TOP > マネジャ・インタビュー > 起業家インタビュー 呉 雅俊

人を育てることの難しさ

ワタミの店長はその店舗のすべての責任を負っているだけに、企業の社長と同じように経営そのものを体験できる場所でもありました。なかでも一番苦労したのがアルバイトをどう育てるかという問題でした。入社して一年半はほとんど休むことができなかったのですが、店の運営は、店長一人とそのほかはアルバイトで行っていました。自分が休みたければ、自分がいなくても良い店を作れ、つまり店長が休みたければアルバイトを育てなければいけないというわけですが、これは言うのは簡単でも実際はとても難しいことでした。

アルバイトが楽できる店というのは、経営がうまくいっていないことが多いものです。ところが、アルバイトにプレッシャーをかけすぎると店にいつかなくなってしまいます。そんな中で、どのようにアルバイトのモチベーションを上げていくのかには、とても苦労しました。

しかし、最近はニートというのが社会問題になっていますが、彼らは家にじっとしているわけでしょ。親としょっちゅう顔を合わせていなければならないわけで、外に出て、世の中と関わっていくことのほうがもっと楽しいはずなのですがね。

数字から経営が見えてくるようにする

呉 雅俊店長から経理部門へ異動になったのは、当時ワタミにいた税理士資格を持った方が退社したことがきっかけでした。ワタミは現場主義の会社でしたから、経理という部門にいることで、モチベーションが上がらなかったのかも知れないですね。

渡邉さんは私のあえて逆境に挑む性格を読んでいたのかどうかわかりませんが、経理にはまったくの素人の私を抜擢したのです。よしやってやろうという気になりましたね。といっても右も左もわからない数字の世界ですから、一から税理士の先生に聞いて仕事を始めることになりました。

それまで店長をやっていて感じていたのは、経理からやって来るデータは店舗の人間がみてもよく意味が分からないものだということでした。だから「ハイ頑張ります」としか言えないわけです。自分は何をしたらいいのか、どうしろというのかが見えてこなかった。そこで、こうしたデータを、「何が悪いからこうなっている」「ここがこう悪いからこう直せ」とわかるようなデータにしたい、店で実際に使えるものにしたいと思ったのです。

起業から上場までを経験する

そうこうしているうちにワタミ自体も三店舗、四店舗と成長していきました。こうなると経理だけではなく、財務、営業管理など企業の成長に合わせて必要になる部門が出てきます。当然のごとく、人事、総務、労務、システム開発、さらには増資と、どんどん仕事が広がっていったわけです。自分で手を挙げてやったというより、そうした仕事をするのが私しかいなかったというのが実情でした。ですから「この書類に判子を捺せ」と言われても、私も素人だから本当に捺して良いのかどうかわからない、その都度、専門家の先生に相談をしながら一つ一つ覚えていったわけです。

最後は渡邉さんがCEOで、私は経営計画、予算管理までやるCFOという様な位置づけになっていたと思います。1996年の店頭公開、1998年の二部上場の際にも、公認会計士の先生との打ち合わせなど実務面全体の統括をしていました。今から考えると会社がゼロから上場に至るまでに必要なセクションというものをすべて経験したことになりました。

行動が変わらないかぎり数字は変わらない

ワタミで経営計画を作った時に学んだことは、「行動を変えないかぎり数字は変わらない」ということでした。数字だけの計画をどれだけ作っても本来の目的は達成はできません。そこで数字の計画に加えて、そのために何をするのかという行動計画まで組み合わせて作ることになりました。こうしてワタミの三年計画や年度予算を作っていきました。

普通なら、10年後に目標を定めたら5年後にはこうする、3年後にはこうするという計画を作るものですが、渡邉さんの場合、さらに1カ月後はこうなる、そのために1週間後はこう、明日はこうするという計画を作っていくところがすごい。それをいまだに実行していますからね。

自分自身の限界を知る

呉 雅俊計画を作っている間は楽しいのですが、これを実際に行動に移すのは大変なことです。計画に自分自身が縛られていく。いくらやっても時間が足りない。眠る時間を削って仕事を続けているうちに、人間が壊れてくる気がしてきました。実はある時期、管理部門の責任者として、お金に絡む情報など会社の情報はすべて自分に集まるようにしていたのです。それらの情報すべてを自分で目を通して、判断していました。その無理が二部上場のための仕事と合わせてやってきてしまった。精神的なイライラが募ってしまって、「これはもう持たない」という状態になってしまったのです。それで自分自身が抜けても大丈夫な様に組織を作って退職することにしたわけです。私がワタミを退職したのは1998年、二部上場を果たした日の翌日のことでした。

今から考えると、当時の私自身がワタナベイズムといったものにとらわれすぎていたのかもしれません。ワタナベイズムを自らに凝縮しすぎて自分自身を苦しめていたのかもしれません。