資金調達の必要性が企業経営をよくする

資金調達の必要性が企業経営をよくする

森本紀行
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企業は、経営戦略の遂行にとって資金調達が必須の要件であり、しかも、戦略展開の優位を確保するためには、より確実に、より速く、より有利な条件で調達しなければならないので、それが可能となるように経営状況を最善に保とうと努める、この必死の努力が経営の質を高めるのです。
 
 企業が融資を受けようとするとき、金利水準は経営状況を反映して決められます。当然に、業況が悪ければ、元利金の弁済可能性について危険を高く評価され、金利が高く設定され、更に業況が悪くなれば、融資額が削減され、更に悪くなれば、融資を受けられなくなり、事業の継続が困難になりますが、このことは、金融の論理の必然的な帰結なのです。
 しかし、それにもかかわらず、こうした金融の構造については、風邪をひいたら、もっと働けというのか、食事も減らされるのか、という表現のもとで、古くから疑義が呈せられてきています。確かに、常識的には、風邪をひいたら、早く治すために、休息し、栄養をつけるべきなのですから、ここに、金融の常識、世の非常識といわれる所以があるのです。
 そして、事実として、景気の大きな後退期などには、経済政策の一環として、政治的に、金融機関に対して、金融の論理を枉げる要請、即ち、業況の悪化した企業について逆に融資条件の緩和を求める施策が展開されたりもするわけですが、それに対しては、金融の規律と秩序を乱すものとして、必ず弊害を指摘する声があがります。
 
要は、風邪の治療法の問題なのでしょうか。
 
 経済政策として融資条件の緩和が求められるのは、社会全体を覆う大規模な事象の発生等により、経済活動全体の一時的停滞が見込まれる局面に限られていて、個々の企業の業況の悪化は、いわば不可抗力のもとで生起した短期的なものにすぎず、問題事象の解消とともに業況は自然に回復するとの期待のもとになされるのです。
 つまり、短期的に治る見込みの風邪だからこそ、融資条件を緩和することで更なる悪化を防止することは、経済政策的にも、金融機関の中長期的な利益の視点からも、是認され得て、故に、金融の論理に照らしても、表層的には矛盾するようでいて、本質的には反しないと考えられるのです。
 それに対して、企業固有の理由で業況の悪化が生じたときは、金融機関として、それが一時的なものではなく構造的なものだと判断せざるを得ないときは、難しい対応を迫られます。なぜなら、貸し手としての社会的責任と均衡させながら金融の論理を貫徹するためには、融資先の支援という構図のなかで、解決策を模索するしかないからです。
 
金利を引き上げたり、融資額を削減したりすることも、融資先の支援になるのでしょうか。
 
 金利を引き上げられれば、企業の経営は苦しくなりますが、苦しいからこそ、早期に金利を引き下げてもらえるように、業況の回復を急ぐための全力をあげた経営努力が激しく促され、融資額を削減されれば、それに応じて資産を圧縮することで経営効率を高める方向に強く意識づけられるはずですから、条件緩和のように直接的な支援にならなくとも、自助努力を促すという間接的な支援になるのです。
 こうした融資先の経営努力は、当然に、金融機関にとっても、債権の質の向上につながり、また、経営改善後に融資額を増やす機会を創造するものとして、利益になります。このように、金融の論理の貫徹というのは、表面的には、金融機関が強引に自己の利益を守ろうとするかのように見えて、実は、そこには、顧客との共通価値の創造があり、逆に、顧客との間で共通価値が創造されるように、金融の論理の適用はなされるべきだということです。
 なお、いうまでもないですが、金融機関に求められることは、単に顧客の自助努力を促すことではなくて、促された自助努力が正しく有効な方向へ速やかに向かうように、会計、財務管理などの経営の技術的側面においても様々な支援を行うことであって、この支援活動が金融機関の費用負担のもとにおいてなされるのは、金融機関自身の利益にもなるからです。
 
