徹底的に投資を科学する

資産運用、あるいは投資ということ、をめぐっては、極めて重大な問題が顕在化しています。問題は、現下の深刻な金融・経済危機によって新たに生じたのではないと思います。もともとあったものが顕在化したのです。今こそ、これらの問題を真剣に再検討しなくてはなりません。改めて投資を徹底的に科学し直さなければなりません。

単に資産運用あるいは投資というと、あまりにも幅広い領域を含んでしまいます。ここでは、その幅広い領域の中から、企業年金基金、財団、金融機関などの機関投資家の資産運用の課題について絞り込んで検討しましょう。実は、機関投資家の資産運用が一番大きな問題をはらんでいるからです。中でも、具体的な例として、企業年金基金をめぐる問題を取り上げようと思います。基本的論点は、財団や金融機関の資産運用についても変わりません。

機関投資家には二つの意味があります。一つは、「機関」を持つ投資家であること。即ち、組織として複雑な投資の意思決定を行うということ。もう一つは、資産の裏には、何らかの社会的な債務の裏付けがあるということ。この二つです。最初の基本問題は、まさに、ここにあるのです。社会的責任があるからこそ、機関決定という手続きを経て資産運用するのです。では、意思決定機関の構造は、社会的責任を果たすにふさわしい仕組みになっているのかどうか、という基本的なことが改めて問題になるのです。

次いで問題になるのは、意思決定の中身です。資産運用の意思決定は、単純ではありません。伝統的に確立した考え方に従えば、資産配分の決定から始まって、各資産種類内部での個別投資対象の選択まで、階層的に行われます。ここでの課題は、各階層に意思決定権限が適切に配賦されているか、即ち、適切に上部から下部へと適切に授権がなされているか、という点です。企業年金基金では、具体的な資産運用を外部の運用会社へ委託するのが普通ですので、どこまでが基金内部の意思決定で、どこから先が運用会社の意思決定かが、明確に区分されていることが重要です。

更に、問題は二つの技術的な点に具体化されます。資産配分を決める技術的方法と、委託先の運用会社を選定する技術的方法です。この技術的な問題について、実は、深刻な問題が起きています。資産種類が、株式と債券を中核にして、国内と外国という区分を設ける程度の単純な分類であれば、大きな問題は生じないのです。しかし、現在の複雑な資産運用では、資産の分類はいかようにもなります。実際、当社では、約50にも細分した管理を行っています。従来の考え方では、資産配分は運用の基本なので、企業年金基金の意思決定です。しかし、資産の定義そのものが流動化してしまった現在、資産配分の決定は、それ自体が、高度の専門的・技術的領域となっています。

また、運用会社の選択にも、同様の問題が起きています。20年前には、主要な運用会社の数は、全世界でも数百という桁で収まっていましたし、米国の企業年金基金といえども、主要な運用会社に委託先は限られていました。ところが、現在では、世界に運用会社がいくつあるのか、見当がつかないことになっています。おそらくは、1万社を超えるのではないかと思われます。もっとも、今回の金融危機の中で、相当数の会社が廃業したと考えられているのですが、それでも、1万社近くは、依然としてあるのだろうと思います。日本の企業年金基金にとっても、工夫を凝らせば、これらの全世界の運用会社が利用可能なわけです。ここまで、数が大きくなると、運用会社の選択と有価証券の銘柄選択とは大きな差がなくなります。運用会社の選択ということ自体が、プロのビジネスとしての資産運用になります。実際、当HCアセットマネジメントは、この運用会社に運用するという新しい領域に特化した資産運用会社なのです。

資産種類の多様化と運用会社の数の激増とは、密接にリンクしたことです。例えば、ヘッジファンドというものは、どこのレベルで捉えたらいいのでしょうか。ヘッジファンドという資産種類なのでしょうか。それとも、ヘッジファンドというのは運用の手法の問題なのであって運用会社の選択の問題なのでしょうか。実のところ、ヘッジファンドに代表されるような、全く自由自在な運用手法の拡大が、運用会社の数を急激に増やし、同時に、資産区分を曖昧にしてきたのです。この錯雑とした状態に何らかの整理をつけない限り、効率的な資産管理は難しくなってきているのです。

いずれにしましても、根本的な問題は、意思決定全体の構造にあります。そこが解けなければ、技術的な問題は、解けないのだと思います。ここで参考になるのは、米国の財団モデル(Endowment Model)です。代表的なものは、大学財団の資産運用のあり方です。米国にたくさんある財団の中でも、規模が大きく、斬新な資産運用のあり方で知られているのは、イェール、ハーバード、スタンフォードに代表される著名大学の財団なのです。

財団モデルが注目されるようになったのには、いくつかの背景があります。一つには、規模が急激に大きくなってきて、資産運用業界における存在感が増したことがあるのでしょうが、それよりも、資産配分の考え方が伝統的な企業年金と大きく異なること、その資産配分を可能にする独自の意思決定構造をもつこと、そして何よりも収益率が高いことが要因だと思われます。高い収益率は、資産配分の結果であり、資産配分は意思決定構造の結果である、逆にいえば、高い収益率を実現するためには、意思決定構造に独自の工夫がなければならない、と考えさせられる点に、注目が集まっているのだと思います。

