不透明な金融情勢下でのPrivate Equity Fundの戦略と実務
(その1.PEファンドの骨子と我が国における浸透)

植田兼司
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○はじめに

金融市場を駆け抜けた激震は、かつて経験のない速さと深さで実体経済における深刻な景気後退につながっていった。2009年2月の鉱工業生産指数は前年同月比▲38%、在庫率158.5は同+61%、稼働率指数60.5は同▲44%とすさまじい。悲観一色となるのもやむを得ないが、ピンチの裏にチャンスあり。抜群の技術力、精緻な製造力、そして穏やかさと誠実さを持つ日本企業の見直しが早晩入るものと筆者は考える。実際、アジア諸国を訪問すると、日本人の想像以上に日本企業への期待は大きい。とりわけグローバルに戦えるポテンシャルを持つ日本の中堅企業の成長余地は大きいし、その成長をサポートするPrivate Equity Fund(PEファンド)の意義は深い。本稿では、3~4回に渡り、PEファンドが投資先企業の企業価値をいかに上げていくかということに焦点を当てながら、PEファンドの戦略と実務を解説したい。

○PEファンドの意義はRisk Capitalの提供

PEファンドは、成長のポテンシャルを持つ企業を買収し、中長期で企業価値を上げ、将来株式公開や第三者への売却(Exitという)によって、投資の回収を図り、投資家にそのキャピタルゲインを分配する。その社会的意義は、潜在的成長力を持ってはいるが、現状では優良とは言い難い企業へのリスクキャピタル(中長期にリスクをとっていってもよいお金)の提供である。そのなかには、①Early Stageの若い企業に投資するVenture Capital Fund、②かつては隆盛を誇ったものの伸び悩んでいる企業の経営権を取得し、立て直して企業価値を高めるBuyout Fund、③いったん破綻した企業を安く買って再生して売り抜けるDistressed Fundがあるが、本稿では、Buyout Fundを基本に考察を進めたい。

 PEファンドは、Fundraisingにより、投資家からCommitmentを集め、その後DealのClosingの度に投資家にCapital Callをかけ、投資資金を入れてもらう。そしてExitの都度、投資家に売却金額を分配する。一般的にファンドの投資期間は7~10年、Commitmentの有効期間は4~5年、個別案件では通常投資後3~5年でExitということが多い。投資家はLimited Partner(LP)となり、Commitmentの2~2.5%をManagement Feeとしてファンドの運用会社であるGeneral Partner(GP)に毎年支払う。Hurdle RateとしてIRR6~8%までは売却益のすべては投資家に還元されるが、その利回りを超えると売却益の20%が成功報酬としてGPに支払われる。

○山一證券は生き延びることができた?

日本のPE投資は、1990年代後半からスタートしたが、Ripplewoodが上陸した1999年を元年と考えるとわかりやすい。しかしながら、Ripplewoodがあと2年早く日本に上陸していれば、山一證券はいまも存在したかもしれない。山一證券の自主廃業が報じられたのは1997年11月。当時筆者は東京海上に在籍していたが、新聞記事を読んで山一の経営陣・従業員とPEファンドが組んで山一を買収するMBO(Management Buy Out)の可能性があるのではないかと考えた。米国のPEファンドをEquity SponsorとしてMBOを実行し、その後いったん非上場化して5年ぐらいで再建し、再上場をめざすというやり方だ。例えば長銀はその名前はなくなったけれど、PEファンドとともに再建努力の末、新生銀行として再上場し、脈々とその風土を受け継いでいる。山一證券もばらばらにならずにひとつの企業体としてまとまって継続し、再上場まで漕ぎつけることができたのではないかと惜しまれる。このようにRisk Moneyを投入して残すべき企業を再生していくのがPEファンドの社会的意義であり、そこにこの仕事の醍醐味がある。