金融の論理の貫徹は、一面では、一部の企業の業況回復や更なる成長を促すにしても、他面では、より多くの企業の淘汰も促すのではないでしょうか。
 
 金融には、成長すべき企業の成長を促すだけではなく、淘汰されるべき企業の淘汰を促す機能もあることは正当なこととして認められるべきです。なぜなら、資本主義経済体制のもとでは、経済成長の原動力として、公正な競争のもとで優者が劣者を淘汰することによる産業再編を前提にしていて、金融も、この原理に忠実であるべきだからです。
 そして、大きな社会的変動に起因する経済停滞期において、経済政策として金融機関に対して条件緩和等を求めることに対してなされる批判は、まさに、本来あるべき産業再編を阻害する可能性に向けられているのですが、そもそも、経済政策とは、資本主義経済体制の原理を修正するためのものなのですから、原理論に基づく批判は、必ずしも有効ではないでしょう。
 
資本市場においては、政策の介入はあり得ませんね。
 
 資本市場とは、企業が資金調達を行う場であり、成長すべき優れた企業については、より有利な調達機会を与え、逆に、経営上の問題を抱える会社については、資金調達を困難にすることで、経営改革を促し、改革できない企業を確実に淘汰させる厳しい競争の場であり、資本主義経済体制の原理原則が貫徹する場であって、政策は、原理を修正することではなく、原理の貫徹を阻害する要因の除去に向けられなくてはならないのです。
 特に、株式市場においては、経営上の優劣は確実に株価の高低に反映されるわけで、優れた企業は、高い株価によって有利な資金調達を行うことで成長し、そうでない企業は、株価の低迷によって資金調達が困難な状況に追い込まれることで経営改革が強制され、それができなければ被買収によって消滅していく、この冷徹な競争の原理が働かなくてはなりません。
 
実際には、市場原理は機能していないのではないでしょうか。
 
 多くの上場企業において、経営者の資質や能力の適性に疑義があり、そのような経営者が選任にされてしまう統治構造に欠陥が認められるなかで、当然に業績と株価が低迷していて、投資家の利益が損なわれている現実があったとして、それが市場原理の機能不全を意味するのでしょうか、むしろ市場原理の正当な帰結なのではないでしょうか。
 つまり、市場原理は、投資家の多様性と自己責任を前提にしているわけですから、株価の低迷する企業の株主は誰に不満をいえる筋合いでもなく、その株主について第三者が論評を加える余地もなく、そのような企業が買収によって消滅しないのは、買収される価値すらないからですし、経営陣による非公開化がなされないのは、経営陣が金融面での支援を得られないという自業自得の状況にあるからにすぎません。
 
株主は経営者に苦情をいえるのではないでしょうか。
 
 世の中には、経営者に苦情をいうために、また苦情を超えて改革案を提示し、それに実効性をもたせるために、敢えて大株主になる投資戦略があって、アクティヴィズムと呼ばれるわけですが、投資家の多様性こそが市場原理の基礎である以上は、当然にあり得ていいものですし、それを支持するかどうかは純然たる趣味の問題で、まさに蓼食う虫も好き好きです。
 
投資家は経営者と対立するのではなく、対話すべきだという考え方もあるようですが。
 
 株式の保有分布において、年金基金等の社会的責任を負う投資家の比重が上昇するなかで、それらの投資家の運用資金額の巨大さ、投資手法の同質性と硬直性は、明らかに市場原理が貫徹することの阻害要因になっています。故に、これらの投資家には、資本市場に対する責任のもとで、実効性のある改善策が求められるわけで、その一例が経営者との対話、即ちエンゲイジメントと呼ばれるものです。
 しかし、エンゲイジメントこそが年金基金等の機関投資家の責任の正しい果たし方であるという論調には大きな疑義があります。むしろ、機関投資家の投資手法の同質性と硬直性が是正されるべきなのであって、更には、その背後にある形式要件を充足させることによって責任を回避しようとする行動様式が改められるべきなのです。実際、エンゲイジメントも、形式に従って責任を果たすだけならば、何らの実効性も期待できないのです。
 
以上


 
次回更新は、10月22日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2020/03/19掲載「安っぽいSDGsとESGで儲けようとする君たちへ
2019/10/03掲載「銀行の地域独占で貸出金利は上昇するのか
2018/09/20掲載「もう株式投資は古い
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。