投資のオポチュニティーと金融の社会的機能

森本紀行
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金融の社会的機能は、経済活動に伴って生起する資金需要に対して、適切な時に、適切な方法で、適当(まさに適切な金額という意味での適当)な資金を供給することです。

 この自明な原点の理念への回帰が重要です。この点については、2009年10月15日のコラム「金融の社会的機能としての投資銀行業務」の中で、本来の投資銀行のあり方との関連で、述べておきました。
 なぜ、今、この自明な原点への回帰が重要なのかというと、いかに金融市場の整備が行われ、いかに高度な金融技術が導入され、いかに規制を充実させたとしても、必ずしも、金融の社会的機能が強化されるわけでもないことが、明らかになってきたからです。
 ところで、前回のコラム「価値と価格とインカムとバリュー」は、投資の基本原則を明らかにしていくための第一歩として書いたものでした。今回は、その続編として、前回とりあげた、インカム、バリュー、バリューアップ、という三つのカタカナの基本要素に、オポチュニティーという第四の重要な要素を加えたいと思います。

オポチュニティーは、opportunityであって、機会という意味です。日本語では、投資機会というのが普通の訳でしょう。しかし、ここではあえて、オポチュニティーという用語に、特別な意味を与えたいと思います。

 そこで、冒頭の金融の社会的機能がでてくるのですが、この金融の社会的機能の中でも、特に、「適切な時に」というところに重みをおいたのが、オポチュニティーです。
 平たくいってしまえば、要は、一時的な、しかしながら深刻な、資金需要というものがあって、その需要に対して資金を供給すると(つまり、投資すると、ということですね)、通常よりも有利な条件が得られるだろう、ということです。
 いい喩えかどうかわかりませんが、普段はグリーン車に乗らない人も、疲れていて、ゆっくりしたいときは、乗るかもしれない。普段は、地下鉄で行くところも、急いでいれば、タクシーを使うかもしれない。常態では払わない料金でも、一時的な特別な条件の下では、払うことがあります。いいかえれば、追加的な料金を払ってでも、一時的に必要となるサービスがあるということです。
 金融の世界では、こうした追加的料金を、プレミアムpremiumといいます。プレミアムを取れる状況を、オポチュニティーというのです。資金調達をしている企業も、ときどき、疲れたり、急いだりするのです。そういうときは、資金の供給者(銀行や投資家)にプレミアムを払うのです。そのプレミアムは、頂いたほうが得です。ただ、それだけのことです。それが、オポチュニティーです。
 ただ、それだけのことなのですが、現実には、オポチュニティーを適切に捉えることは、簡単ではありません。投資技術的に難しいというよりも、そもそもの問題として、そのようなオポチュニティーが、投資対象として外部化されるか、つまり投資家にとって投資可能な対象として提供されるか、という点が問題なのです。

例を銀行の資本調達にとりましょう。特にどこの国の銀行ということではなくて、抽象化した、規制業として資本規制の枠組みの下にある銀行のことです。

 今回のような金融危機がおきれば、必ず、銀行は資本不足になります。保有資産の価格の下落や質の劣化にともなう償却負担は、当然に資本の減少に帰結する一方で、銀行は、資本規制上、一定額以上の資本の維持を要求されているからです。
 さて、この資本不足、資本規制上の技術的要因からくる一時的な表面的な不足なのでしょうか。それとも、回復不能な資本の毀損なのでしょうか。もしも、一時的な資本不足なのならば、一時的な増資が望ましい。永久的な資本不足ならば、永久的増資をせざるを得ない。この判定、難しいです。ここに、解き得ない難問があるのです。
 オポチュニティーとの関連でいえば、一時的な増資は、オポチュニティーである可能性が高いですが、永久的増資は、オポチュニティーではありません。後者について念のために付け加えれば、あくまでも、オポチュニティーとの関連でいっているので、オポチュニティーでないからといって、投資価値がないといっているのではありません。前回の用語でいえば、インカムやバリューはあり得るのです。念のためです。
 具体的にいうと、もしも、一時的増資ならば、普通株は発行しないでしょうね。既存の株主にとって、希薄化による損失が大きいからです。なんらかの償還できる株式、資本規制上の要件は充足する形態(そもそも、増資目的が資本規制の要件充足)、ということになるのだと思います。劣後債(ローン)や優先株など、広義のメザニンmezzanine(建築の中二階です。一階の普通株と、二階の一般債権の中間だからです)になるのだと思います。
 私は、故に、銀行劣後債(ローン)は、魅力あるのではなかろうか、良いオポチュニティーなのではなかろうか、と考えております。つまり、資本規制の目的充足という必達条件が、銀行側にとって不利な条件(投資家にとっての有利な条件)での発行を、余儀なくさせるであろう、と考えているのです。
 ところが、もしも、資本規制を強化し、劣後債等の資本組入れに制限をつけると、結局、銀行は普通株増資を選択せざるを得なくなって、オポチュニティーがなくなってしまいます。事実、今の日本の株式市場でおきていることは、銀行の巨額な普通株による増資です。純粋に市場の論理からいえば、つまり銀行の資本規制という社会的条件を捨象していえば、あまり投資家にはありがたくないことですよね。もっとも、既発の劣後債(ローン)の保有者にとっては、いいかもしれませんね。権利上、自分の下に厚みができて、より償還が確実になるのですから。
 それにしても、オポチュニティーは、銀行の劣後債(ローン)に象徴されるように、多くの場合、金融システムの歪み、歪みというと何か否定的な感じなので少しいいかえると、金融システムの硬直性(規制と弾力性が完全に両立しないことは、止むを得ない)に起因する資金の流れの停滞や遮断、が生み出すものです。
 
また別な例として、資本市場に目を向けましょう。

 やはり、金融危機のようなことがあると、一部の企業は、事実上、資本市場から締めだされてしまいます。一般に、市場調達が困難な会社は、同時に銀行借入も簡単でないのが普通でしょう。そうなると、経営に差し支える。そこに、金融の道をつけてあげるのが、本来の金融の社会的機能ということであり、そこに、オポチュニティーがあるのです。
 実は、いわゆる「ファンド」というのは、そのようなオポチュニティーを捉えるものなのです。なぜなら、ファンドは規制されない。規制(同時に既成)の仕組みから排除された金融サービスを提供できるのは、ファンドだからです。いま、伝統資本市場や伝統銀行を経由しない、ファンドによるオルタナティブ・ファイナンス(alternative finance代替的資金調達の方法)が伸びています。まさに、オポチュニティーに向かって、お金が流れているのです。投資の一つの本質ですね。

最後に、次につなげる大きなテーマをあげておきましょう。

 それは、金融システムの設計においては、規制だけでは道具として不十分なのだ、ということです。必ずしも米国流を支持するものではありませんが、米国では、相対的に銀行機能が小さく、資本市場機能が強力です。加えて、この伝統規制分野の外に、巨大なファンドが存在しています。その伝統分野の外に、多くの場合オポチュニティーがあるのです。
 日本では、銀行機能が強力で、資本市場は規模が小さくて機能も弱い。しかも、ファンドはほとんどない。オポチュニティーが外部化しないからファンドが育たないのか、ファンドがないからオポチュニティーが外部化しないのかは、よく分かりませんが、現実は、オポチュニティーに上手に参画する方法がない。その日本で、いかに、オポチュニティーを見つけ投資していくか、ここに、これからの投資が挑戦していかなければならない課題があるのです。

2010.1.28掲載:バリューとカタリスト
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。