9/17開催 HC資産運用セミナーvol.021 セミナーレポート

HCセミナー
※当日配布資料をPDFでダウンロードすることが可能です。

今回のセミナーには、総勢109名の方々にご参加頂き、誠にありがとうございました。

◆セミナーのまとめ◆

今回は7つのキーワードで、セミナーの内容をまとめてみました。

◆前提の崩壊
長期国債利回りの歴史的平均が6%を超えている時代環境を前提にしてこそ、5.5%の投資収益の「予定」は正当化されていました。しかし、事実としての最近20年間の平均は、5.5%をはるかに下回る水準にとどまっています。一方、その収益の不足を株式等のキャピタルゲインでまかなえたかというと、今の株価は、20年前の株価により低い、というのが実態です。

◆信託銀行と生命保険会社の独占
企業年金の資産運用は、1990年3月31日まで信託銀行と生命保険会社によって独占されてきました。歴史的に、長期産業資金の確保や、企業年金制度の普及という政策課題が優先されたためだと考えられます。一方、変化の兆しは、1985年の外銀信託の認可、1986年投資顧問業法(金融商品取引法に統合)の施行に表れはじめていました。

◆1990年4月1日法律改正の意義
1990年4月1日に、厚生年金保険法の改正がなされ、厚生年金基金の資産運用について、初めて規制の緩和が行われました。具体的には、極めて限定的ながら、投資顧問会社との投資一任契約が認められました。以後、漸次、規制が緩和されるにつれて、投資顧問会社への委託額も増えていきますが、信託銀行と生命保険会社の優位は、大きくは変わりませんでした。

◆1997-1998年の金融危機
1997年11月、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と、大型の破綻が続きました。以後、1998年10月には日本長期信用銀行、同年11月には日本債券信用銀行が、特別公的管理に移行するまで、深刻な金融危機に見舞われました。金融システムの根本的変動は、企業年金の運用にも大きな影響を与えました。自己責任原則ということがいわれ、運用規制の完全撤廃が行われました。以後、この危機の中、投資顧問会社の利用が一般的となり、現在の年金運用の基本となる形が一気に普及していきます。

◆2000年に始まる平成の大不況の破壊的影響
1997年以降の大きな変化の中で、企業年金の内外株式への資産配分は、大きく引き上げられます。当時の米国に企業年金のモデルとされた、60-70%株式/30-40%債券に、近い形が一般化していきます。株式のうち、少なくとも半分は国内株式だったと思われ、2000年から2003年初めにかけての国内株式の大幅な下落が、年金財政に深刻な影響を与えることになります。この時期に退職給付会計、時価評価など重要な改革が行われたこともあり、企業年金という制度そのものの持続可能性にすら疑問が呈せられる状況が生まれます。その中、確定拠出企業年金法、確定給付企業年金法が、相次いで制定され、資産運用の改革よりも、代行返上、給付減額、確定拠出への移行、キャッシュ・バランス・プランへの移行、解散など、制度自体の見直しが進行します。

◆2003年以降の危機からの回復と、運用の保守化、オルタナティブの普及
2003年以降、急速に投資環境は好転し、制度変更も一段落してきます。しかし、退職給付会計の下でのリスク管理が一般化するにつれて、資産運用の期待収益率は、低下していきます。結果として、資産配分の基本形も、概ね30%株式/70%債券を中心にしたゾーンに移行していきます。低金利状況が変わらない中、債券部分が拡大する過程で、いわゆる「債券代替」としてのオルタナティブ投資が急速に普及していきます。

◆リーマン・ブラザーズの衝撃と金融危機
2007年初より、サブプライムの危機が始まります。2008年9月には、リーマン・ブラザーズが破綻しました。いま、底知れぬ危機の始まりが予感される状況にあります。2007年度の運用収益は、相当程度、保守化が進んできた割には、予想外に大きなマイナスとなりました。「予想外」ということが問題です。従来のリスク管理では、測定され得ないリスクの顕在化です。20年の日本の企業年金の資産運用の歴史の間に、世界の資本市場の構造は劇的に変貌を遂げてきていたのです。20年で確立した日本の企業年金の運用のモデルが、実は、環境変化に対応できていない可能性があります。今こそ、新たなる変革が求められるのです。


次回、2009年 第10回HC資産運用セミナーは
『資産配分から資産選択へ?改めて問う「タイミング」の意味?』です。
皆様のご参加をお待ちしております!


なお、本セミナーで実施致しました「セミナーテーマに関するアンケート」の結果に関しましては、
「HCセミナー・アンケートレポート」にて公表予定です。