投資判断における保守主義の原則

森本紀行
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土地の値段が高いから、賃料が高い、のではないでしょう。逆です。賃料が高くとれる地域だから、その辺の土地の値段が高いのです。

 不動産一般を語ろうとしているのではありません。投資対象としての不動産を問題にしているのです。投資対象としての不動産は、いわゆる収益物件です。つまり、賃料収入のある物件です。そもそも、不動産自体が投資対象なのではなくて、不動産が生み出す賃料収入が投資対象なのです。不動産の所有は、賃料収入を受け取る権利についての、法律上の対抗要件に過ぎません。

そうであれば、土地(上に何もない更地)は、投資対象ではないことになります。

 一方で、土地の価格が変動することは、事実です。ならば、土地の値上がりを見込んだ土地投資ということもあるのではないか。あるでしょう。ただし、それは投資ではなくて、投機です。
 投資一般を語ろうとしているのではありません。社会的な責任のもとで行われる機関投資家(年金基金、金融機関、財団など)の資産運用を問題にしているのです。機関投資家にとっての投資は、日常用語の投資よりも狭い。値上がり益を見込んだ更地の取得などは、機関投資家にとって、投資ではなくて、投機なのです。
 いうまでもありませんが、土地を取得して、その上に賃貸物件を建設することは、不動産開発業者の投資としては、当然のことでしょう。その場合でも、物件建設後の収益性を科学的に考慮しての土地取得だから、企業経営という社会的行動の枠に収まるのであって、更地のままの転売を見込んだ土地取得の場合は、企業経営の逸脱になる場合も多いと思われます。しかし、正当な投資と投機的逸脱とを区別することは、難しいでしょう。
 機関投資家の不動産投資においても、実は、既存の収益物件の取得だけではなくて、新たに収益物件を建設する開発型があり得ます。こうなると、投機的な先行土地取得が紛れ込まないか、微妙な場合もでてくるような気がします。

そこで、投資判断における保守主義原則です。

 保守主義の原則とは、合理的な価値判断の可能性について、判断能力には限界があることを自覚的にわきまえることです。投資と投機の境目は、一つには、将来事象についての、合理的(科学的)な蓋然性についての判断と、単なる思惑的な予測判断との差でしょう。
 不動産投資を例にして、この投資の保守主義の検討をしようというのが、今回の試みです。投資判断には、重要な四つの要素があると考えております。保守主義も、その一つです。その四つとは、以下の通りです。
 1. 投資対象の本源的価値についての判断
 2. 損失の可能性(本源的価値の毀損であり、真のリスク)についての判断
 3. 価格変動(価値変動を伴わない単なる価格変動。これも、リスクと呼ばれることが多いですが、私は、峻別しています。敢えて片仮名でいうならボラティリティ)が作る投資機会(片仮名でいうならバリュー)についての判断
 4. 価値の上昇を見込まないという保守的判断(保守主義)
 最初の三つについては、これまでのコラム(「方法論」の中にまとめてあります)で、何度か論じています。本稿との関係で、不動産を例として、要点を述べれば、以下のようになるでしょう。
 不動産の本源的投資価値は、現在の賃料水準、管理費用、稼働率を前提としたときの、将来のネットの賃料収入の現在価値として、科学的に計測されるものです。誰も、科学的に価値測定できないものには、投資しないし、すべきでもない。価値の測定は、投資判断の第一歩であり、基本中の基本です。
 損失の可能性は、倒壊や火災というような物理的な損失がわかりやすいですが、普通は、保険による損失填補を用意しておくでしょう。損失の可能性として一番重要なものは、稼働率ではないかと思われます。理屈上、賃料は稼働率の関数だと考えられるから。稼動率が下がって(空室率が上昇して)、しばらく回復の目処がないから、賃料を下げざるを得ないということなのでしょう。そうすることで、稼働率は、ある程度、維持されるが、賃料の総額は下がる。
 満室に近い状態で稼動している限り、多少の賃料の低下があっても、長期保有して、結果的に純損失になるようなことは、考えにくい。それでも、賃料の低下は、価値の低下という意味での損失を招くことに、間違いありません。
 このようなリスク(価値低下の可能性)が、投資時において、物件の立地、大きさ、用途、テナント構成などを総合的に評価することで、許容可能なものとして認識されていることは、投資の基本要件なのです。もちろん、外部の専門の運用者を使って投資するならば、その運用者が、価値の毀損を極力回避できる能力(適切なテナント政策や改装更新投資など)を有するかどうかの評価も重要でしょう。
 価値の毀損分だけ価格の下がることは、止むを得ない、といいますか、当然のことでしょう。価値の低下分だけ価格が下がっても、売る必要がないならば(長期保有を前提とした運用ならば)、総合収益の低下は避けられないとしても、投資が最終的に純損失になるとは考えにくい。
 むしろ、問題なのは、価値と価格が大きく異なってしまう場合でしょう。二つが全く逆に動くとは考えにくいですが、市場価格の変動は、価値変動を、そのままに、表現するのでもない。不動産のバブル(価値から大きく遊離した価格の上昇)は、避け得ないのかもしれない。そのようなときは、売却することで、より割安な資産へ入替えすべきなのかもしれない。逆に、ある物件の所有者の金融的破綻が、価値を大きく下回る価格での売却事例を生む、つまり、有利な投資機会を作るのかもしれない。価格変動は、見かけ上の損益に惑わされることなく、投資の機会判断として、常に、注意深く観察されねばならない。これも、投資の基本要件です。

