大学の顧客と大学の財務

森本紀行
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もしかすると、大学の顧客は、学生を採用する産業界等の社会なのではあるまいか。

もちろん、顧客の意味が「お金を払う人」ならば、大学の顧客は、学生であり、多くの場合、実質的に、学生の親なのでしょう。しかし、社会の組み立てからみると、社会の必要とする人材の供給が大学教育の目的のように思われるので、供給を受ける側を顧客とみなすと、社会が顧客になる。そのように、考える余地はないのでしょうか。
 大学へ進学する学生の主たる目的、全ての目的でないまでも、主たる目的は、やはり就職なのでしょう。就職は、とても広い概念です。企業や役所に勤めることだけでなく、大学の教員になることも、研究者になることも、自営業者になることも、芸術家になることも、政治家になることも、広い意味では、就職です。


おそらくは、就職に有利な大学は、学生にとって、良い大学なのでしょう。

あるいは、学生にとっての良い大学とは、自分の希望する仕事に就くことのできる可能性を、最大化してくれる大学なのではないでしょうか。
 一方で、需要と供給の関係もあるので、社会の学生に対する需要は、学生の希望とは一致しないでしょう。しかし、何事も、供給よりも需要が優先するのが、社会の仕組みです。そもそもが、良い仕事というのは、社会が求める仕事のことであって、自分のやりたいことという、自己中心の発想では、社会に対する貢献はできないのです。
 大学というのは、基礎的な学力をつける教育の場ではなくて、社会との関係性の中で、学生が目的を見出していくところであり、その目的実現に必要な高度な知識を得るところなのだと思います。そのためには、大学は、社会につながっていないといけない。


社会につながるということ、社会の必要が学生に伝わるような環境を作ること、これは、実は、大学が社会を顧客とみなすことなのではないでしょうか。

産業的な表現を用いれば、大学は、社会が求める人材を生産するところなのでしょう。このことは、必ずしも、大学が、社会の要請に沿って、人を作るということではありません。大学は、職業訓練校ではない。そうではなくて、大学とは、教育の内容の中から、学生が、主体的に、社会との関係性を理解し、自分の人生の進路を自覚できるような知的環境でなくてはならない、ということです。
 大学の教育の中身が、社会の需要を的確に体現しているならば、その教育の中で形成される学生の希望は、社会の需要に適合してくる。社会との関係で、やるべきことを自覚し、それが同時に、自分のやりたいことに一致し、そのやりたいことを実現できるように、必要な知識や思考方法を学習する。大学教育とは、まさに、そのようなものであるはずです。
 このような大学あり方のことを、大学の顧客は社会である、というふうに表現してみたのです。では、どのようにすれば、大学は社会を顧客にできるか。常識的にいって、「営業」するしかないのではないでしょうか。営業とは何か。
 話は、飛びますが、この間、中国からの留学生の方と、お話をする機会がありました。日本語が上手でした。漢字がわかるためもあるのでしょうが、読む、書く、は日本人なみ、話すほうも、全く、日本の会社で仕事をするに問題ない。どうやら、本人の希望は、日本の金融関係の企業に就職することのようでしたが、就職活動の成果は、芳しくないとのことでした。
 就職が上手くいかない理由は、よく、わかりませんが、私の立場からいうと、日本語の上手な中国の方よりも、英語の上手な中国の方のほうが、よかったのです。この方、日本語の勉強に力を入れた分、英語に弱い。もしかすると、ここに、社会の需要と、学生の希望と、大学の教育との間の不整合があるのではないか、と感じたしだいです。
 海外からの留学生の教育を、英語で行うべきか、日本語で行うべきか、ここには、どうやら、色々な意見があるようです。ある大学の理事の方は、英語の授業はおかしい、といっておられました。なぜなら、留学生は、日本の企業への就職を希望し、日本語を勉強してきているのだから、英語では、かえって、学生の希望に沿わないのだ、というようなご意見です。
 私が会った中国からの留学生のことを考えると、この理事の方は正しい。学生を顧客と考える限り、正しいのです。しかし、社会を顧客と考えたときは、どうか。最近、社内の公式言語を英語にしたという日本企業の話を聞きました。日本の産業界が、生き残りをかけてグローバル化していこうというときに、留学生に日本語を求める日本企業が、どれくらいあるのか。
 留学生の教育のあり方を考えるとき、留学生の意向も大切でしょうが、社会の需要から発想していかないと、結局、努力して日本へ留学してきた学生に対して、本人の希望を叶えてあげられるような教育環境や卒業後の可能性を、提供できなくなってしまう。このことは、留学生だけでなく、日本の学生についても、同じでしょう。