○我が国のPEファンドは10年の歴史

我が国におけるPEファンドの歴史を振り返ると、1990年代後半から国内独立系の旗揚げ、外資系の上陸が始まり、日本経済の落ち込みのなかで「ハゲタカファンド」などといった揶揄も受けながら着実に浸透していった。2003年ごろからは、国内金融機関系、独立系、さらに外資系第二陣の上陸などが相次ぎ、PEファンド林立の様相を呈した。その間、村上ファンドなどのActivistの出現等もあって、ひとくくりでの「ファンド」の響きがやや微妙な時期もあったが、総じて右肩上がりのM&AのトレンドのなかでPEファンドはその地位を確立していった。しかしながら、2008年9月のリーマンショック以降、Buyout Financeの不調と含み損の増大から国内外ともにPE投資は相当冷え込んでいる現況にある。

 これまでの我が国におけるPE投資について特徴的なところを述べると、①逆張りが苦手な日本人らしく、不況期や株価下落時に会社を売りたい、好況期や株価上昇時にはむしろ買いたいといういびつなサイクルになっている、②M&Aがかなり定着してきたとはいえ、「会社を売ることは恥ずかしいこと」という意識が大企業のトップにもオーナー企業の後継者にもまだあり、PEファンドにとってDeal Sourcing(案件探し)は容易ではなかった、③PEファンドは林立したものの、売りが十分になかったため、2005-2007年のミニバブル期にはAuction(公開入札)に多くの買い手が殺到するなど、Deal Sourcingの力が不足しているファンドでは十分にDealができていないところも多い、④王子製紙による北越製紙の敵対的TOB以降流れが変わり、Strategic Buyer(事業会社)による買収にはずみがついて、Financial InvestorであるPEファンドにとって強力なライバルが出現した、というところであろう。

○Vintage 2008、2009のPEファンドは将来の宝

 現状と今後の見通しは次のように考える。まず、銀行がBuyout Financeに慎重になっているからLeverageを効かせにくい。Leverageというのは、Equityに対するDebtの倍率で、Cash Flowが安定している企業であれば、High Leverageとするほど、Debtの返済が進めばEnterprise Valueに占めるEquityの割合が増え、結果的にEquity投資のIRRは高くなる。このLeverageが効かせられなくなる、つまり金融Structureに頼ることが困難になれば、進む方向はNatural Growthが可能な企業を見つけその成長に賭けるか、あるいはPost Deal Managementに注力し買収後の企業価値増大に賭けるか、ということになる。いずれにせよ、PEファンドそれぞれのDeal Sourcingのパワーと巧拙、あるいはHands OnのPost Deal Managementの徹底の如何、によってPerformanceに大きな差が生じ、それがファンド間格差につながっていくだろう。さらにFundraisingにおいてもPEファンドにとって筆舌に尽くせぬ厳しい環境にある。PEファンドのPerformanceはワインと同様、概ねそのVintage Yearで、つまりそのファンドがいつスタートしたかによって決まるところがある。従って数年後には、Vintage 2008、Vintage 2009のPEファンドが優れものということになると思われるのだが・・・。

次回更新は6月15日(月)になります。

■関連項目■
6月25日(木)公開マネジャミーティング・いわかぜキャピタル(日本株PE戦略)
植田兼司

植田兼司(うえだけんじ)

いわかぜキャピタル株式会社代表取締役CEO

1952年生まれ。1974年3月関西学院大学経済学部卒業。同年4月東京海上火災保険に入社、25年間資産運用部門にてグローバル運用のヘッドを務めるなど国内外の投融資全般に携わる。1999年よりRipplewood Japanの創業メンバーとして、我が国草創期のPEファンドビジネスに参画、2002年よりマネージング・ディレクター、2005年より2007年11月までRHJ International Japan(旧リップルウッド)の代表取締役を務めた。2008年2月に独立して、いわかぜキャピタル(株)を立ち上げ、同年8月にPE投資をスタートし今日にいたる。2001年~2009年、東洋大学経済学部講師(金融リスク管理論)。著書に「M&A Q&A」(1987年・六法出版、共著)、「21世紀・日本の金融産業革命」(1999年・東洋経済、共著)がある。