米国大学財団モデルは、もちろん、各大学により違うのでしょうが、規模の大きな財団の例を一般化していうならば、専門の投資オフィスを持っていることに特色があります。これは資産運用のプロの集団です。しかも、大きな財団では、中堅の投資顧問会社と変わらない規模になっています。イェール大学の財団は米国最大規模(昨年6月で2兆円を超えています)ですが、ここの投資オフィスは22名(昨年6月時点)の投資のプロで構成されています。トップのCIO(Chief Investment Officer)は、かの有名なデイビッド・スウェンセン(David F. Swensen)です。スウェンセンの著書Pioneering Portfolio Management(初版が2000年、今年の1月に改訂版が出ました)は、大学財団に限らず、広く、資産運用業界でバイブルのように読まれています。

投資オフィスの上には、最高意思決定機関としての投資コミッティーがおかれます。このコミッティーは、幅広く大学の外から専門家を入れています。イェール大学では、少なくとも3名を大学内部から出すとされていますが、現状14名のメンバーは、主として資産運用業界のトップクラスの人で構成されています。コミッティーは、最上位にあるとはいえ、意思決定機関というよりも、監視監督機関に近いものです。ここで決められることは、投資目的、投資ガイドライン、投資基準のような抽象的なことです。具体的な資産配分の上下限や各資産内部での投資方針などについては、チェック・確認するという監視監督的機能にとどまります。つまり、専門家による外部監視を前提にして、執行機関としての投資オフィスへの広範な権限委譲が行われているのです。この明確な責任の区分、大胆な権限委譲が、財団モデルの特色です。

一方、投資オフィスの中でも、明確な責任の区分と大胆な権限委譲が行われています。投資オフィスは、意思決定機関として、それ自身の投資政策コミッティーをもちます。これは、CIOと各資産種類の責任者で構成されます。ここで具体的な資産配分や各資産内部での投資方針が決められます。そして、各資産内部での実際の運用の意思決定は、それぞれの担当チームの中で決められるのです。各チームの意思決定は、実際には、外部の運用会社の選択ということになります。

例えば、プライベートエクイティに総資産の何パーセントを割り当てるかという資産配分の決定、またバイアウトの比率だとか、国別分散だとかいう基本投資戦略の決定は、投資オフィスの投資政策コミッティーで決められて、財団の投資コミッティーで承認されます。具体的な運用会社の選定は、プライベートエクイティの担当チームで協議されて、チームのリーダーが決めていくのです。

このように、権限委譲が明確に行われているので、資産運用の現場に近いところで、機動的な意思決定ができることになります。例えば、資産配分についても、最上部の投資コミッティーで承認された上下限の中であれば、投資オフィスの中で自由に決められます。運用会社選択も、現場の専門家に委譲されているので、無名でも高度な専門性を持つ優秀な会社を採用できるようになります。

このような米国大学財団の仕組みは、米国の企業年金基金と比較しても、全く異なるものです。いうまでもなく、大学財団と企業年金基金との差は、単に意思決定組織の違いだけではありません。大学財団の資産は、企業年金基金ほどには明確な債務性を帯びるものではなく、積立水準規制や退職給付会計のような制約もありません。この点が、大学財団では、大胆な非流動資産への配分など、自由な運用戦略を採用できる背景だとされます。しかし、一方で、税制上の制約と、そもそもの財団の趣旨からして、年間総資産の5%程度の事業支出を行うなど、財団ならではの制約もあります。しかし、そうした違いに基づいて、大学財団の意思決定組織の問題を、企業年金基金の世界と無関係だと考えることはできません。そこには、米国のみならず、日本の企業年金基金にとっても、今後の効率的な資産運用を考える際に、極めて重要な示唆があるのです。それは投資の専門家の使い方です。

ここで、冒頭の問題提起に戻るのですが、現在の資産運用が技術的に高度化・専門化している中で、従来のような機関投資家の意思決定のあり方で、効率的な資産ができるのか、社会的責任が果たせるのか、という点です。米国大学財団モデルは、投資コミッティーの構成員には外部の専門家を起用し、内部の投資オフィスのメンバーも専門家で固めています。一方、普通の企業年金金では、日本でも米国でも、そこまでの専門家の登用はできていません。

決定的な問題は規模の経済でしょう。1兆円を超えるような財団の投資オフィスは、事実上、投資顧問会社と同じです。業界から専門家を集めて組織を作っても、その経費に見合うだけの付加価値を期待できます。日本の企業年金基金では、1兆円を超える規模のものは、数えるほどです。数では、1000億円未満の規模のものが、大半を占めているのでしょう。内部の専門家を雇うことは、経済的に成り立ちにくい。しかし、工夫の余地は、たくさんあるのではないでしょうか。

米国大学財団モデルでは、投資コミッティー構成にみられるように、外部の専門家を巧みに使っています。投資コミッティーのあり方は、日本の企業年金基金にも、応用できるはずです。また、資産配分や、運用会社の選択についても、外部の資産運用の専門家の使い方は、いろいろとあるはずです。とにかく、工夫をすることが必要なのです。できることをするだけでは、社会的責任は果たせません。社会的責任は、やるべきことをやる、そのための課題を解決していくことです。解決への努力そのものが、投資を科学することに他なりません。

最後に、先に触れたデイビッド・スウェンセンの著書のサブタイトルを紹介しておきましょう。それは、「機関投資家の資産運用に対する非伝統的なアプローチ(An Unconventional Approach to Institutional Investment)」というのです。この非伝統的・革新的(Unconventional)ということがすべてなのです。伝統に従って損失を出しても、周りが同じように損失を出していれば、批判は受けません。一方、革新的な方法で損失を出した場合には、社会は強く批判をするかもしれません。しかし、革新なくして進歩はあるでしょうか。スウェンセンが尊敬されているのは、勇気ある革新性にあるのだと思います。投資の科学は革新性にあります。全ての科学の社会的役割は革新をもたらすことです。

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