「ベンチャー企業の生成と発展」
第2回『会社設立-ソニー創業と井深大の精神に学ぶ-』(後編)

山本亮二郎
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<a href="http://www.fromhc.com/column/2009/08/2.html">※前編の内容はこちら</a>

 ソニーほど大規模な、ある意味で国家的とも言えるほどのベンチャーの創業に、私たちはこれまで出会ったことはない。しかし、全てのベンチャー企業は、何よりも生き残るために、一刻も早く創業の苦難を脱するために、商品を売るために、資金を調達せんがために、つまりはその事業を何としても成功させるために、スケールに違いはあるにしても、必ず誰かの力を借りなければならない。それが出来なければ、誰一人力を貸してくれる人がなければ、起業の成功はおろか、本来の意味での「会社設立」すら不可能であろう。
 だからこそ繰り返し問いたいのは、なぜソニーの創業には、他に類例を見ないほど、かくも錚々たる人々が集うたのかということである。そして、どこにでもある普通の出会いが、なぜ井深さんにとっては特別な意味をもち、世界のソニーへと連なっていったのか、その理由を知りたいと思う。

 それはおそらく、井深さんが心の底から世の中の役に立ちたい、人びとのためになる仕事をしたい、と思い続けていたからであろう。私が聞きそして多くの書物から学んだ「井深大」という人物は、私心のない、創造を愛し真理を探究する、商人としての算盤勘定は必ずしも得意ではない、そして陽気な人だった。そのような井深さんにとって仕事とは、必ずしも企業経営である必要はなかったのかもしれない。世の中の役に立つための、一人でも多くの方々の生活にお役に立つための最善かつ身近な方法が、会社を設立し、自らの技術をもとに仲間と事業を起こすということであっただけで、「世界企業」が目的なのではなかった。
 最も大切なことは、その根底に流れる精神が何かということであり、間違っても偉い人と出会うことにあるのでもなければ、そのような「人脈」を形成しようとする行為にあるのでもない。資料から読み取れるソニーの創業、つまり井深さんの会社設立のあり方には、凡百の経営指南書や起業本とは比較にならない、重要な事実が語られているのである。

 最後に、直接お聞きした井深さんの逸話の中で、印象深かったものをご紹介して本稿を終えたい。
 「今までにない会社をつくる、それによって今までにない日本をつくる、それは極めて攻撃的な企業家像です。これらの長老たちが井深を応援した理由は、やはり、若いなりに新しい日本をつくろうとしていた、井深の人物と思想に惚れ込んだのでしょう。その後のソニーをしょって立つ人たちが感動したのと同じ理由だと思います」。
 「井深さんは、誰に会う時も、どのような偉い人に会う時にも、どのような若者に会う時にも、立ち姿、接し方、表情、話し方が全く変わらなかった」。
 「井深さんは人の悪口を言うことが全くなかった」。
 「会社のために一生懸命働きます、と言った若い社員に、あまり感心しません、と井深さんが言うので、それならば自分自身のためにがんばります、と社員が言い改めると、それではなおよろしくないと指摘し、仕事をするということは世の中のため、人のためにするものであって、会社のためにするものではないし、ましてや自分のためにするものではありません、と語った」。

次回は、創業期の資金調達について取り上げたい。

※本稿は、『京都経済新聞』2003年11月10日掲載のコラム「井深大とソニー」をもとに、改めて文献等調査を行い、大幅に加筆、変更した。
山本亮二郎

山本亮二郎(やまもとりょうじろう)

PE&HR株式会社代表取締役

1968年生まれ。早稲田大学第二文学部社会専修卒業。株式会社インテリジェンスなどを経て、フューチャーベンチャーキャピタル株式会社(FVC)入社。アーリーステージ中心に投資を行う。創業期に投資し、その後取締役を務めた21LADYと夢の街創造委員会が株式公開(IPO)を果たす。また、インテリジェンスとFVCには社員株主として出資し、両社とも在職中にIPOを果たす。2003年5月、「資本」と「人材」の両面から企業の成長発展に貢献するという理念を掲げ、PE&HR株式会社を設立、代表取締役に就任。「若手起業家のための投資事業有限責任組合」、「Social Entrepreneur投資事業有限責任組合」、「関西インキュベーション投資事業有限責任組合」を設立。現在、投資先企業4社の社外取締役を務める。
明治大学、大阪市立大学大学院、東京経済大学、厚生労働省大学等委託訓練講座等で講師を務める。