なぜ神保町にオフィスを構えるのか
-投資の極意「S字カーブ」(後編)- 

森本紀行
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なぜ神保町にオフィスを構えるのか -投資の極意「S字カーブ」(前編)-

我がHCアセットマネジメント社は、創業来、東京都千代田区神保町にオフィスを構えております。

 なぜ神保町なのか。ちゃんと、理由があります。「バリュー(割安)」だからです。
 千代田区神保町は、東京の中心、丸の内・大手町の北に隣接する地域です。丸の内・大手町は、皇居に面して大型の高層ビルが林立する綺麗なところで、東京を代表する景観です。ところが、といいますか、ゆえに、都内でも一番家賃の高いところであります。
 一方、神保町は、古本屋街で知られますが、大型のビルが少なくて、低層の小さな建物がひしめく、まあ、いうなれば、全国のどこにでもありそうな、ぱっとしない商業地区です。しかし、東京の中心部にあることには、かわりなく、地下鉄などの交通も至便なところであります。しかも、といいますか、にもかかわらず、家賃は安いです。「安い」というよりは、「バリュー(割安)」といいたいのです。なぜか。
 東京を、大手町から北へ進んで神保町を通過し、東京の中心から離れれば離れるほど、家賃は低下していくでしょう。しかし、家賃は距離に比例して直線的に低下していくわけではありません。大手町と神保町の間には大きな家賃の開きがありますが、神保町からずーっと北へ行っても家賃の低下幅は小さい。つまり、頂点の大手町と神保町の間には急な崖があって、崖下の神保町から先は、なだらかに下るのです。利便性のほとんど変わらない大手町と神保町なのですが、家賃は断然に神保町が安い。神保町から少し北へ行っても、家賃はあまり下がらないのに利便性は格段に落ちる。ゆえに、価格と質との関係からいえば、神保町は質が高くて価格が安いので、「バリュー(割安)」なのに対して、神保町のさらに北は安いですが、それなりに安いに過ぎないので、「バリュー(割安)」ではないのです。
 投資の基本は、「バリュー(価値)」を捉えることですが、「バリュー(価値)」とは「バリュー(割安)」なのです。当社は投資を事業にしている会社ですから、オフィスの立地も、投資哲学にしたがって、「バリュー(割安)」なわけです。
 大手町と丸の内は再開発が進んでいます。東京の中心部は外延を拡大して行きます。いずれ遠からず、隣接地区の神保町は、広大なオフィス街の一部に吸収されていくのではないかと思います。事実、当社のいる場所のすぐ近く、大手町に近いところに巨大なオフィスビルができました。おそらくは、このビルの家賃となると、神保町価格というよりは、大手町価格に近いのではないかと想像されます。「バリュー(割安)」は、放置されることなく、いずれ水準訂正されるべきものです。水準訂正される過程では、価格の騰貴が生じます。ここに投資の利益源泉があるのです。
 質が高くて価格が安いものを買って、それを使っている限り、価値(割安さ)があります。しかし、その割安さが解消して価格が上がれば、更に価値が増します。割安さが解消したものを売却して、また別の割安なものに乗り換える、このような投資行動をバリュー運用というのです。

では、割安さは、どこに生じ、どのように解消するでしょうか。

 この神保町の例では、家賃について、頂点の大手町と神保町の間に急な崖が存在することがポイントです。神保町は大手町の外延の崖下に張り付いています。外延が拡大すると、神保町は崖を一気に駆け上がって、頂上に近づく。ここが利益源泉です。要は、家賃が大手町から来た方面へ進むと低下する、その低下カーブは直線的ではなくて、S字の捻りがあり、角度の急な場所がある、その急な場所が狙い目なのです。投資の極意は、S字カーブです。
 さて、どこにS字カーブがあるか。神保町の例は、横軸に大手町を原点として北への距離をとり、縦軸に賃料をとったときの家賃カーブでした。S字で急速に家賃が下がる場所があり、その急カーブの底に神保町があったのです。他の一般的な例として、二つを挙げましょう。まず、横軸に年限をとり、縦軸に年限に応じた金利水準をとりましょう。どなたもご存知のイールド・カーブです。イールド・カーブの形状は、常時変動していて、基本的に右上がりのはずが逆に右下がったり、途中にゆがみを生じたり、色々です。当然に、ある場所にS字で急角度を作るときがあります。もう一つは、横軸に信用リスク(原点を最上位格付けにして右へ格付けを下げていきましょう)をとり、縦軸に信用リスクに応じた上乗せ金利をとります。よく使われるクレジット・カーブです。これも、決して直線にはならず、ある場所でS字の急カーブを作ることがあります。二つの例とも、S字にはバリューがあります。

