこだわる限り、顧客に対する確約の履行という義務的側面を伴って、金融機関経営にとって、絶対に欠くことのできないものになります。特に、「動的な監督」においては、こうした積極面が強調されるのではないかと思われます。
 他方で、こうした積極的な姿勢のもとで、消極的な統制の面から、とってはならないリスクをとることなきように、外側の枠組みを定めるものとして、リスクアペタイトフレームワークが機能するのでしょう。
 
とってはならないリスクとは、何でしょうか。
 
 とってはならないリスクとは、まずは、自明なこことして、事業目的に反したリスクです。また、特定リスクへの集中も、排除されなくてはなりませんし、能力の限界を超えたリスクテイクも阻止されなくてはなりません。
 ここで、難しいのは、事業目的上、とるべきだが、形式的な基準を適用する限り、とり得ないようにみえるリスクです。このとき、事業目的よりも、リスクがとれないことを優先するところに、従来の金融規制の弊害が尖鋭的に表れていたと思われます。
 それに対して、事業目的を徹底的に優先させれば、とれないリスクを、とれるようにする工夫が生まれます。理想的には、事業目的上、とりたいリスクは、当然に、顧客に対する社会的責任上、とるべきリスクであり、同時に、それは、資本や人的資本等を総合的に動員して、経営態勢上、とれるリスクでなくてはなりません。しかし、現実は、理想とは異なるでしょう。
 おそらくは、リスクアペタイトフレームワークは、現実を認識させるものであり、「動的な監督」は、理想を語り、現実を理想に近づけるための経営努力を促すような対話となるのでしょう。
 
以上

 
 次回更新は6月23日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/05/19掲載「金融庁は「規制の虜」になるのか
2016/04/28掲載「森金融庁長官の熱き思いに金融界も熱く応えよ
2016/03/10掲載「金融機関の規制されたがり病の克服について
2015/12/03掲載「金融における「企業単位の規制改革」
2015/11/19掲載「ルール遵守は金融機関の自己保身
2015/10/08掲載「金融機関に創意工夫を促す強制力
2015/10/01掲載「「国益への貢献」を掲げた金融庁の英断
2015/01/15掲載「金融機関が陥る集団の愚
2014/12/25掲載「ルール遵守で馬鹿になった金融機関
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。