地に堕ちた「投資銀行」の再興を地域金融機関の手で

森本紀行
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どうやら、サブプライム問題やリーマンブラザーズの一件以来、投資銀行という言葉は、非常に印象の悪いもののようです。

いまや、資本主義の悪しき顔、強欲(greed)の象徴のようにいわれるのが、投資銀行です。
 そういう世論の逆風の中で、弊社は、あえて、「地域金融機関は地域の投資銀行になれるか。」(10月16日金曜日の午後1時30分開演)と題した大規模なセミナを共催しています。主催は、地域共創ネットワーク(代表坂本忠弘氏)です。このタイトルにもかかわらず、なのか、このタイトルだからこそ、なのか、よくわかりませんが、現時点(10月8日)で、ご参加申込み350名を超える大盛況となっております(まだ、少し、お席に余裕があります。ぜひ、当サイトから、お申込みください)。
 このセミナのタイトルの挑戦的なところは、強欲の象徴の投資銀行を、対極的なイメージの日本の地域金融機関に結びつけたことです。タイトルだけで誤解を受ける面もあるのでしょうが、それでも、主催者側の真意が、それなりに、ご評価いただけているのだろうことは、お申込みの数の多さからも、みてとれます。では、セミナの真意は何か。
 「地域金融機関のポスト金融危機の投融資戦略」、これがサブタイトルなのですが、この「投融資」というところに、真意があります。主催者の言葉を引けば、「融資を創出する投資」というものもあり、新たな投資銀行の姿も生まれてくる、ということです。「新たな投資銀行」とは、地に堕ちた投資銀行ではなくて、本来の投資銀行のことであり、本来の投資銀行とは、そこに含む「投資」の意味が、「融資を創出する投資」であるような、投資銀行のあり方、一歩を進めれば、本来の銀行(あるいは広く信用供与機関)のあり方である、ということです。

私は、5月21日のコラム「金融そのものへ!」の中で、以下のように述べています。

 「資金調達の方法は多様です。銀行からの借入は、多数の選択肢の一つでしかありません。社債の発行でも、株式の発行でも、あるいは資産の売却(流動化)でもいいわけです。本来は、企業の立場で、資金使途に対して最適な調達方法を提案することが、企業金融(コーポレート・ファイナンスCorporate Finance)という金融サービスの本質であったはずです。そして、英語で、このコーポレート・ファイナンスと同義で使われるのが、インベストメント・バンキング(Investment Banking)、即ち、日本語でいう投資銀行業です。」
 これです。今、銀行を始め、全ての与信機関に求められていることは、真の企業金融の担い手としての社会的機能です。投資銀行という言葉は、本来は、そのような重要な社会的機能を意味したのです。ところが、歴史の展開の中で、投資銀行の役割は変質し、昨年、ついに地に堕ちたのです。同じコラムの続きには、以下のように書かれています。
 「歴史的には、投資銀行業は、企業の資金調達を総合的に支援する一つの業であったわけですが、世界的な規制の方向性は、それを銀行業と証券業に分離する方向へ進みます。資金調達という企業経営の死命を制する重要な分野が、巨大な投資銀行業者によって支配されると、独占資本主義の弊害を生んでしまうことが懸念されたからです。その後、資金調達の方法は、銀行借入という間接金融から、株式・社債の発行や資産流動化というような、証券業に分類される直接金融の方向へ比重を移していきます。その結果、投資銀行といえば、証券の引受業務に強みのある大手の証券会社を指すようになっていくのです。」
 投資銀行は、さらに、証券会社としての機能も逸脱し、巨額な自己資本を使った自己勘定取引や、企業金融の社会的必要に立脚しない金融取引へ傾斜を強めていき、最終的には、社会的批判の中で瓦解していくのです。今、投資銀行という言葉から想像されるものは、この地に堕ちた後の姿です。しかし、原点においては、企業の経済活動を、企業金融の側面から全面的に支援する、社会的に必要な存在であったわけです。
 いま、銀行に代表される与信機関、特に地域金融機関に求められている社会的役割が、まさに、企業を、特に地域企業を、企業金融の側面から支援することにあることについて、全く異論はないでしょう。

企業を企業金融の側面から支援することは、必ずしも、融資をすることではありません。

貸し手の論理で、自己の基準に合う融資案件だけを取り上げていたのでは、社会の必要を満たすことはできません。先の引用を繰り返しますが、「企業の立場で、資金使途に対して最適な調達方法を提案すること」が、企業金融の社会的役割なのです。「資金調達の方法は多様です。銀行からの借入は、多数の選択肢の一つでしか」ないのです。
 企業の立場に立って、最適な調達方法を提案し、その中の選択肢の一つとして、融資を創出すること、これが、本来の投資銀行機能を併せ持つ融資機関の姿です。投資銀行的な提案能力を持たずして、受身の姿勢で融資機会を待っていても、そのような機会は生まれ得ないのです。
 最適な調達方法とは、一般的には、複数の資金供給形態の組み合わせ(いわゆるキャピタル・ストラクチャ capital structure)です。キャピタル・ストラクチャは、その最上位にある融資と、最下位にある株式、中間の社債・メザニンなどで構成されます。「融資」よりも下は、「投資」といわれることが多い。そこで、キャピタル・ストラクチャの全体提案という意味で、「投融資」というのです。結局、投融資とは、本来の投資銀行のことなのです。
 純粋な投資銀行業務は、キャピタル・ストラクチャの全体提案にとどまる、いわゆるアドバイザリ業務です。しかし、現金の調達を伴わない提案は無意味なので、全体アレンジを司るものとして、複数の実行機関(融資機関、社債・株式の引受機関)を組織します。あるいは、その一部(例えば融資のみ)は、自己で引き受ける、果ては、全部引き受ける、という風に発展していくわけです。
 現状、地域金融機関は、原則として融資機関であって、キャピタル・ストラクチャの全体を引き受けることは、必ずしも容易ではないでしょう。しかし、だからといって、融資機会に参画できないことにはならない。真の投資銀行として、キャピタル・ストラクチャを提案することで、その融資部分を引き受けることができる。融資機会を創造することができる。自己が引受け得ない部分は、外部の様々な機関と連携することができる。
 地に堕ちた「投資銀行」という言葉の名誉回復は、地域金融機関の手によって成し遂げていただきたい。地域金融機関は、企業の立場に立って、財務アドバイザとして、創造的提案をすることで、企業金融の社会的役割を果たすことができる。そのような社会的視点での活動が、結果的に、融資を創造することになるのだと思います。このことは、別に、地域金融機関だけではなくて、全ての金融機関について当てはまるのですが、ここは、やはり、地域金融機関、顧客との社会関係性(リレーションシップ)の上に事業基盤をおく地域金融機関によって、成し遂げて欲しい、そのように、強く思うのです。
 リレーションシップバンキングというのは、あえて、「バンキング」というカタカナを使うのです。このカタカナの「バンキング」は、狭い融資業務ではないと思われます。本当の意味での「インベストメント・バンキング(投資銀行業務)」の「バンキング」に通じるものだと思います。
 「リレーションシップ」という、顧客との社会的関係性の中で、インベストメント・バンキングとして、「バンキング」を展開するからこそ、強欲的投資銀行への逸脱はおき得ない。しかし、いかに「リレーションシップ」を大切にしても、「バンキング」に工夫を凝らさない限り、「リレーションシップバンキング」という社会的機能は、果たしえないのだと思います。

以下の関連コラムも、ご参照下さい。
8月27日「取引(トランザクション)金融と関係(リレーションシップ)金融
9月 2日「地域金融の「地産地消」

以上

次回更新は10/15(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。