奢り奢られることの仮想通貨的考察

奢り奢られることの仮想通貨的考察

森本紀行
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物を贈り、また贈られることは、人と人との間にある関係を確認して強化するための儀礼です。贈答は、儀礼であって経済取引ではないとしても、物の交換であることに相違なく、交換である以上、そこに交換価値の同等性があるはずです。ならば、同等性を図る価値の尺度を想定できるわけで、仮想通貨というのは、まさに、その尺度のことではないのか。

 二人で会食をしたとき、勘定を均等に二つに割るのが標準です。標準というのは、この二人の人間関係に依存することなく、親密だろうが疎遠だろうが、一般的に適用可能な方法だからです。しかし、二人の間に特殊な関係性があるときに、片方が全額を負担することは少しも珍しいことではありません。
 例えば、極めて親しい関係にある二人が頻繁に会食しているのなら、割勘で済ますよりも、奢り奢られる互酬関係になるほうが普通かもしれません。実際、割勘というのは、人間関係の継続を前提とする必要のないことで、まさに清算なのですが、互酬関係は、逆に、人間関係の永続と更なる深化を前提にしたことだからです。

金融的にみて、割勘は決済でしょうが、奢られることは負債を発生させることでしょうか。

 奢られることは債務を負うことではありませんが、そこに負債性のあることは否めません。そして、次に奢り返すことには、その負債の弁済という側面があることも事実でしょう。しかし、奢り返されたほうは、少しも債権の弁済を受けたという認識をもたないどころか、次に奢り返すべき負債性のあるものとして受けとるのではないでしょうか。
 要は、取引の形式をみると、立場を替えて奢ることが連続していても、一つ一つは単独の贈与として完結していますから、その都度に決済が完了しているのです。しかし、互酬で強化される人間関係が継続する限り、そこに特殊な緩い負債性の意識が相互に連綿と継起していくわけです。

負債ではない負債性を表現するものが仮想通貨なのでしょうか。

 例えば、奢られることを、OGORという仮想通貨で支払うこととして構成しましょう。奢られた食事の価値をOGOR何単位として値付けるかは、奢るということの性格からして、奢られた側の専権事項であると考えざるを得ませんから、OGORを創造するのは奢られた人です。
 次に奢り返すとき、自分が創造したOGORを回収するでしょうが、相手が所有OGOR以上の価値を認めれば、OGORを追加発行して、支払うでしょう。この互酬を繰り返していくと、双方が一定数のOGORを保有した状態になるはずですが、その残高は、それぞれが相手に対して感じている負債性の意識の標章にほかなりません。
 つまり、OGORには、相手を奢ることで、相手がもっているOGORを回収して負債性を解消する方向に、人を意識づける効果があるのです。これは、本物の負債に弁済させる契約上の履行強制力が内在するのと同じですが、OGORの場合、力の源泉は、契約にあるのではなく、人間関係を深化させようとする意思にあるのです。

ところで、OGORとは何でしょうか。

 目にみえない人間関係を表象する単なる記号、即ち標章(token)です。OGORが創造された経緯からして明瞭ですが、OGORは何の対価でもありません。敢えていえば、奢られたことに対する謝意を表する礼状のようなものであり、まさに謝意の標章なのです。
 この単なる記号であることは、仮想通貨が備えるべき望ましい要件です。なぜなら、仮想通貨という言葉で総括される諸概念には多様なものを含み、通貨に対応する疑似通貨的なものや、通貨に換算され得る負債としての性格を帯びるものもあるわけですが、当然に、それらは金融法制のなかに取り込まれざるを得ない可能性が高いのに対して、純然たる記号であれば、極めて自由度の高い設計が可能になると考えられるからです。

情報の対称性も重要な要件ですね。

 もともと互酬関係にある二人は、全く同じ会食の記憶を共有しているはずです。共有というよりも、より正確には、それぞれが独自に形成した記憶内容が全く同一であるということであり、しかも、それぞれが奢った額と奢られた額が同等でなければならないとの認識をもっていて、どちらが次に奢るべきであるかを知っているということです。
 そして、この各自の認識は、会食を通じて確認され、共通認識として継承されていくのです。いうまでもなく、これが分散型台帳の原理であり、仮想通貨の必須の要件となっているものです。OGORの機能は、この各自の記憶形成、相互確認、共通認識化、共通認識の保持という一連の手続きを記号によって再構成するだけのことです。

単なる記憶の標章である限り、経済価値はないですね。

 では、経済価値のある仮想通貨を発行しましょう。頻繁に会食する二人の関係は同じにして、互酬を二分割の割勘にし、片方が全額を通貨で支払い、他方は自己負担分を仮想通貨WARIで相手に支払うとします。どうせ頻繁に会食するのですから、そのたびに割勘にするのは面倒であって、WARIの利用は非常に便利だと思われます。
 もしも、交代で通貨による支払いをするなら、WARIは、残高が大きくならずに、微妙に単位数を変更しつつ両者間を行きかい、疑似通貨的に機能します。また、どちらか一方だけが通貨による支払いを継続するなら、支払う側がWARIを蓄積して、自分からみれば通貨に換算される債権の表示として、相手からみれば負債の表示として機能するでしょう。いずれにしても、通貨で直接に換算される経済価値を有するものになります。
 また、プリペイメント型の仮想通貨として構成するなら、片方が将来の割勘代金を他方に先払いしてWARIを取得し、後の割勘をWARIで払うこともできるでしょう。この場合、通常のプリペイメントカードと全く同じように、WARIは、所有者にとっては通貨に換算される価値をもつ資産であり、発行者にとっては同額の負債を意味します。

