素晴らしい、かくも立派な企業年金基金があったのか

素晴らしい、かくも立派な企業年金基金があったのか

森本紀行
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今、ある厚生年金基金では、心機一転、制度を改め、新しい企業年金基金として再発足するために、真摯な努力がなされています。そこでは、全くの自主的な取り組みとして、企業年金の意義を根源的に問い直し、その重大なる責務の自覚のうえに、社会的付加価値の創出が目指されているのです。この素晴らしい取り組み、一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
 
 私は、先だって、ある厚生年金基金での会合を傍聴する機会を得て、非常に深い感銘を受けました。これは、新しい企業年金基金への移行について、基金が加入企業を集めて説明する一連の会合の一つだったのですが、お話された基金の担当者の方々の真摯な姿勢と情熱に直に触れ、役所の所管こそ違え、これぞ金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーの徹底、ベストプラクティスの追求の極めて優れた見本だと思ったのです。
 しかし、その感動を語る前に、厚生年金基金をめぐる諸般の事情を解説しておく必要があるでしょう。そうでなければ、なぜに、この基金の取り組みが優れているのか、なぜに、それが金融行政の喫緊の課題を別の側面から鋭く突いているのか、十分に理解していただけないからです。
 
そもそも、厚生年金基金は、事実上、廃止の過程にあるのですよね。
 
 厚生年金基金は、かつては、企業年金の代表的な受け皿でした。しかし、今では、企業単位で自社および子会社等を対象に設立されていた基金は、ほぼ全て確定給付企業年金へ改組されていて、残されているのは、業界単位で主として中小企業を対象に設立されている基金、いわゆる総合型の基金だけです。しかし、それすら、政府方針により、事実上、廃止されることになりました。
 こうして、総合型厚生年金基金は、現状、非常に困難な状況に追い込まれてしまったのです。困難というのは、本来は、確定給付企業年金基金へ改組することにより、自然に存続が図られるべきところなのですが、それが容易ではなく、多くの基金は、解散消滅への道を歩まざるを得なくなっているということです。
 
しかし、大企業の厚生年金基金は、大きな問題もなく、新しい企業年金へ改組できたはずで、なぜ、総合型では難しいのでしょうか。
 
 大企業等の企業単位で作られていた厚生年金基金は、多くの場合、退職一時金を年金化するための器として、発足しました。厚生年金基金には、企業独自の退職年金に加えて、厚生年金の給付も代行するという特異な点がありましたが、これは、厚生年金には、企業と従業員の折半拠出による企業内福利制度としての側面があることから、当時の政策として、統合が志向されたのです。
 その後、退職給付会計の導入等を背景に、厚生年金を代行することの不利益が顕著になったとき、政府は、その返上を認めるに至ります。それが、厚生年金基金からの確定給付企業年金への移行ですが、この移行は、企業の立場からは、もともと本質的な要素でなかった厚生年金の代行が消滅しただけですから、ごく自然なものとして、受け入れられたのです。
 それに対して、総合型の場合は、事情が全く違っています。ここでは、給付は、退職金の移行としてではなく、厚生年金の上乗せとして、設計されているのです。ただし、多くの場合、その上乗せの幅は小さいので、厚生年金の代行給付を返上してしまうと、存在意義が希薄化し、また、規模が小さくなりすぎて経済的に成り立たないなど、基金の存立基盤が揺らいでしまうのです。
 
解散しかないということですか。
 
 そのようなことでは、決してありません。給付水準にかかわらず、上乗せ給付をするということの裏には、総合型厚生年金基金の設立を支えた理念があったのですから、今でも、その理念が失われていないのならば、厚生年金の代行給付を返上しても、存立し得るはずですし、断固として、存立させるべきです。
 逆に、原点に立ち返って、基金の社会的意義を問うたとき、今日の環境においては、もはや、理念的支柱を見出し得ないというのならば、解散消滅以外に残された道はないでしょう。残念ながら、実情としては、こうした基金も多いのです。
 