大学の営業努力というのは、学生を集める努力ではなくて、社会の需要に対して的確に反応できるような社会との接点、産業界との接点を、強化することなのではないでしょうか。

そうすることで、よりよい就職機会を提供できる大学となり、そのことが、優秀な学生を、結果的に、集めることになる、そういうことなのだと思います。
 ところで、表題には、「大学の顧客と大学の財務」、とつけました。実は、大学の財政を改善することのためにも、大学の営業努力は必要なのです。学生が増えれば、財務は良くなる、ということだけではありません。例えば、寄付の問題。よく、大学関係者は、日本には寄付の文化がないから、寄付金が集まらない、というようなことをいわれます。しかし、寄付というのは、何よりも、社会的関係性の上に行われる行為です。寄付する側の社会の立場からみて、大学へ寄付したくなるような仕組みになっているのか、そのような社会からの視点で考える必要があるのです。
 第一に、産業界の立場からいえば、新卒の大学生にかける人材の育成・教育費用は、馬鹿にならない。もしも、大学が社会の要請を的確にとらえた教育をしていてくれたら、この費用は、大分削減できるかもしれない。何事も、企業経営では、費用と効果との関係が大事です。そのような産業界の要請にかなった教育内容の開発と維持のために、大学が投資をするというのなら、産業界にも、寄付を検討する余地がでてくるのではないでしょうか。
 産業界との関連は、産学連携の問題です。寄付というような枠組みを超えて、産学連携するところに、大学の大きな資金源が生まれることは、間違いありません。そして、その同じ連携が、学生の就職にも有利に働く。就職も財務も、根は同じ問題なのでしょう。
 第二に、実業界で成功した卒業生は、自己の成功と、母校で受けた教育や母校につながる交流関係との間の関係について、より深い連関を認めれば認めるほど、寄付をしようとする動機をもちやすいのではないでしょうか。
 大学の顧客が社会である、ということは、教員の招聘についても、当てはまるのでしょう。大学の立場から、教員を採用する、という視点ではなくて、教員の視点で、この大学で教えたい、この大学の教員の職は自分の研究者としての将来にとって有利だ、と思わせるような条件や環境を、大学は備えるべきなのではないでしょうか。


当社は、「大学の明日を考える会」を応援しています。

経済の成長なきところに、投資なし。しっかりとした大学教育なきところに、経済の成長なし。故に、しっかりとした大学教育なきところに、投資なし。大学をよくすることは、当社の事業基盤を強くすることです。ですから、「大学の明日を考える会」を応援する。そういうことです。
 私の大学への関心は、実は、米国の大学財団の資産運用のあり方への関心に始まっています。米国の有名大学は、巨額な運用資金をもち、それを高い収益率で運用し、その収益が大学経営の中で重要な役割を演じている。このことは、日本の大学関係者にも知られている。
 実際、東京大学は、東京大学基金を作って、米国大学財団的な方向を目指しています。この辺のことは、このコラムでも紹介しています。2009年7月16日のコラム「東京大学基金」などを、ご参照ください。しかし、日本の大学の抱える問題を考えるとき、米国の大学財団のありようは、ほとんど参考にならない。もっと広く、多方面から考えていかないといけない。だから、「大学の明日を考える会」です。
 7月30日に「大学の明日を考える会」の第三回勉強会を開催します。大学関係者の方、ぜひ、ご参加ください。


以上

次回更新は、7/15(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。