金融機関にとっての規制遵守のインセンティブ

金融機関にとっての規制遵守のインセンティブ

森本紀行
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金融庁の森長官は、4月13日の「静的な規制から動的な監督へ」と題する講演で、「規制当局が自分自身で銀行を経営できるわけではありません。規制は銀行に適切なインセンティブをもたらすのでなければうまく機能しません」と述べています。ここで、森長官は何を意味したのか。金融機関が規制を遵守するインセンティブとは何か。
 
 森長官が講演においてインセンティブという言葉を用いたとき、どのようなものを意味したかはともかくも、金融規制に限らず、どのような規制でも、被規制側に、規制を遵守する利益誘因、即ち、何らかのインセンティブが必要であることは、間違いないでしょう。
 ところで、金融規制もそうですが、多くの規制は、履行強制のための手段を用意しています。行政処分や、場合によっては、刑事罰の適用まであります。許認可の取り消しにより業務の継続が不可能になること、一定期間の業務停止、罰金等を科されることなどは、直接的な不利益ですし、また、行政処分等を受けることによって顧客からの評価が低下することも、間接的な不利益です。
 規制を遵守することについて、行政処分等を回避し、それによる不利益を回避することは、間違いなく、インセンティブです。しかし、ここで論じようとしているインセンティブは、そのような論外に低次元のものではありません。
 規制遵守による不利益回避は、負の価値の回避というインセンティブにすぎないのであって、規制遵守を費用として認識している低次元な発想の産物なのです。そうではなくて、ここで問題にしようとするインセンティブは、規制遵守によって、正の価値を創出するためのインセンティブなのです。
 
では、金融規制における規制遵守のインセンティブとは何でしょうか。
 
 まずは、森長官が「静的な規制」と呼んでいる枠組みにおいて、インセンティブが何であるかを考えてみましょう。なお、このインセンティブは、森長官が先の引用でインセンティブといったときのインセンティブとは、異なるものです。
 森長官のいう「静的な規制」とは、「何重もの分厚い防護壁」に喩えられているもので、銀行等の多種多様な経営指標について、客観的な数量指標基準を定めて、それを、画一的に、無条件で、厳格に遵守させるものです。
 こうした規制手法は、確かに、銀行等の行為を厳しく規制するもののようにみえますが、実のところは、規制を厳格に遵守している限り、何をしてもいいという行動の自由を保障するものなのであって、背景にあるのは、銀行等が何をしようが、「何重もの分厚い防護壁」に守られた金融システムのなかならば、金融システムの安定に何らの影響も与え得ないという規制当局の立場です。
 ここでは、金融機関が規制を遵守するインセンティブは、極めて明瞭であって、それは行動の自由の確保です。確保された自由は、企業一般の行動原理に従い、中長期的な企業価値の向上というインセンティブに従って、行使されます。問題は、そのような自由の行使の結果は、金融規制が本来実現しようとしていたものと、常に整合的なのか、ということです。
 
金融機関の規制遵守は、規制当局の意図しなかった帰結を生むということでしょうか。
 
 まずは、金融規制に限らず、規制がもつ構造的矛盾を理解しなければなりません。つまり、被規制側は、専門的知見、経験、資金力、人的資源等において、規制側を、圧倒的に凌駕しているということです。「静的な規制」では、この矛盾に対して、被規制側との間に、「何重もの分厚い防護壁」を設けることで、力の均衡を確保しようとしているのです。
 しかし、こうした「静的な規制」のもとでは、規制側は、「何重もの分厚い防護壁」のなかにおける力学の展開について、実態を十分に把捉できません。結果として、防護壁は乗り越えられます。なぜなら、規制側は、実態に即して防護壁を動かさないから、あるいは、動かすことができないからです。防護壁は静的なものとして動かない、これが「静的な規制」と呼ばれる所以です。
 「静的な規制」のもとでは、例えば、銀行等は、自己資本不足を改善する行動をとるとき、意図しなかった反作用により、実体経済の後退を招いてしまうのであれば、改善した自己資本比率により、経営の自由度を回復して、攻めの展開に転じようとしても、その機会が失われているという矛盾が起き得ます。
 また、金融機関のインセンティブとして、規制を敢えて逆読みし、つまり、規制の盲点をついて、規制の意図に反した行動をとることによって、利益を得ようとする行為を阻止できません。この規制の穴は、規制当局によって、事後的に埋めることはできますが、被規制側の金融機関の能力の優越を考えれば、無限の「鼬ごっこ」であって、規制当局に勝ち目はないでしょう。
 
では、森長官の考える新しい規制遵守のインセンティブとは、どのようなものでしょうか。
 
 森長官の新しい金融規制のあり方、むしろ、金融規制というよりも、より大きく、金融行政のあり方といったほうがいいかもしれませんが、それは、「動的な監督」と、講演では、名付けられていました。この「動的な監督」の具体像は、来月にも、金融庁から公表される予定なので、詳細は、それをみないとわかりません。
 しかし、その要点は、森長官の講演にも、はっきりと示されています。そこでは、「銀行と顧客がどのような共通価値を創造できるのか、銀行との対話を進めていきたい」と述べられているのです。もちろん、この発言の「銀行」というところは、銀行以外の全ての業態を含む「金融機関」に置き換えることができるはずです。
 