総合型厚生年金基金が新しい企業年金基金として発足できるかどうかは、原点の理念の再確認にかかるわけですね。
 
 実は、冒頭に紹介した厚生年金基金では、原点における設立の理念が高らかに宣言されていたのです。その理念とは、業界共通の経営課題である人材の確保へ向けた思いです。私が深い感銘を受けたのは、まさに、この点なのです。
 どの業界も、少数の大手企業と多数の中小企業で構成されているわけですが、その間の処遇面等の格差は如何ともし難く、中小企業は、どうしても、人材の確保において、不利な立場になります。実際、退職年金制度でも、業界の大手企業は、企業単位で厚生年金基金を作り、退職金の持ち込み等により豊かな制度を提供していたわけです。
 これに対して、中小企業は、協力して総合型の厚生年金基金を作り、少しでも魅力ある処遇制度を提供しようとしたのです。年金制度は、本質的に、相互扶助の要素を内包しており、総合型基金においても、掛金負担には、企業間の相互扶助が働きます。本来、同一業界で競争している企業が助け合って基金を作ったからには、業界共通の利益についての経営者の熱い思いがあったはずなのです。
 特に、当基金の場合、母体の業界は、人的資源に圧倒的に依存する情報サービス産業ですから、この思いは強かったと思われます。しかし、基金設立から長い時間が経過し、経済環境も業界事情も雇用情勢も激変してしまったなかで、当基金においてすら、当初の理念は色褪せていたに違いないのです。
 そうしたなか、基金の担当の方々は、熱い口調で、改めて当初の理念を想起するように求め、聴衆の加入企業の方も、それに深く感じっているさまが明瞭に見てとれたことは、非常に感動的でした。
 
理念の再確認だけで、うまくいくのでしょうか。
 
 政府が厚生年金基金の実質的な廃止に踏み切るということは、基金の構造的な欠陥を公式に認定されたかのようにもみえ、基金への信頼が傷ついたことは否定できません。これでは、背景の事情に疎い大多数の加入企業からすれば、新制度への移行を機に、脱退を考えるほうが自然です。
 故に、抽象的な理念を掲げることには、もはや、大きな意味もなく、言葉の力もありません。本質的に重要なことは、理念の実現を関係者に確約することであり、確約することで、関係者からの信頼を獲得することです。どれだけ多くの加入企業が基金に留まってくれるか、全ては無理でも、8割以上が残ってくれるのか、それは、この確約次第なのです。
 当基金の取り組みにおいて、私が何よりも感心したのは、この確約の宣言です。基金の担当の方々は、その確約を、チェンジ、クライアント・ファースト、フィデューシャリー・デューティーの三つの言葉に集約されていました。私には、三点とも、極めて優れた論点だと思われます。
 念のためですが、担当者の方々は、制度に留まることの企業の利益についても、他の選択肢との比較対照による上手な資料を作成され、わかりやすく説得力のある話をされていて、理念的にはもちろん、技術的にも非常に優れた説明でした。
 
チェンジとは、何のことでしょうか。
 
 もちろん、変化のことですが、変化とは、厚生年金基金を廃して新しい制度へ移行するという根本の変化だけでなく、政府として厚生年金基金を廃さざるを得なくなった環境変化への自覚的対応、産業の変化のなかで加入企業が直面している課題に対する理解、高齢化という大きな変化のなかで加入員と受給者に対する支援の拡大、そして、何よりも、基金自身の経営が変わらなければならないという覚悟、そのような思いのたけの全てを籠めたものでしょう。
 
では、クライアント・ファーストとは。
 
 厚生年金基金は、厚生年金の代行給付という機能のために、準公的機関としての色彩の濃いものでした。そのため、どうしても、制度の維持管理自体が目的視されやすい側面のあったことは、否定できないでしょう。それに対して、純民間の確定給付企業年金基金になれば、制度の受益者、即ち、加入員と受給者、および加入企業の視点で、経営されなければならないわけです。
 クライアント・ファーストとは、制度の利用者を顧客とみなして、顧客の視点で、基金の運営がなされることの確約、基金自身の意識改革(まさに、チェンジ)の宣言だと思われます。
 実際、クライアント・ファーストの視点で考えれば、高齢化社会を迎えて、加入者向けの退職準備のための企画とか、老後生活資金形成の自助努力がいわれるなかでの投資家教育の企画とか、企業と従業員の双方の利益のために、基金として取り組むべき様々な課題がみえてくるのでしょう。
 
