長生きしすぎた昭和金融、ついに死す

長生きしすぎた昭和金融、ついに死す

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、金融仲介機能を中心とした日本型の金融構造を、資本市場機能を中心としたものに転換する方針を、一段と明確にしています。昭和の末期になされるべくして、なされ得なかった金融構造改革、ようやっと、今、そのときを迎えたのか。昭和も遠くなりにけり、なおも生き延びてきた昭和金融、ついに死亡宣告か。
 
 日本に限らず、どの国でも、第二次世界大戦後の経済復興において、必要とされる巨額な資金を調達することは、重要な課題だったのですが、戦前の蓄積も十分でなく、それすら戦火で失った日本においては、極めて深刻な問題でした。そこで、小さな貯蓄を集積して、それを何倍にも増幅して、大きな資金を創出する工夫が講ぜられます。それが銀行等の信用創造機能の徹底した保護育成策です。
 金融庁がいう金融仲介機能とは、こうした背景から、日本の産業金融の中核を担うべくして、創出されたものです。つまり、仲介とは、零細な個人貯蓄を、銀行や信用金庫等の預金取扱金融機関へ集積して、それを、融資として産業界へ還流させる仕組みのことなのです。この金融仲介機能を効率的に発揮させるためには、預金に特権的な地位を与えることが必要だったので、預金取扱金融機関を徹底的に保護するという当時の大蔵省の金融行政につながったのです。
 厳格な金融規制とは、何のことはなく、規制によって高い参入障壁を構築して、金融機関を保護し、保護によって金融機能の十全なる発揮を可能ならしめ、もって、旺盛な資金需要をもつ産業界へ、円滑なる資金供給がなされることを確保して、経済の成長を実現させるためのものだったのです。結果的として、経済成長による国民の厚生の増大によって、規制という名の保護は正当化されていたわけです。
 
その強力極まりない金融仲介機能こそ、昭和の金融の本質だったのですね。
 
 昭和の金融の本質は、強力な金融仲介機能だけではありません。預金に限らず、零細な貯蓄を集積するために、ありとあらゆる様々な方法が講じられていたことが本質です。例えば、生命保険も、戦後長らく、死亡保障機能よりも貯蓄機能が強い養老保険等が主力だったのです。その後、経済成長とともに、保障機能に力点が移動していきますが、生命保険は、原点において、貯蓄であったのです。
 また、信託銀行という業態は、本来は資産管理の機能であるはずの信託を銀行機能に合併させたもので、それは、貸付信託という特権的商品によって、貯蓄を集積して、融資に回す特殊な金融機関として、作り出されたものでした。
 
生命保険会社にしても、信託銀行にしても、いわゆる長期金融機関として、産業金融の担い手だったのですね。
 
 金融機関にとって、資金の調達と運用との間に生じ得る構造的な不一致を適切に管理することは、経営の基本です。なかでも、大きな問題は、期間の不一致です。
 銀行等の預金取扱金融機関の場合、普通預金は随時引出し可能ですし、期間を定めた定期預金にしても、満期は必ずしも長いものではなく、また、金利を放棄すれば、中途解約可能ですから、その資金性格は非常に短いものと考えざるを得ません。ならば、融資においても、原理的に、長期の取り組みには限界があります。
 そこで、当時の大蔵省は、長短分離政策というものを導入して、預金取扱金融機関には、短期金融を割り当て、他方で、専門の長期金融機関を育成します。経済成長の要は企業の設備投資であり、そのための資金調達は、当然のこととして、長期のものでなければならなかったので、この長期金融機関の社会的使命は重要なものでした。
 その代表は、特殊な社債である金融債の発行を特権によって認められていた長期信用銀行ですし、生命保険会社と信託銀行も、長期金融機関に位置づけられていました。
 また、いわゆる系統金融機関も、短期調達である預貯金を長期資金に転換する高度な仕組みでした。つまり、例えば、農業協同組合の信用事業の場合、各農協の貯金は、都道府県単位の信用農業協同組合連合会に預け替えられ、それが更に、農林中央金庫へ集められることを通じて、資金性格を長期化させていたわけです。
 これら長期金融機関は、長期融資や、社債や株式の引き受け等によって、潤沢な設備投資資金を産業界に供給することで、経済成長に極めて重要な役割を演じたのです。しかし、同時に、その責務を果たすことの見返りとして、規制によって高度に保護されていたことは、預金取扱金融機関と同じです。
 
戦後復興から高度経済成長にかけて有効に機能した昭和の金融体制も、低成長化が明確になった昭和の末期には、経済実態との間に不適合が生じていたわけですね。

 低成長化は、先進経済圏共通の深刻な問題でしたが、日本もまた、避けることのできないものでした。高度経済成長を前提とした産業構造は、当然のことながら、抜本的な改革が必要とされたわけですが、産業構造改革は、金融の構造改革と一体のものとして、断行されなくてはならなかったのです。
 実際、1980年代の初頭から、イギリスではサッチャー首相の強力な指導体制のもと、また、アメリカにおいても、レーガン大統領のもと、大胆な金融構造改革がなされます。具体的には、金融仲介機能から資本市場機能への大胆な転換がおこなわれたのです。これは、金融機関の保護政策を改めて、金融に市場原理を導入することを意味していました。
 実は、程度の差こそあれ、どの国でも、戦後経済の成長は、計画的な資源の配置によって実現されたわけで、産業も、金融も、高度に規制されていたのです。故に、その行き詰まりから、構造改革が必要とされたとき、それが大胆な規制改革による市場原理の導入となったことは、理の当然といわなくてはならないのです。
 
