ワタミを退職したあとはしばらく休養しようと思っていたのですが、渡邉さんから勧められて、九州にあった養殖関係の会社グループに一時関わりました。ハマチの養殖をする会社で、品質的にはイオンのトップバリュー商品に選ばれるほど評価は高かった。しかし結局は経営がたちいかなくなったのです。
企業というのは、ちゃんとした情報もとに正しい判断を行っていれば、それなりに結果を出していけるものです。たとえ悪い情報があったとしても、やり方を変えるなどで対応していくことができるはずです。その会社の場合、決定的な失敗というのはなかったのですが、たぶん小さな事の積み重ねが、結局は事業をたちいかなくさせたのだろうと思います。
振り返って考えてみると、経営者と私との間に何らかの情報の齟齬があったのかなと思っています。小さな嘘、情報の些細なデフォルメ等が積み重なっていったのではないかなと。成功していればそうしたことはすべてかきけされることなのですが、その時には逆転ホームランが飛び出すようなことは起こりませんでした。
私が経営の側に深く踏み込んでいれば、絶対そのようにはしなかったという思いもあります。しかし当時の私の置かれていた立場には、やはり限界があった。結局その会社は、大手の水産会社に引き取ってもらうことになりました。
ワタミを辞めたあと次に何をしようかと考えたとき、自分自身は一人では生きていけないという思いがありました。また社会と関わりのある仕事をしたいという思いもありました。ワタミ時代はワタナベイズムとでもいうべきものにとらわれすぎて、自分自身で首を絞めていたことも事実です。しかし、「ねばならない」と思い込むことを止めるとしても、社会に関わって生きていくことは自分の中での重要なテーマではありました。
その当時もいろいろな方々とお会いする機会に恵まれました。証券会社の方やベンチャー企業の経営者をしている仲の良い友達が来てくれました。また会社を辞めたことでそれまでとは違った情報が入ってくるようになり、様々なベンチャー起業家と会う機会も増えました。その中の一人が株式会社オプトの鉢嶺登社長でした。鉢嶺社長はネットを使ってビジネス展開を考えていました。当時はネットバブルの時代。紙一枚の企画書で本当に億単位の金を集めることができるのを、私自身目の当たりにしていました。
ワタミ時代は銀行融資が中心で、銀行関連のベンチャーキャピタルにお金を出してくださいという程度でした。しかしワタミ時代なら10年かかった資金調達を、その時はあっという間にできてしまったわけです。ワタミ時代は、上場してから初めて経営者のやりたいことができたものです。しかしネットバブル期は、赤字でも債務超過でもディスクローズさえちゃんとしていれば直接金融でお金を調達することができました。私はそのようなやり方があることを初めて知ったわけです。
実は、その当時、自分の経験と知識を活かしてコンサルタントをやろうかと考えていたのでした。実際にいくつか面倒を見てほしいという企業もありました。コンサルタントとして独立もできたでしょう。でも、どこか特定の会社に関わってしまうと、その範囲内での関わりしか持てなくなります。また、コンサルタントというのは厚い企画書を作ればそれだけでお金が取れます。でも小さな企業に本当に必要なのは紙切れ一枚のアイデアだったりするのです。しかしそれではお金は取れない。そんなコンサルタントのやり方には疑問を持たざるを得なかったのです。
ちょうどそのころ、ワタミ時代に知り合った野村證券の新堀洋二氏(現TSUNAMIネットワークパートナーズ副社長)と何度かお会いする機会がありまして、ある日新堀さんから「実は神奈川県がベンチャー支援の制度を作ろうとしているのだけれど、どう思う」と聞かれたわけです。私は「行政がベンチャーの実情なんかわかるはずないでしょ。その前に、その制度を有効に働かせる株式会社なりのサポートがないとダメですよ」と答えたわけです。すると「じゃあその会社を作ってよ」と新堀氏に言われました。正直言うとベンチャー支援というのは、それまでやったことがない知らない世界でした。そう率直に伝えると、新堀氏は「たいしたことないですよ、大丈夫、大丈夫」と言われ、そのまま引き込まれていってしまったわけです。
もちろん私自身でもベンチャーキャピタルのスキームというものを徹底的に調べていました。米国ではベンチャーキャピタルというものは、会社の中に深く入り込んで一緒になって会社を築き上げていくものだということも知りました。成功すればそれに見合った配分がありますし、成功しなければそれはそれでお終い。その潔さもいいなと思ったものです。
結局は「TSUNAMI」に関わりを持つこととなり、「TSUNAMIネットワークパートナーズ」をスタートさせたわけですが、その時、新堀氏と確認し合ったことは「いくらベンチャー支援といっても、お金の力がないと現実問題として難しいものがある」ということでした。お金がなければ単なる経営コンサルタントと変わらなくなってしまいます。
そこで新堀氏と訪ねていったのがファンケル名誉会長の池森賢二氏でした。新堀氏は野村證券時代ファンケルの担当で上場をお手伝いした関係から池森氏と昵懇だったのです。池森氏ご自身もエンジェル(個人投資家)活動をすることを希望されており、上場して得た資金を使って後進の育成をしたい、育業をしたいという夢を持っていらしたのです。こうして資金的な裏付けもできるようになったというわけです。

