金融機関の「お約束」を厳格に守らせるためには

金融機関の「お約束」を厳格に守らせるためには

森本紀行
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どの金融機関でも、非常に立派な経営理念や社是のようなものを掲げていて、そこでは、お客様本位とか、お客様の信頼に応えますとか、お客様の利益を第一にとか、同工異曲の美辞麗句が並んでいます。どうみても、所詮は、営業用のおまじないと思われますが、さて、それでいいのでしょうか、厳格な規範として、顧客に確約されるべきものではないのでしょうか。
 
 営業用の美辞麗句として、顧客第一主義を掲げることは、いわば、金融機関の「お約束」で、そこに、厳格な規範としての実質的意味を認める人など、いるはずもないわけです。要は、せいぜいのところ精神論であり、多くは、無意味ともいえるおまじないなのです。
 しかし、なかには、驚くほどに立派なものもあります。例えば、傑作なのは、三井住友信託の「経営理念」にある「行動規範(バリュー)」です。そこでは、「以下の6つの行動規範を遵守してまいります」として、その第一に、「お客様本位の徹底-信義誠実-」を掲げ、そこで、「私たちは、最善至高の信義誠実と信用を重んじ確実を旨とする精神をもって、お客さまの安心と満足のために行動してまいります」と宣言しています。
 「最善至高」とは、神のことですから、神ならざる身には、この規範が実行不可能なものであることは明らかです。もっとも、注意深く読むと、「精神をもって」とありますから、最初から、規範などではなく、厳格な実行を想定しない言葉だけのものらしく、故に、神を騙り、神を冒す不遜ともいえないようですけれども。
 ならば、この大言壮語は、何なのか。「行動規範を遵守してまいります」という以上、遵守されるべき規範でなければならないはずですが、実際には、贔屓目にみても、厳格な遵守を予定しない心掛け程度のことで、故に、企業としての遵守態勢の構築もなされていないことは自明です。つまり、規範では断じてなく、営業用のおまじないなのです。
 
それでも、「行動規範」に、括弧書きでバリューとつけたのは、多少は、気が利いていますね。
 
 企業が行動規範を定めるのは、いうまでもなく、規範の遵守を通じて、企業価値、即ち、バリューの向上を目指すためですが、企業価値は、顧客のために創出された社会的付加価値の関数ですから、規範は、必然的に、顧客第一主義の実践を求めることになります。
 ですから、「行動規範」を企業価値(バリュー)と同等のものとする三井住友信託は、その限りにおいて、正しいのです。しかし、残念ながら、正しいのは、その限りであって、名ばかりの規範で、遵守可能な具体性もなく、履行を保証する態勢もなければ、何の意味もないということです。
 
三井住友信託ばかりいじめると気の毒ですから、金融のなかでも、投資運用業者に絞って、顧客第一主義に関する他社の「お約束」の事例をみてみましょう。
 
 DIAMアセットマネジメントの「経営理念」には、「DIAMはお客様との長期的な相互信頼関係を最重要と考え、行動します」とあります。
 また、野村アセットマネジメントの「企業理念」は、「野村アセットマネジメントは、資産運用を託される者として高い倫理観を持ち、お客様からの深い信頼を獲得するとともに健全な運営を指向することにより、資産運用ビジネスを通じて広く社会の発展に貢献します」と述べています。
 大和住銀投信投資顧問の「経営理念」は、「高度な資産運用能力の構築をなによりも優先し、お客様から信頼される運用会社を目指します」とし、また、「運用会社としての高い倫理観を持ち、誠実かつ公正な企業活動を通じて社会の発展に貢献します」としています。
 他の会社も、同工異曲であって、規範としての具体的意味を有するものは、皆無といっていいほどに、見つけることが困難です。これらに比較すれば、むしろ、三井住友信託のほうが、企業価値との連関をおさえ、言葉のうえだけでも規範としての取り扱いになっているだけでも、より優れているといえるほどです。
 
そうしたなかで、三菱UFJ国際投信の「経営ビジョン」は、少し、高度な次元にあるようですが。
 
 確かに、ひとつ次元の高い経営者の意識が表れているようです。そこでは、「投信会社としての受託者責任を全うするため、常にお客さまからの「信頼」に応え、お客さまのために行動する」と述べられているのです。
 この受託者責任という用語は、もはや古く、金融庁が、より高次のところで、金融機関が自己に課す責任ある規範として、フィデューシャリー・デューティーを導入した以上、遠からず、この用語に改められるのだろうと思います。しかし、ここで重要なのは、そうした用語のことではなく、責任に込めた実質的意味と、「全うする」という言葉使いです。
 実際、三菱UFJ国際投信は、責任を「全うする」ために、合併新会社として、この7月に発足するに際して、経営会議の諮問機関として、外部の有識者によるアドバイザリー・コミッティーを設置し、そこで、「信託報酬水準の妥当性や新規商品の顧客適合性、説明資料の適切性等について、お客様の視点から意見具申」を行うとする具体的な施策を実施しているのです。
 つまり、三菱UFJ国際投信では、「お客様の視点」にたった経営の徹底を、「全う」されるべき自律的な規範として掲げ、かつ、その履行態勢構築の一環として、アドバイザリー・コミッティーを設置するという具体的施策を実施しているわけですから、もはや、大きく、言葉の遊びの次元を超えているのです。
 
