アセット・ファイナンスの社会的意義

森本紀行
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資金調達の一つの重要な方法に、資産の売却があります。当然ですが、必要のない資産を売るだけのことならば、とりたてて、いうほどのこともないのです。必要な資産を売るから、金融の一つの方法論として、意味をもつのです。このような資金調達方法の総称が、アセット・ファイナンス(asset finance)です。

 もともと、資産を担保にした金融と、資産の売却・譲渡・移転による金融との間には、経済的・法律的な視点での実質的同等性が、認められてきました。リース契約がそうでしょうし、譲渡担保の問題は、歴史的に古い議論です。
 ですから、この古い手法に、敢えて、アセット・ファイナンスというカタカナの名称をつける必要はないのかもしれません。しかし、一方で、伝統金融手法(担保融資が代表例)の枠に収めにくい、煩瑣な手続きを省略できる、あるいは、調達コストを下げられる、というような理由から、資産の売却を使った柔軟な金融手法が発達してきた側面もあり、結果として、非定型な、様々な具体的手法が生まれてくるのですから、その総称が必要なのも事実でしょう。だから、アセット・ファイナンスです。
 ところで、3月25日のコラム「アセット・アロケーションとアセットの分類を考える軸」の中で、「アセット・ファイナンスという重要な問題を、まだ、正面からとりあげていない」と、書きました。だから、今回とりあげたのですが、この前稿では、アセット・ファイナンスを定義して、「本来的に企業経営に必要な資産を売却することで、資金調達する方法です。必要だから、売却しても、賃料・使用料を支払って、使い続ける。そのような特殊な売却だから、よく「流動化」という専門用語が使われます」と、書きました。要は、そういうことです。

私は、アセット・ファイナンスは極めて重要な意義をもつ、と考えています。

 一つには、当然ですが、リアル・アセット(real asset 実物資産)の創出です。
 前掲のコラムでも、「流動化できるのは、産業全体に共通する要素をもった一般的な資産です。流動化できるものの代表例がオフィスビル」と書いて、「オフィスビルの他、流動化の対象になるものの例としては、物流施設、運輸施設、エネルギー関連施設(エネルギーそのものに、一般性があるからです)などがあります。これらの流動化された資産は、当然に、賃料・使用料収入がありますから、投資対象になります」としています。つまり、アセット・ファイナンス(流動化)の結果として生まれてくる独立の投資対象が、リアル・アセットであるわけです。


しかし、リアル・アセットの問題は、別の機会に譲るとして、ここで論じたいのは、コーポレート・ガバナンスとの関連における、アセット・ファイナンスの社会的意義です。

 まず第一点は、不必要な資産の売却です。アセット・ファイナンス以前の問題として、企業経営にとって必要のない資産は、真っ先に売却されるだろうということです。アセット・ファイナンスの対象になるのは、企業経営にとって必要な資産です。必要だから、売却後も利用する。利用するから賃料・使用料が発生する。だからこそ、リアル・アセットは、資産としての投資価値をもつのです。
 必要な資産を使って資金調達をしようと計画する企業が、そもそも必要もない資産を保有し続けることは、あり得ないでしょう。ですから、アセット・ファイナンスの利用の前提条件として、経営に必要のない資産は、売却されるはずです。その結果、企業の資産の利用効率は、上昇するはずなのです。ここに、大きな社会的意義があります。
 第二の意義は、企業価値の確認です。これも前掲コラムからの引用ですが、「流動化できる資産は限られます。少なくとも、特定企業にユニークな資産、その企業固有のビジネスの中核を形成するような資産は、当然ですが、流動化の対象にすべきでもないし、するはずもないし、また、できもしない」、ということです。
 つまり、流動化できる資産というのは、一般的な利用に供せられる資産に限られます。オフィスビルが代表例です。逆にいえば、そのような資産に、企業の本質的な競争力や固有の事業価値は、内包されていないのです。まさか、本社ビルに企業価値は認めがたいでしょう。だから流動化できるのだし、すべきでもあるのです。
 もしも、徹底的にアセット・ファイナンスを推進すれば、残された資産は、企業価値そのものを純粋に表現することになるのだろう、と考えられます。そうなれば、企業の資産の利用効率は、最もよくなるはずです。そして、こうした完全な資産の効率的利用は、企業の本源的な価値の純化のもとでなければ、実現しません。そこまで徹底的に、経営者が企業価値を考え抜かなくては、実現し得ない世界なのです。
 ちょっと余談ですが、私は、もしも、企業の純化が、ここまで徹底化した場合においては、株式投資の意味も大きく変わるのではあるまいか、という予想をもっています。資産的裏づけを極限まで切り詰めるような抽象化のもとで、株式価値は、経営スキルの直接的表現になるのではなかろうか、と思うのですが。しかし、こういう難解な哲学論は、別の機会に譲りましょう。
 第三は、資本市場への敬意といいますか、資金調達の社会的責任の確認です。倫理的な要請として、アセット・ファイナンスによる資金調達を行おうとする企業は、投資価値のある資産を売却しなければならない、ということです。