フィデューシャリー・デューティーは、金融庁が掲げるものと同じですか。
 
 金融庁のフィデューシャリー・デューティーは、規制ではなくて、専らに顧客の視点で、金融機関としてのベストを尽くすビジネスモデル上の義務をいうのですから、金融界でこそ新奇ですが、単に商業の王道を説くにすぎないような面もあり、監督官庁の異なる企業年金基金にも、そのままに当て嵌まるでしょう。
 制度の利用者を顧客とみなし、クライアント・ファーストを掲げる当基金ならば、そのクライアント・ファーストの徹底を理念化すれば、フィデューシャリー・デューティーに帰着することは、当然のように思われます。
 
確約は、誰に対して、なされるのでしょうか。使用者である加入企業でしょうか、それとも、被用者である受益者でしょうか。
 
 当基金に限らず、また、総合型企業年金基金に限らず、全ての企業年金に通じる本質とは、費用を負担していない加入員と受給者の利益のためにのみ働くことで、つまり、費用を負担している企業の利益を一切考慮しないことで、逆に、企業に対して貢献できるという一見矛盾した構造にあるのです。
 もちろん、制度移行に際しては、企業の賛同が全てです。事実、当基金でも、企業の賛同を得るために、説明会を開いているのです。そのなかで、当基金は、企業年金の本質を完全に理解されたうえで、この一見わかりにくいことについて、企業の理解と賛同を求めています。この点、私は、当基金に対して、最大の敬意を表したいと思います。
 企業は、人材を確保するためには、当然のことながら、人材に対して責任を負うことを表明しないわけにはいかないでしょう。誰も、人を使い捨てるような企業には勤めたくないはずです。年金給付を提供することは、典型的に、こうした企業の責務、片仮名でいえば、コミットメントの表明です。また、企業は、人材を確保するだけでなく、その就労意識を高め、生産性の向上を図らなくてはなりません。つまり、人材の側からの企業に対するコミットメントを引き出さなければならないのです。
 この企業と人材の相互のコミットメントは、典型的なギブアンドテイクであって、与えるものが大きいほど、得るものも大きいと考えざるを得ません。企業年金についていえば、給付の確約を徹底し、受益者の視点にたった制度運営を徹底すればするほど、企業年金基金の社会的意義が高まり、企業にとっても、福利制度としての人事政策的効果が増大するということです。
 
基金もまた、社会的存在意義にコミットすることで、基金自身のチェンジを推進していくのですね。
 
 当基金の説明会が感動を与えてくれたのは、会の運営や資料の作成に担当者の方々の創意工夫が活かされ、話し方に情熱と誠意が溢れていたからです。この力は、基金自身のコミットメントからきているに違いないのです。
 当基金の取り組みは、働くということの本質、クライアント・ファーストを徹底し、フィデューシャリー・デューティーのもとで、社会のために働くからこそ、働くことの喜びがあり、そこに自己の利益と成長(チェンジ)があることを教えてくれています。ここに感動があるのです。
 実は、私は、金融庁長官を想起しました。金融庁職員に国益への貢献を求め、金融機関にフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めている金融庁長官もまた、全く同じ情熱に突き動かされているのでしょう。
 
以上

 
 次回更新は12月3日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/10/22掲載「総合型企業年金基金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
2015/09/10掲載「厚生年金基金の「フィデューシャリー宣言
2015/09/03掲載「「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任
2013/09/05掲載「報酬の払方、先か今か後か
2013/07/03掲載「人的資本投資の理論

≪ アーカイブから今週のお奨めは「厚生年金基金」 ≫
2014/09/04 掲載「さようなら、厚生年金基金
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。