金融における顧客本位な働き方改革

金融における顧客本位な働き方改革

森本紀行
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金融庁は、金融機関に対して顧客本位な業務運営を求めているのですが、顧客本位は、金融機関本位の否定として、金融機関に働く人本位をも意味するのではないでしょうか。顧客本位のもとで、顧客の利益のために働くことは、金融機関のなかで自立した立場を確保するのでなければ、貫徹し得ないと考えられるからです。これぞ真の働き方改革ですが、さて、いかにして可能なのか。
 
 常識的に考えて、人は、報酬を得るために働くのであれば、報酬を払ってくれる人の利益のために働くのでしょうが、人が人であるためには、働くことは単に生活の資を得るためだけではなくて、働く意義が別になくてはならないはずですから、誰の利益のために働くのかということと、誰から報酬を貰うのかということとは、次元が異なると考えられます。
 例えば、金融でも、地域金融機関に働く人のなかには、地域経済の発展への貢献を目的として仕事をしている志の高い人も少なくないでしょう。しかし、そういう人は例外で、金融は、一般的にいえば、社会的に重要な機能を演じている割には、働く意義で人を惹きつける産業ではないのかもしれません。勤め先として、安定性や相対的な給与水準の高さだけが魅力になっているのなら、とても、残念なことです。
 金融機関に働く人は、給料は金融機関から貰うにしても、志としては、顧客の利益のために働く、あるいは金融の社会的機能の発現のために働くという意識をもち、そこに働く意義、人生の目的を見出してほしいのです。金融庁が顧客本位といったとき、そこには、同じ願いがあったと思われます。
 
金融庁は、経営者に対して顧客本位の改革を求めたのであって、金融機関に働く人々に対して行動様式の改革を求めたわけではありませんよね。
 
 確かにそうですが、金融庁が公表している「顧客本位の業務運営に関する原則」の第七原則は、「従業員に対する適切な動機づけの枠組み等」と題されていて、「金融事業者は、顧客の最善の利益を追求するための行動、顧客の公正な取扱い、利益相反の適切な管理等を促進するように設計された報酬・業績評価体系、従業員研修その他の適切な動機づけの枠組みや適切なガバナンス体制を整備すべきである」とされていますから、結局は、金融機関に働く人の問題になるのです。
 これは当然至極のことで、金融のように、目に見えるものが何もなく、抽象的な金銭の権利関係だけが取引される領域では、現に顧客に見えているものは、金融機関に働く人だけなのですから、顧客本位な業務運営を担うのは、金融機関ではなくて、金融機関に働く人であることは、最初から自明なのです。故に、経営者に課せられたことは、所属員に利益誘因を含む適切な動機を与えて、顧客本位な行動を徹底させることに尽きるのです。
 このとき、動機付けが金銭的な利益誘因だけでなされるのならば、働く人の自分本位にすぎないのですから、真の顧客本位を実現するためには、金融機関の経営のあり方として、例えば、地域金融機関ならば、地域経済への貢献を前面に掲げるなど、理念的な力で働く意義を再定義し、人を惹きつけていかなくてはならないはずです。
 
ところで、なぜ、今さらに、顧客本位なのでしょうか。金融庁が顧客本位ではないと断定するにしても、事実として金融機関の経営がなりたってきたのなら、それなりに顧客満足を得ていたのではないでしょうか。
 
 金融庁が問題にしているのは、実は、金融機関の持続可能性のあるビジネスモデルなのです。過去において有効だったビジネスモデルも、日本が超高齢化社会へ突入して人口減少に向かうなかでは、持続可能性を失って崩壊の危機にさらされかねないわけで、その抜本的な転換が不可避になるとの仮説のもとに、新しいビジネスモデルの理念を金融庁なりに考えてみたのが顧客本位なのです。
 例えば、投資信託を例にとれば、おかしげな投資信託が高額な手数料等のもとで高齢者に販売されていても、現に顧客が購入していて、苦情殺到という事態でもない以上、そこに顧客満足のあることを否定できないわけですが、これが持続可能かといえば、どうみても不可能なわけで、むしろ、顧客の合理的行動を促し、いわば顧客を賢くすることのほうに持続可能性があるのではないか、これが金融庁の提示した顧客本位という仮説なのです。
 ここで決定的に重要なことは、顧客の定義自体が根本的に変化していることです。例えば、カードローンを過剰に利用する顧客は、従来の金融機関の考え方からすれば間違いなく顧客ですが、顧客本位のもとでは顧客ではありません。カードローンの真の顧客は、家計の均衡を合理的に判断できる賢い利用者なのです。ここに、金融庁がカードローンの膨張に警鐘を鳴らしている理由があるのです。
 弁済能力を超えたカードローンの膨張は、表面的な顧客満足があっても、真の顧客の利益に反することは明らかで、かつ、それは持続可能性のないものとして、最終的には、金融機関自身の損失ともなりかねないのです。顧客本位とは、顧客と金融機関がともに真の利益を追求することで、持続可能性のあるビジネスモデルへ転換することなのです。
 いいかえれば、顧客本位においては、顧客は、賢く行動することで自己の真の利益を追求し、金融機関は、顧客を賢くすることで持続可能性のある中長期的な利益を追求するのです。そのような顧客との新たな関係構築を志向すること、それが顧客本位です。
 