さて、いよいよ、保守主義です。以上の三つの判断全てについて、保守主義の原則を貫かないと、投資は、一気に、投機に堕落してしまう。

 そもそも、価値判断について、賃料の上昇を見込めば、価値評価はいくらでも高くなってしまいます。賃料の現状維持でも、投資価値がある、多少の賃料低下でも、価値低下は許容範囲にとどまる、そのような保守的評価の中で、投資価値は算定されるべきです。
 賃料の上昇を見込むからこそ、先行的な土地取得も、簡単に認められてしまうのです。でも、賃料の上昇を、合理的に見込むことは、可能ではないか、そのような反論もあるでしょう。確かに、不動産は、個別物件ごとには、価値を大きく上昇させるような周辺環境の変化があり得るのでしょう。大規模な都市再開発が隣接地でおきるとか。新交通機関ができるとか。
 不動産の場合、積極的に将来価値を変えることも可能、ということが、もしかしたら、バブルになりやすい原因なのかもしれません。実際、都市再開発や交通手段整備自体が、不動産投資だからです。問題は、どこまで、将来の変化を、現時点での価値評価に織り込んでいいのかということです。
 やはり、保守主義の原則は、はずせないと思います。できるだけ禁欲的に将来を見積もって、それでも、投資価値がある、ということが基本的投資判断なのではないでしょうか。これは、不動産投資に限らない。株式投資も同じです。
 不動産開発への積極的投資に対して保守的判断をするならば、同様に、積極的な投資を行う不動産開発業者の株式に対しても、保守的に対応すべきではないか。不動産開発業に限らず、エネルギー開発も同様ではないか。
 余談ですが、私は、1964年、東京オリンピックの年に、大樹という北海道の小さな町の小学校へ入学したのです。北海道の町は、明治初期の人が、川に沿って海から入植し、建設したからだと思いますが、川沿いにあることが多い。大樹も、町の中を歴舟川が流れています。
 役場などは川の北に作られたので、古くは、町の中心は、北側でした。ところが、後に鉄道(愛国駅と幸福駅の間の切符で有名になった広尾線)ができたとき、川の南を通ったのです。だから、街の中心は、駅のある南に移った。そして、更に歴史は展開し、鉄道は廃線になり、駅の周辺は廃れました。
 古くからある主要道路は、町を南北に走っています。川を渡るところに橋がある。結局、この橋の両端が、今も昔も、町の中心としてあり続けているようです。基幹交通が、川舟、鉄道、自動車というふうに変わるにつれて、町も変わったのです。
 時代は変わる。舟運や鉄道は、今後、見直され、再評価されるのかもしれません。また町は変わるでしょう。東京だって同じことです。激変する東京の都市景観。原因は、大規模な開発です。都市機能の充実が不動産価値を高める、という理屈なのかもしれませんが、不動産価値の上昇を見込むことが、都市機能の充実へ向けた投資を誘発しているのでないかどうかは、検討に値すると思います。

そのような、一歩下がった冷静な判断のことを、保守主義といっているのです。

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。