この問題については、二つの問題事例を挙げることができます。

 一つは、あのサブプライム問題です。いうまでもありませんが、サブプライム問題は、住宅ローン会社の住宅ローンを使ったアセット・ファイナンスの濫用です。
 資産を売る側は、その資産の価値分析に関しては、買う側に対して圧倒的な情報の優位に立ちます。この有利な地位を濫用してはならないというのが、アセット・ファイナンスにおける、厳格な倫理的規範です。サブプライム問題は、価値のない住宅ローンを作り、それを売却することで資金を調達し、さらに価値のない住宅ローンを作るという仕組みの反社会性です。
 住宅ローン会社は、住宅ローンを作るところで利益を確定します。サブプライム証券を作って資金調達を支援する投資銀行は、その証券を作って売り捌いたところで利益を確定します。価値のないものから利益がでるわけはないのですから、理論的に、それらの見かけの利益は、他人の損失になる、即ち投資家の損失になる、と、そういう仕組みです。まさに犯罪的ですね。サブプライム問題が歴史に残した汚点は、倫理的掟が破られたところにあるのです。
 もう一つの例は、日本のJ-REITなどの不動産投資ファンドについて、指摘されていることです。投資対象としての不動産は、不動産開発業者のアセット・ファイナンスの結果として生まれるリアル・アセットです。ですから、極端な話、サブプライム問題と同様に、価値のない不動産を売ることによっても、資金調達できる。少なくとも、優良物件は手元に残して、二番手の物件を流動化することは可能です。情報の優位に基づく、「いいとこどり」ですね。これでは、投資家はかなわない。

サブプライム問題にしても、不動産にしても、何が問題かというと、お気づきのように、このアセット・ファイナンス、本業に関連した資産を使っていることなのです。

 本業そのものを売ることはできない。できたとしても、その条件は極めて厳しいものにならざるを得ない。
 不動産開発を本業とすれば、不動産保有は本業ではなくなる。だから収益不動産を使った資金調達が許されるのです。不動産保有を本業とするものには、本来は、不動産を使った資金調達は認め難い。つまり、自己勘定における不動産保有と、他人勘定(投資家の勘定)による不動産保有を、同時に行うならば、その利益の公平性を担保する仕組みは、よほど厳格でなければならない。仕組みの問題というよりも、そのような資金調達を行う企業の倫理、コーポレート・ガバナンスの問題が、決定的だということです。
 先ほど、「資本市場への敬意」と書きました。その心は、優良な資産を売却するからこそ、有利な調達ができる、ということなのです。このことは、不動産に限らず、全てのアセット・ファイナンスについていえることです。実は、多くの場合、アセット・ファイナンスは、本業に極めて近い資産、本業に深く関連した資産が使われるからなのです。
 企業の社会的使命は、優良な資産を作り、それをアセット・ファイナンスによって資本市場へ供給し、その調達資金で、より優良な資産を作っていくことです。そのような企業の行動が、アセット・ファイナンスの理念であると、私は信じています。この規範が貫徹する限りでのみ、リアル・アセットには、投資価値があります。

以上

次回更新は、4/15(木)になります。

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。