エネルギー投資と保守主義の原則

森本紀行
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エネルギー分野は、明らかに、成長分野であり、投資の基本が成長への投資である以上、非常に重要な投資の領域です。これは、間違いない。

 では、エネルギー分野へ投資すべきなのか。すべきでしょう。問題は、エネルギー分野に投資するとは、 具体的にどういうことなのか、ということです。簡単に思いつくことは、エネルギー関連企業の株式に投資することですが、それだけか、それほど簡単なことなのか。
 毎度のことながら、話は飛びます。私は、2009年1月14・22日に、「根本的に向きを変えてしまう小さな境目としての「日本の分水嶺」」というコラムを書きました。「分水嶺」というのは、わずかな違いが行き先を大きく変えてしまう境目のことです。世界は、そして、日本も、この分水嶺を越えたのではないか、という趣旨のコラムですが、その論拠の一つが、実は、21世紀のエネルギー革命ともいうべき、現在の急激なエネルギーの構造転換でした。
 歴史の分水嶺などというと、皆さんは、資本主義の原点である市場原理の行き詰まり、みたいなことを想像されるのかもしれません。しかし、このコラム、読んで頂ければわかりますが、市場原理が機能したからこそ、エネルギーの構造転換ができたのだ、という論旨になっています。


つまり、原油価格の上昇によって、代替エネルギー開発が採算にのるようになり、一気に開発が促進された点に注目しているのです。

もともと、石油などの化石エネルギーを使い続けることの、地球環境への負荷の問題は、とっくの昔から指摘されているのです。しかし、原油価格が低位に留まる限り、まさに、市場原理に従って、代替エネルギー利用の実用化や、高コストな省エネルギー技術の実用化は、経済的採算にのらないので、技術的には概ね完成していても、実行されない。
 いかに理念的に正しいことでも、経済的採算にのらないことは、資本主義の原理の下では行われない。逆に、原油価格が急激に上昇し、代替エネルギー技術や省エネルギー技術の採算点が一気に動くと、今度は、同じ資本主義の原理が、長年の懸案である地球環境問題の解決への誘引になるのです。
 もしも、真の賢人が世界を統治していたら、もっと早く、計画的に化石エネルギーからの転換は行われたのでしょう。それに対して、私たちは、凡人の民主主義と資本主義を選択しているのです。それでも、結果的には、正しいものが実現するのです。この資本主義原理に対する基本的な信頼抜きには、もちろんのこと、投資など、成り立ちはしないのです。
 さて、本論へ戻りましょう。忘れてならないことは、現在のエネルギー革命が、成長分野として魅力ある投資機会を提供するということの、その原点にある基礎的条件は、原油などの化石エネルギー資源の価格の高止まりにあるということです。


資本主義原理の基本は、価格の情報伝達機能です。

化石エネルギー資源価格が高いという基本情報が、膨大な投資需要を誘発する。つまり、資本は、エネルギー分野に高い利潤率を見出し、そこへ奔流のように流れる。その仕組みが、資本の原理であるわけです。
 資本の流れる先は、どうやら、三つの分野に向かっているようです。第一は、化石エネルギー資源への投資。第二は、化石エネルギーに替わる代替エネルギー分野への投資。第三は、エネルギーの使用量を大幅に削減する技術です。私が、感じている大きな懸念、あるいは不安は、この三つ、論理的には、同時成立しないだろうということです。