日本でも、同様の金融制度改革は、予定されていたのでしょうか。
 
 サッチャー首相によって創出されたロンドンの国際金融市場は、急速な成長を遂げるわけですが、当時の大蔵省は、都市銀行等に対して、そこでの証券子会社の設立を促していたのですから、日本の国内における金融の市場化へと、準備を進めていたと思われます。しかし、なぜか、改革はなされなかったのです。
 結果として、金融の供給能力と産業の資金需要との不均衡は、過剰資金の不動産への投機的流入となり、あの儚いバブル経済の狂乱をもたらしたことは、周知の事実です。そして、不可避だったバブルの崩壊、それを象徴したのが1998年の二つの長期信用銀行の破綻であったことは、もちろん、偶然ではありません。本来の社会的機能を失っていた長期信用銀行には、自滅的冒険の他に道がなかったともいえるでしょう。
 このときの深刻な金融危機は、同時に、改革の好機でもあったはずです。実際、当時、投資サービス法が構想され、金融の市場化への転換の機運はあったわけです。ところが、危機の収束とともに、構想は一気に矮小化され、証券取引法の改正にすぎないような金融商品取引法になってしまいました。
 
三度目の、そして、おそらくは最後の機会として、森信親金融庁長官の改革があるのですね。
 
 10月21日に公表された新しい金融行政方針は、明確に、金融仲介機能から資本市場機能への転換の方針を打ち出しています。そこでは、預金取扱金融機関に対して、預金を投資信託等に転換することが促されているのです。実は、森長官の改革を象徴するフィデューシャリー・デューティー、この投資信託改革の中核を担う概念は、ここに真の論点があるのです。なぜなら、手数料ばかり高くて内容の粗悪な投資信託に、国民の貯蓄を誘導することなど、政策的に不可能だからです。
 また、金融行政方針としては極めて異例なことに、金融庁の所管外であるはずの年金基金の資産運用について言及のあることも注目されます。実は、アメリカの資本市場型金融への転換は、その前提として、少し前に実施された年金基金へ厳格なフィデューシャリー・デューティーを課す改革を必要としたのです。資本市場の効率性が保たれるためには、年金基金等の投資家の規律ある行動が必須の要件となるからです。
 
信託銀行の解体も、昭和の金融からの脱却という意味では、同じ流れですか。
 
 信託銀行は、長期信用銀行と並んで、昭和の金融を象徴する特殊な業態です。一方の長期信用銀行は、とうに消滅しているのに、他方の信託銀行が今でも存続しているのは、むしろ、奇異です。ですから、金融行政方針公表時に、一部で、金融庁が信託銀行という業態の解体を目指していると報道されたことについては、少しも違和感はありません。
 もっとも、金融行政方針には、そのような直接的な記述はないのです。ただし、巨大銀行グループを念頭に、銀行、信託、証券等の多様な業務を営む金融機関について、利益相反管理を強化するという施策が掲げられているので、銀行と信託を合併させている信託銀行は、構造的に二業を分離することで、確実な利益相反管理策になると解することもできるでしょう。
 
資本市場の機能強化という意味では、投資家側の規律も重要ですが、資金調達側の規律も重要ではないでしょうか。
 
 もちろん、資本市場で資金調達を行う企業は、市場に対して、厳格な責任を負わなくてはなりません。そうでなければ、投資家は、安心して市場に資金を供給できないのです。そこで、企業の行動を律するものとして導入されたのがコーポレートガバナンス・コードです。
 投資家とはいっても、投資信託や年金基金等の資産を運用する投資運用業者等にしても、年金基金それ自体にしても、最終受益者は、個人であり、年金制度の加入員と受給者です。一まとめにして、国民といっていいでしょう。フィデューシャリー・デューティーというのは、この投資運用業者等や年金基金が最終的に国民に対して負う責任のことです。
 フィデューシャリー・デューティーで律せられた投資家と、コーポレートガバナンス・コードで律せられた企業は、資本市場で対峙することにより、公正な価格形成を保証し、市場の活性化を通じて、安定した産業金融の基盤を構築しなければならないのです。
 責任ある対峙は、対立ではありません。そこには、対峙しつつ、経済成長を通じた国民の厚生の増大という共通利益の創出のために、協働するという側面もあります。この高度な関係を律するものがスチュワードシップ・コードです。
 
それらの三つの片仮名の概念は、ここ数年で、相次いで、金融庁が導入したものですね。
 
 金融仲介機能から資本市場機能へ、規制によってミニマムスタンダードが維持される金融機能から市場の競争原理によってベストプラクティスが進化する金融機能へ、金融庁が定めるルールから金融機関自身が自己を律するプリンシプルへ、預金等を中心とした貯蓄から投資信託等を中心にした資産形成へ、森信親長官のもと、金融庁は、昭和金融の解体に向けて、着実に前進しています。
 ついに、金融においても、昭和は遠くなりにけり。
 
以上

 
 次回更新は12月1日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2016/11/17掲載「森信親長官らしい金融再編論
2016/11/10掲載「金融庁のいう「日本型金融排除」とは何か
2016/09/08掲載「銀行の食文化革命
2016/09/01掲載「銀行よ、カネに豊かな色をつけてみよ
2016/07/28掲載「創造的な闘争としての金融のリスクテイク
2016/07/07掲載「金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。