WARIは疑似通貨であって、仮想通貨と呼ばれるほどのものでもないようですが。

 OGORには、そこに経済価値を認め得ないにしても、通貨で表示できない文化価値の創造があります。しかし、その価値は、経済学の対象ではなく、文化人類学の対象です。逆に、WARIは、明確に経済価値をもちますが、その価値は通貨同等であって、通貨を上回る価値の創造はありませんから、仮想通貨と呼ばれるには不十分です。
 通貨は価値を交換する道具にすぎないので、その使用は価値を創造しません。それに対して、仮想通貨は、その使用によって価値を創造するのでなければなりません。そうでなければ、交換価値において、仮想通貨が通貨に対して騰貴することはあり得ないのです。

OGORに経済価値をつけるか、WARIに文化価値をつけるか、要は、そういう工夫ですか。

 互酬は文化的で、割勘は経済的です。その中間に経済的で文化的な価値創造があることは自明であって、そもそも、飲食、服飾、居住、旅行、習い事など、ほとんど全ての消費は、経済価値以上の文化価値を消費しているのです。要は、仮想通貨の使用を通じて、文化価値創造を拡大できないか、そこに仮想通貨の本質的な課題があると思われます。

奢る権利の標章という仮想通貨はどうでしょうか。

 例えば、ある著名人と会食できる権利を標章化して、仮想通貨GOTIを作るとします。発行者は、この著名人自身にしておきます。会食の費用はGOTIに含まれませんから、GOTIは、いうなれば奢る権利という経済的に無意味なものの標章になりますが、他方で、著名人と食事ができるという極めて大きな文化価値をもちます。
 さて、この著名人がGOTIを発行するとき、発行数にもよるでしょうが、著名人と食事したい人が殺到すれば、極めて高い発行価格がつき、著名人は大きな金額の本物の通貨を取得するのです。つまり、会食という社交上の文化価値は、経済価値に転換されるわけです。

金銭換算されたとたんに、文化価値を喪失する危険がありそうですね。

 GOTIの価値を守る誘因は、発行者と所有者の両方にあります。この点も、仮想通貨の満たすべき条件として重要でしょう。そこで、例えば、食事に双方が高い満足度を感じたときに、発行者である著名人が無償でGOTIを新規発行して、食事相手に付与するとしたらどうでしょうか。
 満足度の評価は著名人のものになりますから、食事相手には、レストランの選択と料理やワインの注文において、また会話の内容について、著名人の満足を得るように努める誘因が働きます。著名人の立場からは、自らの優れた会話技術によって相手の満足を高めることは、GOTIの発行価格を高めることと等しく、また、無償発行の相手を選別することは、食事相手を自分の好みで選別するのと同じになります。こうして、文化価値を守りつつ経済価値を高める双方の努力を構造化できるでしょう。
 要は、無償発行は希薄化によりGOTIの価値を下げる効果がある一方で、GOTIの価値を高めたことの褒賞として無償発行されると、GOTIの価値を高める誘因としても機能するということです。

GOTIは、著名人が著名であるという単純な事実を裏付けにしているだけなので、仮に、通貨換算価値が変動するとしても、投機以外の何物でもないようですが。

 文化価値の通貨価値への転換といった瞬間から、怪しい雰囲気を醸しだすことは避け得ないようです。しかしながら、高価な美術品を例にだすまでもなく、文化価値の多くに確かな通貨価値の裏付けのあることも事実です。要は、文化価値として確立されるためには、社会的に広く、歴史的に長く受容されていることが重要なのです。そうでない限り、仮想通貨が投機の対象にすぎないものとなる可能性は大きいのでしょう。
 逆に、理想的には、仮想通貨の機能によって、その裏付けとなっている文化価値の社会的定着が促進されることが望ましいでしょう。仮想通貨が表象する文化価値が社会的に定着すれば、その通貨価値が確立してきて、その反映として、仮想通貨の通貨換算価値に実体的裏付けができると思われるのです。

小さな文化圏のなかでのみ通用する仮想通貨は問題が少ないのではないでしょうか。

 例えば、趣味の領域は、その総体は大きなものでしょうが、無数の多種多様な小さな分野の集合になっていると思われます。各領域は、小さいながらも、そこで共有される価値は、その狭い世界のなかで、狭いからこそ強固に確立されているはずです。その世界で仮想通貨が発行されるときは、通貨換算価値の実体的裏付けを強いものにできるでしょう。
 実際、例えば、地方創生との関連で仮想通貨の利用の可能性が論じられるのは、共通価値を確立しやすい小コミュニティの構成を前提にしたことだと考えられるのです。そして、仮想通貨の望ましいあり方は、仮想通貨の使用によって、小コミュニティの価値を共有する人が増殖していくように設計されていることです。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/01/22掲載「なぜ現にある地方を新たに創生するのだ
2015/01/08掲載「稀少すぎて値もつかない本
2013/05/21掲載「アートに投資する投資のアート
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。