2012/5/9開催 HC資産運用セミナーvol.053セミナーレポート

HCセミナー
当日配布資料をPDFでダウンロードすることが可能です。

今回のセミナーには、総勢37名の方々にご参加頂き、誠にありがとうございました。

《 セミナーのまとめ 》

投資収益は目的ではなく結果である
金融の社会的機能は、単なる利殖や富の増殖を目的とするものではありません。投資は、少なくとも機関投資家の投資は、金融の社会的機能のひとつの形態である以上、投資収益は結果であって目的ではないのです。

金融の社会的機能と産業が創出する付加価値の内数としての収益
社会から需要される資金を供給することが、金融の社会的機能です。金融は産業の資金需要を支える裏方にすぎません。結果としての金融収益は、産業全体の利益の内数でしかあり得ない一方で、産業全体が付加価値を創出し続ける限り、常に生まれ続けるものです。

金融の社会的機能としての投資と融資
投資と融資が一緒になって、産業金融の社会的機能を果たしています(日本語には投融資という言葉があります)。伝統的な融資は銀行等の機能ですが、投資は資産運用の業界の機能です。

投資の機能と不確実性
銀行等の機能は、資金決済や運転資金のような短期的資金の供給を中心とし、投資は、設備投資などの長期的資金需要を対象としています。ですから、投資には、融資に比べて、より多くの将来にかかわる不確実性が伴うのです。逆にいえば、銀行機能を純化させる中で、銀行等が負い得ない不確実性が、投資の世界に移転してきているのです。その不確実性を引き受けることが、投資の機能です。

日本の特色
日本では、英米に比較して、銀行の機能が著しく大きく、長期資金需要も広く取り込んでいます。逆にいえば、投資の機能が小さくなっています。具体的には、社債や非公開株の市場が、英米に比較して、極端に小さくなっています。このことは、必ずしも「日本の金融の後進性」ではありません。世界的に統一された銀行資本規制の枠の中でも、各国固有の歴史と事情に応じた金融制度を設計する自由度は、きちんと確保できるはずなのですから。

投資の収益率
金融全体の収益率に融資を含むことを考慮すれば、投資を狭く考えた場合においては、その収益率は、ある程度は高くなり得ると考えられます。資本市場全体に、構造的な「レバレッジ」がかかっているようなものです。

バブルの問題
バブルとは、産業の実需要を超えた、もしくは存在し得ない需要に基づいた、資金需要のことだと思われます。要は、社会的な基盤がない資金需要です。このようなところからは、損失はあり得ても、投資収益はあり得ないようです。

バブルの問題
バブルとは、産業の実需要を超えた、もしくは存在し得ない需要に基づいた、資金需要のことだと思われます。要は、社会的な基盤がない資金需要です。このようなところからは、損失はあり得ても、投資収益はあり得ないようです。

投資と投機
社会的機能に裏打ちされている限り、投資の利益は、他人の損失の上に形成される利益ではあり得ません。投資収益は、社会全体の付加価値の創出の一部であるはずです。また、投資に伴う不確実性については、合理的な管理可能性がなくてはなりません。この二つの条件が、投資を、投機から一線を画するものにするのです。

資金使途の正当性と投資の安全性
一見、融資先にはなりえないような貧困層でも、社会的に必要な資金使途であり、かつ日常的債務者管理ができれば、充分に商業的な融資対象になり得ることを、マイクロファイナンスの事例は証明しています。リスクは、社会的必要度が高ければ高いほど、小さくなり得るのかもしれません。インフラストラクチャ投資も、同様の考えに立脚しているようにみえます。

投資の「適格性」
投資が、適格な投資であるためには、投機ではない、というだけでは、十分でありません。「適格性」は、もう少し狭く具体的に考えられるべきでしょう。それは、合理的な投資判断が可能である領域にとどまるべきだという保守主義の原則であり、理性の限界をわきまえた投資、ということだと思われます。

判断の合理性
価値判断に基づく投資は認められても、単なる価格予想に基づく投資は認めがたい。また、合理的に長期は展望できても、短期的な事象の予測できない、などです。

保守主義の原則
判断を合理性の枠にとどめようとするのが、保守主義の原則であり、より確からしいものに基づく判断を志向するものです。資産の価格変動ではなく、資産が創出するキャッシュフローに着目するのは、保守主義の代表例です。

金融の社会的機能という側面からの「オルタナティブ」の再構成
いわゆるヘッジファンドといわれるものの全てが、適格な投資対象とは限らないでしょう。同様に、プライベートエクイティや、アセットファイナンスから生まれる実物資産(リアルアセット)についても、金融の社会的機能という側面からの選別は必要なのでしょう。

投資対象にし得ない「オルタナティブ」
一般に、プライベートエクイティやアセットファイナンスなどは、企業金融の自然な形態から創出される投資対象です。また、ヘッジファンドの一部の戦略は、市場に流動性を供給するという意味で、間接的に企業金融に関連つけられるものです。しかし、いわゆる「オルタナティブ」には、企業金融とはかかわりのないものも含まれることに留意がいります。

投資哲学
全ての社会的資金需要が投資対象になるわけではありません。だからこそ、投資対象を選択する基準が必要なのです。その基準を表現するものが、本当の「投資哲学」なのだと思います。このことは、株式や債券のようなものから、「オルタナティブ」に至るまで、同じことです。

資産配分との関連
資産とは誰かの負債・資本ですから、マクロの総計として両者が均衡するならば、資産配分は同時に負債・資本の配分でもあるはずです。ということは、合理的な資産配分は、マクロ総計としての資本構成(キャピタルストラクチャ)をある程度は反映したものになるはずです。

投資の「適格性」
投資が、適格な投資であるためには、投機ではない、というだけでは、十分でありません。「適格性」は、もう少し狭く具体的に考えられるべきでしょう。それは、合理的な投資判断が可能である領域にとどまるべきだという保守主義の原則であり、理性の限界をわきまえた投資、ということだと思われます。

判断の合理性
価値判断に基づく投資は認められても、単なる価格予想に基づく投資は認めがたい。また、合理的に長期は展望できても、短期的な事象の予測できない、などです。

保守主義の原則
判断を合理性の枠にとどめようとするのが、保守主義の原則であり、より確からしいものに基づく判断を志向するものです。資産の価格変動ではなく、資産が創出するキャッシュフローに着目するのは、保守主義の代表例です。

金融の社会的機能という側面からの「オルタナティブ」の選別
いわゆるヘッジファンドといわれるものの全てが、適格な投資対象とは限らないでしょう。同様に、プライベートエクイティや、アセットファイナンスから生まれる実物資産(リアルアセット)についても、金融の社会的機能という側面からの選別は必要なのでしょう。

投資哲学
全ての社会的資金需要が投資対象になるわけではありません。だからこそ、投資対象を選択する基準が必要なのです。その基準を表現するものが、本当の「投資哲学」なのだと思います。