「ベンチャー企業の生成と発展」
第2回『会社設立-ソニー創業と井深大の精神に学ぶ-』(前編)

山本亮二郎
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<a href="http://www.fromhc.com/column/2009/09/2-1.html">※後編の内容はこちら</a>

第1回では起業前夜の緊張と興奮をテーマとしたが、今回は会社の設立について記したい。

 前田多門(元文部大臣)、井深大(1908年-1997年)、盛田昭夫、太刀川正三郎、樋口晃、田島道治(元宮内庁長官)、万代順四郎(元帝国銀行会長)、石橋湛山(元首相)、石坂泰三(元経団連会長)。ここに挙げる氏名に共通する事柄をすぐにわかる方はいるだろうか。これは、ソニー株式会社の前身である「東京通信工業株式会社」の草創期の取締役、株主、相談役の顔ぶれである。「町工場から世界へ」と言われるソニーの創業が、当時の政官財界を代表する方々に支えられていたことを知った時、大きな驚きを禁じ得なかった。まさに「世界のソニー」になることが、初めから予定されていたとでも言うかのような、磐石の、錚々たる布陣である。
 会社を設立した1946年5月当時、井深さんは38歳。創業の地は、敗戦から2ヵ月後に設立された準備会社的存在の「東京通信研究所」から変わらず、日本橋の白木屋デパート(現在のコレド日本橋)の3階である。
 私たちが日頃お世話になっている、井深さんと近しかったソニーの元取締役によれば、この時点で井深さんは、経営者としては勿論のこと、技術者としても一般には殆ど無名の存在だったという。その意味では、「町工場から世界へ」というソニーに抱くイメージは、必ずしも間違いではないかも知れない。今もどこにでもある、情熱はあるが、お金も名もない若者の起業と大きな違いはない。それなのに何故、井深さんは上記のような方々と事業を開始できたのだろうか。そして、実際に「世界のソニー」へと発展できたのであろうか。
 その秘密を知る上でまず初めに、歴史の教科書にも載るような各界の名士たちと、若い井深さんがどのようにして知り合うようになったのかを調べてみた。

 いくつかの文献によると、きっかけは『銭形平次捕物控』で有名な作家の野村胡堂だった。井深さんの母さわが野村の奥さんと大学時代の同窓生で、井深さんが日本女子大付属豊明幼稚園に通った頃は、家も近所でよく遊びに行ったらしい。その頃はまだ野村家の暮らし向きは決して豊かではなかったようである。3歳で父親を亡くした井深さんはこの野村を特に慕い、「幼稚園時代から早大時代、その後の東通研と、いっときも切れることなく公私にわたってお世話いただき恩義と親しみを感じていた」という(井深大著 井深亮序『「ソニー」創造への旅』より)。
 その後、1931年から1957年までの26年間に、実に383編が書かれた『銭形平次捕物控』によって一躍流行作家になった野村は、軽井沢に別荘を持つ。その隣に住んでいたのが、当時は朝日新聞社の論説委員をしていた前田多門であり、野村の勧めで井深さんが前田の二女・勢喜子と見合いをしたことが前田との出会いである。その後二人は結婚し(1936年)、前田は井深さんの岳父となる。

 『「ソニー」創造への旅』には、新渡戸稲造に師事し「犠牲的精神」と「世界的視野に立った広大な考え方」を有する前田に、井深さんが大きな影響を受け、心からの敬愛の情を抱いていたことが何度か記されている。そして、東京通信工業の設立時の社長には前田が就任する。内務官僚出身のエリートで、文部大臣まで務めた前田に企業経営の経験はなく、親友の田島道治(元宮内庁長官)に相談し紹介してもらったのが元帝国銀行会長の万代順四郎である。万代は株主として、相談役として、また1953年には会長にも就任し草創期のソニーを支えた。おそらくはこの万代を通じても、多数の財界人との知己を、井深さんは得たのであろう。

 こうして記録を辿ってみることで「ソニー創業の秘密」が紐解かれると、再び驚かされることになる。つまり、焼け野原からたった8人でスタートしたベンチャー企業の創業に、なぜかくも錚々たる人々が名を連ね参加したのか、という驚きへの答えは、母親の学生時代の交友がきっかけだったというのである。それを縁と言えばその通りだが、その程度の「縁」であれば、おそらくは誰の人生にも、どの日常にもありふれた出来事である。しかし、井深さんにとって、ソニーの創業にとって、それがありふれた縁どころでなかったことは、後にソニーが世界企業へと発展していくことで証明される。

 井深さんの本を読んでいると、同じようなエピソードがいくつもある。例えば、1948年、NHKから軍の通信機の大半を放送用の調整装置器に作り変える仕事を受注する。その時の担当課長は、井深さんが神戸第一中学校時代に東京にいた無線友達の島茂雄だった。島とは、早稲田の高校、大学でも共に学ぶことになるのだが、大きな商談のきっかけが少年時代の趣味の交友にあるという事実に驚かされ、更に、その時間軸の長さに驚かされるのだ。島は、後にソニー常務に就任している。
 最大の出会いは、やはり盛田昭夫さんとのものだったのではないかと思うが(盛田良子夫人による晩年の二人の交流や、井深さんの死を知らされた際の長期リハビリ中の盛田さんの反応は涙なくして読むことができない。小林峻一著『ソニーを創った男 井深大』参照)、本田宗一郎との交友も有名である(井深大著『わが友 本田宗一郎』などを参照)。他にも、生涯続いた多くの出会いと友情に、ソニーの創業と発展が支えられていたこと、そしてその出会いのきっかけの多くは功利的なものとはむしろ対照的なものであったことがうかがえる。
ここに、多くの起業家とこれから起業を志す人たちが学ぶべき、一流の「会社設立の方法」があるように思う。

後編へ続く
※本稿は、『京都経済新聞』2003年11月10日掲載のコラム「井深大とソニー」をもとに、改めて文献等調査を行い、大幅に加筆、変更した。


次回の更新は9/7(月)となります。
山本亮二郎

山本亮二郎(やまもとりょうじろう)

PE&HR株式会社代表取締役

1968年生まれ。早稲田大学第二文学部社会専修卒業。株式会社インテリジェンスなどを経て、フューチャーベンチャーキャピタル株式会社(FVC)入社。アーリーステージ中心に投資を行う。創業期に投資し、その後取締役を務めた21LADYと夢の街創造委員会が株式公開(IPO)を果たす。また、インテリジェンスとFVCには社員株主として出資し、両社とも在職中にIPOを果たす。2003年5月、「資本」と「人材」の両面から企業の成長発展に貢献するという理念を掲げ、PE&HR株式会社を設立、代表取締役に就任。「若手起業家のための投資事業有限責任組合」、「Social Entrepreneur投資事業有限責任組合」、「関西インキュベーション投資事業有限責任組合」を設立。現在、投資先企業4社の社外取締役を務める。
明治大学、大阪市立大学大学院、東京経済大学、厚生労働省大学等委託訓練講座等で講師を務める。