(後編はここから)⇒まずイールド・カーブですが、いわゆるロール・ダウン効果は、よく知られています。

 債券は、時間が経過すると満期までの時間が短くなります。これは自明ですね。イールド・カーブの形状が変化しないとして、年限が短くなれば、カーブに沿って年限に対応した金利が変化します。ご存知のように、金利が低くなると債券の価格は上昇します。さて、もしも、イールド・カーブにS字があって、ある年限を境に金利が急低下する場所があるとしましょう。その崖の上の年限の債券を買っておくと、どうなるでしょうか。少し時間が経過すると、カーブ上を急降下して金利が下がりますので、金利の低下効果が価格の変動に有利に働くわけです。これがロール・ダウン効果です。この場合、バリューは崖の上にありました。神保町は崖の下でしたが。
 次にクレジット・カーブですが、ここでは、いわゆる投資適格債とハイ・イールド債の境目がポイントです。投資適格という概念は、機関投資家に固有のものです。ここでのバリューの理解には重要なものなので、簡単に論点を整理しておきましょう。
 機関投資家のように一定の社会的責任を負う投資家の場合、何もかもが投資対象になるのではありません。社会通念に照らして適格(クォリファイド Qualified)なものだけが投資対象になります。投資適格性は、社会が変われば、それに応じて変わります。なかでも、信用リスクの投資適格性は、比較的古い考え方だと思われます。これは、主要格付機関の付した格付を基本にしていて、トリプルB以上を適格とする考え方です。逆にいえば、ダブルB以下は不適格ということになります。
 「古い考え方」だと申し上げたのは、現在では、機関投資家も、本来投資できないはずのダブルB以下の社債等に投資しているからです。ただし、ここには、特殊な操作があって、ダブルB以下の社債は、「投資適格債」として投資されているのではなく、「ハイ・イールド債」という別な資産種類として、投資されているわけです。一見、詭弁のようではありますが、そこには、投資についての、それなりに深い叡智も隠されているのです。
 当初の投資適格の考え方は、ダブルB以下には投資できない、という厳格な基準として機能していたと思われます。しかし、この基準を画一的・機械的に適用すれば、困難な矛盾が生じるのは目に見えています。なぜなら、社債の格付は、しばしば変更になり、投資適格からダブルB以下への格下げも生じうるからです。もしもこの時、基準を機械的に適用すれば、多くの投資家から大量の売却がでる一方で、買いはほとんどなく、価格は大暴落してしまうからです。つまり、格付の低下による価値の下落幅を大きく上回る価格の下落が起きてしまうのです。つまり、そこに「割安」な価値を作ってしまう。この価値、とらざるを得ないでしょう。そこにハイ・イールド債が生まれます。
 しかも、投資適格社債とハイ・イールド債を分けて管理することで、即ち、ダブルB以下をも投資適格にするのではなく別枠で管理することで、ダブルB以下の社債のリスクが意識され、組入れ比率に上限ができるので、運用として慎重な配慮が自然に働くようになるのです。ここに叡智があるのです。

さて、クレジット・カーブに戻りましょう。

 ハイ・イールド債投資が行われるにしても、別枠管理がなされる以上は、当然に投資適格債に比べれば投資需要は少なくなります。ですから、投資適格債とハイ・イールド債との間には大きな利回り格差を生じます。つまり、ここでS字の捻れができます。ハイ・イールド債、中でも「ハイ・クォリティ・ハイ・イールド」と呼ばれるダブルBには、構造的にバリューがあるのではないかと考えられます。なぜなら、ダブルBの場合、S字の捻れ地点ですので、シングルBへ格下げによる価格下落幅よりも、トリプルBへの格上げによる価格上昇幅のほうが大きくなると考えられるからです。
 米国の債券運用の世界は広大です。多種多様なニッチな分野に、それぞれ専門家がいます。ハイ・クォリティ・ハイ・イールドに特化した債券運用会社もあります。大きな資本市場の中で、目立たない小さなバリューの発見と獲得だけに人生をかけている人々、そのような職人的なあり方が、本当の資産運用会社の姿なのです。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。