みずほフィナンシャルグループにも、同様の動きがみられますね。
 
 みずほフィナンシャルグループでは、傘下の資産運用関連事業を統合し、来年中にも、新会社を発足させることになっていますが、その計画の対外公表文書では、新会社について、「資産運用の担い手として相応しい、独立性・透明性の高い経営態勢を構築した上で、資産運用のプロフェッショナルが経営の中核を担う専門家集団として、フィデューシャリー・デューティーを全うし、お客さまから信頼・評価される運用会社を目指してまいります」と述べられているのです。
 ここでは、はっきりと、「独立性・透明性の高い経営態勢を構築」することで、「フィデューシャリー・デューティーを全う」することが明言されています。では、実際に、その明言されたことが厳格な規範として機能するために、みずほとして、どのような内部統制の仕組みを構築していくのか、新会社発足までの今後の取り組みにかかるわけで、みずほのためというよりも、日本の資産運用の発展のために、大いに期待したいところです。
 また、今の金融庁は、行政の基本方針として、フィデューシャリー・デューティーの徹底のために、こうした金融機関の自主的な取り組みを支援するとしているのですから、行政による後押しによって、みずほのような大組織の改革が加速するのであれば、それに越したことはないでしょう。
 
そして、こうした取り組みの先に、「フィデューシャリー宣言」があるのですね。
 
 現時点で、「フィデューシャリー宣言」を公表しているのは、公表順に、HCアセットマネジメント、セゾン投信、三井住友アセットマネジメント、東京海上アセットマネジメントの四つの投資運用業者です。
 これらの会社の宣言は、他社の経営理念等の言葉のうえの「お約束」とは、根本的に異なるものであって、金融庁のいう金融機関自身の自主的な取り組みとして、フィデューシャリー・デューティーを具現化し、規範化したものです。つまり、それは、金融機関が自分自身に課した厳格かつ具体的な規範として、背後に遵守態勢の構築がなされているものなのです。
 例えば、三井住友アセットマネジメントが、その「フィデューシャリー・デューティー宣言」において、「お客さまにとって適切と判断できない商品は決して提供しません」というとき、それが言葉だけに終わらないで、確実に履行される規範として機能するように、内部統制体制が構築されているということです。
 
言葉だけに終わらせないということは、言葉に規範としての具体的な意味を与えるということですね。
 
 金融庁にとって、フィデューシャリー・デューティーは、実際に果されるべき厳格な規範です。ただし、それは、規制等により金融庁が課す規範(ミニマムスタンダードとしてのルール)ではなく、金融機関自身が企業価値向上のために自己に課す規範(プリンシプルとしてのベストプラクティスの追求)なのです。
 しかし、規範である限りは、金融機関としては、規制等と全く同等な遵守態勢の構築をもって、臨むことになります。ということは、全ての規範がそうであるように、宣言に書かれた言葉には、違反か、そうでないかが明確になるように、厳密な定義が与えられていなくてはなりません。この点が、言葉だけの「お約束」と根本的に違うところです。
 例えば、三井住友アセットマネジメントが「お客さまにとって適切と判断できない商品は決して提供しません」と宣言したとき、何が「お客さまにとって適切」であり、何がそうでないのか、厳密に定義されていない限り、規範としての実効性は生じません。逆に、これが規範である限り、宣言の裏では、厳密な定義がなされていて、判断に疑義がある場合には、経営責任において決定する内部手続きも定められているということです。
 
そうしますと、例えば、みずほフィナンシャルグループが「フィデューシャリー・デューティーを全う」するというとき、顧客のために、何を確実に行い、何を絶対に行わないか、具体的な定義を与えなければならないということですね。
 
 みずほは、「お客さまから信頼・評価される運用会社を目指してまいります」としていますが、では、これを厳格な自己規範に翻訳すると、どうなるのか、そのことを、みずほの経営者は、徹底的に、自分の頭で、考え抜かなくてはならないのです。
 つまり、「お客さまから信頼・評価される運用会社」になるためには、どのような条件を充足しなければならないのか、逆に、どのような行為をしてはいけないのか、そのことを明らかにしたうえで、具体的に、必ず実行することと、絶対にしてはならないことを規範として列挙し、それぞれの履行規定を細則として定め、経営統制として、履行を確実ならしめることが必要なのです。
 
そして、内部規範に強制力を付与するために、宣言として、外部公表するのですね。
 
 本当に優れた会社ならば、宣言として、外部化する必要はないのです。まるで、真の哲学者のように、内面の規範が、内面の力により、履行実践されるでしょう。しかし、普通の人、普通の会社では、顧客への確約として、内面の規範を外部化し、外部、即ち、顧客からの監視によって、履行強制力を生み出す工夫は、どうしても必要なのです。
 つまり、「フィデューシャリー宣言」とは、プリンシプルとしての規範を外部化することで、内部における厳格なルール化を実現するものです。このルールは、自律として、自分で作ったルールです。そこは、規制等の外部から強制される他律としてのルールとは、根本的に違います。でも、それは、ルールなのです。規制等と同じ効力をもつルールなのです。
 「フィデューシャリー宣言」は、言葉の遊びではありません。厳格な自律としてのルールです。そして、そのルールとしての履行強制力は、顧客への確約に基づくのです。金融庁への確約ではありません。金融庁の役割は、顧客への確約の履行状況を監視するだけです。
 
以上

 
 次回更新は11月12日(木)になります。
アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/10/29掲載「フィデューシャリー・デューティーを規制と考える金融機関に未来はない
2015/10/22掲載「総合型企業年金基金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
2015/10/15掲載「フィデューシャリー・デューティーの長く広い射程
2015/09/17掲載「フィデューシャリー・デューティーとベストをつくす義務
2015/09/10掲載「厚生年金基金の「フィデューシャリー宣言」
2015/09/03掲載「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
2015/08/27掲載「「フィデューシャリー宣言」の意義について
2015/06/04掲載「「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か

≪ アーカイブから今週のお奨めは「アートな投資」 ≫
2013/05/21 掲載「アートに投資する投資のアート
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。