「動的な監督」の眼目は、金融機関との対話なのですね。
 
 「静的な規制」のもとでは、規制当局と金融機関は、「何重もの分厚い防護壁」を隔てて、口を利かないということです。しかし、それでは、規制当局として、防護壁のなかの実態を把握できません。実態を把握するためには、防護壁を超えて、金融機関と対話するほかない、これが「動的な監督」の中核部分の思想だと思われます。
 では、更に一歩を進めて、防護壁を取り払うとか、防護壁を低くするとか、薄くするとか、そういう議論を視野に入れたものかどうかは、微妙なところでしょう。それは、銀行等の規制のように、金融規制は、国際的な協調のもとに実施されているからです。
 しかし、森長官の講演が英語でなされ、「動的な監督」の具体像も英語で公表されるとしている点からすれば、今後、日本発で、国際金融規制の枠組みについて、積極的な提言がなされていくことになるのでしょう。こういうところにも、森長官の熱い情熱、高邁な理念、誇り高き姿勢が感じられます。
 
「動的な監督」では、対話の目的も特定されていますね。
 
 対話の目的として、金融機関と顧客との共通価値の創造を掲げた点こそ、「動的な監督」を、世界の高みにもち上げるものだと思われます。
 もはや、「動的な監督」において、金融機関の規制遵守のインセンティブは明瞭です。それは、顧客との間で、共通価値を創造することです。共通価値の創造は、金融機関自身の価値創造でもあって、それは、いうまでもなく、経済価値の創出として、金融機関の中長期的な企業価値の向上へと直結するものです。
 また、共通価値の創造は、同時に、顧客の価値創造であって、経済全体の成長を意味します。実は、森長官のもとで、今の金融庁は、金融行政の目的を、明確に、経済の安定的な成長においているのであって、顧客の価値創造こそ、金融規制の目的であり、また、その先の金融行政の目的なのです。
 つまり、「動的な監督」のもとでは、金融機関が自己のインセンティブに従って行動するとき、金融行政の目的が自動的に実現し、当然のごとく、金融規制の目的も実現するということです。ただし、金融機関のインセンティブは、常に、顧客との共通価値の創造でなければならず、そこに、利己的な利益追求を認めることはできないのです。
 金融機関に対して、顧客との共通価値の創造を促すことは、「静的な規制」のような客観的ルールによっては実現できません。故に、金融機関との対話が重視され、そこにおいては、金融機関自身が顧客の利益の視点にたってプリンシプル(経営原則)を確立することが求められるのです。
 
そうしますと、例のフィデューシャリー・デューティーというのは、「動的な監督」の先取りとして、それを、資産運用関連業務に、具体的に適用したものなのですね。
 
 フィデューシャリー・デューティーとは、投資信託の販売会社や運用会社など、資産運用関連の業務に携わる広範な金融機関に対して、専らに顧客の利益のために働くべきことを、プリンシプルとして、確立するように求めるものです。
 金融機関は、フィデューシャリー・デューティーに従ったプリンシプルを確立し、厳格に履行することによって、顧客からの信認を確かなものとして、顧客の価値創造のために、ベストを尽くさなくてはなりません。そうすることによって、運用財産の安定的な増大を通じた中長期的な利益成長を期待することができ、そこにこそ、金融機関のインセンティブがあるのです。フィデューシャリー・デューティーの実践は、まさに、金融機関と顧客との共通価値の創造を意味するのですから、「動的な監督」の適用事例といえます。
 なお、フィデューシャリー・デューティーは、ルールではありません。従来型の「静的な規制」のもとでは、規制ですらないと思われます。それは、徹底して、各金融機関のプリンシプルの問題なのです。ただし、それは、客観的に確立されたプリンシプルとして、社会に対して確約されることを通じて、客観的な履行強制力をもつものでなければなりません。
 そうした趣旨から、もう既に、いくつかの金融機関において、「フィデューシャリー宣言」、「フィデューシャリー・デューティー宣言」、「フィデューシャリー・デューティーについての取組方針」等の名前で、プリンシプルの公表が行われていて、今後、更に、多くの金融機関に、普及拡大していくものと思われます。
 
どうやら、フィデューシャリー・デューティーから類推するに、「動的な監督」の中核概念は、対話、顧客との共通価値、プリシンプルの確立と公表による履行強制力、あたりになりそうですね。
 
 「動的な監督」は、実質概念としては、金融機関のインセンティブとしての顧客との共通価値の創造が核になるでしょうし、形式概念としては、金融機関のプリンシプルの確立と公表、プリンシプルに基づく金融庁と金融機関との対話、対話を通じたプリンシプルの自律的強制力を伴う実践、ということになるのだと思われます。
以上

 
 次回更新は6月2日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/05/19掲載「金融庁は「規制の虜」になるのか
2016/04/28掲載「森金融庁長官の熱き思いに金融界も熱く応えよ
2016/03/10掲載「金融機関の規制されたがり病の克服について
2015/12/03掲載「金融における「企業単位の規制改革」
2015/11/19掲載「ルール遵守は金融機関の自己保身
2015/10/08掲載「金融機関に創意工夫を促す強制力
2015/10/01掲載「「国益への貢献」を掲げた金融庁の英断
2015/01/15掲載「金融機関が陥る集団の愚
2014/12/25掲載「ルール遵守で馬鹿になった金融機関
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。