敢えて説明するまでもなく、供給を増やす投資と、需要を減らす投資とを、両立させることは、不可能でしょう。

一方で、化石エネルギーと代替エネルギーの両方の供給を増やす方向へ巨額な投資を行い、他方で、エネルギーの使用量を大幅に減らす技術へも投資するということは、持続可能性のあることでしょうか。
 私は、メキシコ湾で起きている原油流出事故の報道を見て、大いなる不安を感じずにはいられませんでした。流出した原油のもたらす環境被害のことではありません。あの開発プロジェクトの採算のことです。大体が、深海にまでパイプを下ろして、そこから更に地底を掘るというのは、どういうことか。明らかに、既存の油田に比べれば、産油コストは高いのでしょうね。でも、今の原油価格なら採算にあう。だから、掘っているのでしょう。
 もしも、あくまでも、もしも、の話なのですが、もしも、原油などの化石資源の価格が低下してくれば、多くの進行中の開発プロジェクトの採算は、悪化するのでしょう。当然のことながら、背後には巨額な資金調達があるのですから、金融的に置き換えると、採算の悪化は、巨額な不良債権等の発生につながりかねないのでしょう。大変な問題です。
 一方、化石資源価格の低下は、単なる「もしも」の仮定なのかというと、そうでもないでしょう。なぜなら、原油など化石資源に対する需要を大幅に低下させる投資も、非常に大きな規模で、同時平行に進んでいるからです。一つには、代替エネルギー開発、もう一つには、省エネルギー技術。
 代替エネルギー開発と省エネルギー技術開発の問題の核心は、量産化による採算点の引き下げです。ところが、化石資源価格の高止まりが長く続いているので、巨額の投資が継続的に行われ、ついに、量産化は、軌道に乗り始めたのです。これは、私たちの生活にとっては、大変に結構なことなのですが、もしかすると、金融的には、大変なことを意味するかもしれないのです。
 また話は飛びますが、半導体の開発のことを考えてください。半導体の能力を一段階上げることには、巨額の投資が必要です。ところが、その投資資金を回収できるかどうかは、微妙な問題になっています。なぜなら、量産化による製品価格の下落速度が、あまりにも速いからです。
 半導体の進化が、どれほど、我々の生活に資しているかは、いうまでもないことです。ところが、事業として考えると、半導体産業というのは、なかなか難しいものになっているのです。その一つの原因が、世界的な金余り、あるいは資本の過剰が、怒涛の集中投資を誘発することなのだと思います。


つまり、投資の過剰が、量産化による価格下落速度を速くしすぎてしまうのです。

我々の生活には、とても良いことなのですが、資本の論理としては、悩ましいわけです。ここに、現代資本主義の構造問題があるわけでしょう。資本利潤率の低下、投資収益の低下です。これは、資本過剰からくる当然の帰結です。まさに、マルクス的問題です。
 おそらくは、代替エネルルギー投資が構造的に抱える問題は、半導体と同じだと思います。しかし、規模が、遥かに、遥かに、大きいので、問題が顕在化したときの影響は、大変に深刻なのかもしれません。要は、現在の投資計画において採算点として想定している出荷価格に比して、量産化が本格したときの市場価格は、あっという間に、しかも、大幅に、下落した水準になるのではないか、という心配です。
 このコラム、エネルギーが重要な投資分野だと冒頭にいいながら、最後には、非常に危険な投資だといっているのです。では、投資すべきなのか、すべきではないのか、よくわからない。だから、表題にあげたように、保守主義の原則です。
 三つの分野、化石エネルギー資源、代替エネルギー、省エネルギー、もしも、保守主義の原則を徹底すれば、最後の省エネルギー分野が、一番魅力的ですよね。つまり、予測し得ないエネルギー価格に関する不確実性が、一番小さいからです。投資の保守主義というのは、予測し得ないことにかかわる不確実性を小さくする努力なのです。


金鉱よりもスコップ、この古い格言が、投資の原則です、

念のためですが、金鉱よりもスコップというのは、金鉱を掘り当てる確率は極端に低いが、大量の夢見る金鉱掘りの人間に必需品を売る商売は確実なのだ、ということです。2008年10月16日のコラム「金鉱よりもスコップ、チャイナよりもグレーター・チャイナ」を、ご参照ください。
 この格言、現代に読み替えれば、半導体よりもコンピュータ、コンピュータよりもソフトウェア、ということです。あるいは、エネルギーに読み替えれば、化石エネルギーよりも代替エネルギー、代替エネルギーよりも省エネルギーということです。


以上

次回更新は、7/22(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。