そうしますと、金融機関の人に求められていることは、顧客を賢くすることによって金融の真の社会的意義を追求することに働く意義を見出すことなのですね。
 
 金融には、それ自体の価値はないわけです。金融機能を利用することによって顧客が実現するものに、真の価値があるのです。住宅ローンには価値がなく、住宅に価値があり、投資信託には価値がなく、資産形成を経て消費のために取り崩されたときに価値が生まれるのです。法人融資も同じことで、融資には価値はなく、融資を受けた企業が資金を事業に投下して収益を生んだときに価値が生まれるのです。
 金融機関本位のもとで、金融機関に働く人は、金融機関が提供する商品やサービス中心に考えてきたので、金融が実現しようとする価値が見えなくなり、顧客の真の利益が不在になってしまったのです。それに対して、顧客本位のもとでは、顧客の真の利益の視点で考えなくてはならないので、金融が実現しようとする価値を直視することになります。
 このとき、新しい顧客が見えてくるのです。顧客本位とは、まずは、真の顧客の発見といっていいでしょう。そうして、顧客が実現しようとする価値に対して、最適な金融を提案しようとするとき、顧客を賢くしなければならないという動機が発し、そこに顧客本位が実現するのです。
 
金融機関に働く人が顧客本位を貫くとき、利益追求を志向する経営との間で、矛盾が生じないでしょうか。
 
 もしも、金融庁のいうとおり、顧客本位の徹底が金融機関の持続可能なビジネスモデルへの転換を意味するのならば、金融機関の中長期的な利益と矛盾するはずはありません。このことを、金融庁は、顧客との共通価値の創造といっています。
 金融に固有の価値がない以上、金融は、利用者である顧客のなかに価値を創造することに貢献してこそ、はじめて社会的機能を果たすのですから、顧客の価値創造がなければ、金融に意味はなく、顧客の価値創造を前提にしたときに、その一部について金融の貢献を主張できるだけなのですから、金融とは、金融庁がいうように、顧客との共通価値の創造以外ではあり得ないのです。
 顧客と金融機関との間に利益の矛盾がないのならば、顧客本位原則のもとで、金融機関の利益と、そこに働く人の利益との間に矛盾がないように人事処遇制度が設計されている限り、全体として、どこにも利益の矛盾はないはずです。少なくとも、それが金融庁の仮説です。
 
では、金融機関に働く人は、金融機関の側ではなくて、顧客の側にたって仕事をすべきだということでしょうか。そのほうが顧客の利益になるだけでなく、金融機関の利益にもなるということでしょうか。
 
 むしろ、そのほうが自分自身の利益になるといいたいところです。なぜなら、真の顧客本位の貫徹が自分自身の生きがいとなるのならば、なによりも、自己実現を目指すことが顧客の利益となり、結果的に、金融機関の利益となり、金融機関の利益となる限り、適切な利益の配分を受けられるのですから、そこには、自分の人生の目的追求が経済的に報われるという真の好循環があるべきだからです。
 金融機関は、組織として顧客に接することはできません。顧客に接しているのは、あくまでも金融機関に働く生身の個人です。顧客本位が実現する場所は、金融機関の組織のなかではなくて、金融機関に働く人と顧客との関係のなかなのです。
 要は、顧客本位な金融機関が先にあって、そこに働く人を顧客本位に統制するのではなくて、顧客本位に働く人が先にあって、その人の集合として、顧客本位な金融機関が生まれるということですから、顧客本位とは、現場からの金融機関の組織改革であり、金融における真の働き方改革なのです。
 
もともと、フィデューシャリーは個人でしたね。
 
 顧客本位は、2014年9月に金融庁の施策として登場したときには、英米法の専門用語を借りて、フィデューシャリー・デューティーの徹底と呼ばれていました。この片仮名は、顧客本位に呼びかえられた今でも、改革の理念を象徴するものとして、金融界にしっかりと定着しています。
 フィデューシャリー・デューティーを要言すれば、フィデューシャリー、即ち、専らに顧客の利益のために最善を尽くす専門家が負うデューティー、即ち、義務となりますから、まさに顧客本位の理念そのものなのですが、フィデューシャリーは個人の専門家だという点が重要です。代表的には、弁護士や医師を想定すればわかりやすいでしょう。
 
専門家を片仮名にすれば、プロフェッショナルですね。
 
 顧客本位を片仮名で表現すれば、金融機関の人は、フィデューシャリーとして専らに顧客の利益のために働き、プロフェッショナルとしての経験と能力の全てを傾けて最善を尽くすデューティーを負うこととなるでしょう。フィデューシャリーとしての働き方改革、プロフェッショナルとしての働き方改革、これが顧客本位の本質です。
 働き方改革の本質は、金融機関に働く人のプロフェッショナルとしての成長にあるのです。その成長を促すものは、いうまでもなく、プロフェッショナルとして顧客に対して負う責任の自覚です。顧客本位は、金融機関の改革である以前に、金融機関に働く人の自己改革なのであって、金融機関の改革は、その先に、結果として実現するにすぎないのです。
 
以上

 
 次回更新は、10月19日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/03/23掲載「その投資信託を売る君よ、自分でも買いたいと思うか
2017/02/09掲載「銀行死す、銀行員よ、死の覚悟をもて
2016/04/21掲載「弁護士はフィデューシャリーとして喜んで成仏すべきか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。